救助された高校生たち、緊迫した脱出状況を伝える
"私は脱出できたが友達の姿は見えなかった"
亡くなった旅行会社職員パク・ジヨン氏のおじ
"苦しい家計を助けるために働いていたのに…"
失踪者表示を生存者と見間違った両親
失踪事実を遅れて知り落胆の余り座り込む
救助された高校生たち、友達の生存を祈って
"どうか皆が生きて帰って来て" インターネットに上げる
16日午前、乗客全員が救助されたというテレビ ニュース特報は事実ではなかった。 午後に入って459人の乗客のうち救助されたのは164人だけというニュースが伝えられ、家族と友達の安全を確認出来なかった人々は茫然自失していた。 2学年生徒324人が修学旅行に発った京畿(キョンギ)安山(アンサン)檀園高等学校は、この内77人だけが救助されたという便りに父母たちは泣き崩れた。
救助されて全南(チョンナム)珍道(チンド)鳥島面(チョドミョン)ソゴチャ村に移送された檀園高のソン・ジョンファ(16)さんは「無我夢中で脱出したが、出てきて見たら、まだ友達は出て来れずにいたようだ。 泳いで出てこようとしているのを見たが、救助された友達があまりに少なくて泣いている子たちもいる」と伝えた。 パク・スビンさんは「船が傾いて浸水が始まると、自信があれば甲板に上がり、自信がなければ海に飛び込めと言われたが、船が傾いていて甲板に上がれなかった子が多い」と話した。
午後に入って檀園高チョン・ジウン(16)君の死亡の便りが伝えられると学校の体育館でじりじりしながら救助の知らせを待っていた父母たちの脚がくずおれた。 珍島に向かうバスの中で息子の死亡の報せに接したチョン君の父親(48)は<連合ニュース>との通話で「息子が15日夜に船が仁川(インチョン)から出発すると母親に電話したのが最後だった。 携帯電話のバッテリーがなくて、すぐに切ったのが最後の電話だった」として喉を詰まらせた。 午後4時40分、木浦(モクポ)の韓国病院に到着したチョン君の両親は、息子が横たえられている安置室の前で嗚咽した。
父母たちは学校に設置された生存者名簿から目を離せずにいた。 ある父母は失踪者表示を生存者表示と見間違え安堵したが、失踪中である事実を遅れて確認した後、その場に座り込んだ。 一部の父母たちは15日夜の出港前に子供たちと通話する時‘霧のために気象状況が良くない’と言っていたとし、修学旅行日程を強行した学校側に不満をぶつけもした。
死亡が確認された淸海鎭海運の職員パク・ジヨン(26)さんの母親は、娘の死に衝撃を受け、立っていられず助けられて木浦(モクポ)韓国病院に入った。 パク氏のおじ、キム・ジョンギル(61)氏は「父親が亡くなり家計が苦しくなると大学を辞めて仕事を始めた。 母親と妹しかいないのに…」と不憫がった。 パク氏は事故の時に案内放送をしていて、遅れて海に飛び込み亡くなったと言う。
救助された高校生たちが収容された珍島室内体育館では、からだに毛布を巻き付けた高校生たちがじりじりしながら友達の救助の便りを待っていた。 救助された友達に会った高校生たちは、互いに抱き合っていた。 午後に入って相当数の友達が未だ救助されていないという便りが伝えられると、あちこちから泣き叫ぶ声が起きた。 高校生たちは水にぬれて使えなくなった携帯電話を持ちながら、未だ見つからない友達を心配して「どうすればよいのか」として足を踏み鳴らした。
急いで珍島室内体育館に駆けつけた檀園高の父母たちは、体育館に入る時に子供の名前を叫び号泣した。 体育館の入口に設置された救助者名簿を見るために集まった父母たちは子供の名前が見つからないと言いながら再び号泣した。一部の父母たちは 「名前がない」と言い、携帯電話をつかみながら嗚咽していた。 一部の父母たちは失神して担架に乗せられ病院に運ばれもした。 父母たちは 「事故が起きて8時間も過ぎたのに、どうして失踪者の数字も把握できないのか」と不満を吐き出した。
救助された高校生たちは友達の生存を祈る文をインターネットに上げもした。 ある生徒は "昨日の夜8時30分に船が出港するという知らせを受け取り、私たち全員が歓声を上げた。 ところが私の友人たちは誰も帰って来られなかった。 木浦の病院にて。どうか皆、生きて帰って来て。 チンギュン、ユソン、ヨンフン、ヒョンジュ…"
木浦/チェ・ウリ、イ・ジェウク、パク・キヨン記者 ecowoori@hani.co.kr