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「進歩運動 孤独な道、ゆっくり行こうと言えばよかった・・・」

登録:2014-03-14 17:34 修正:2014-03-15 09:07
故人の足跡

パク・ウンジ労働党副代表を送って

 パク・ウンジ同志は、2008年の総選挙でソウル銅雀乙選挙区の候補者だった私のために選挙運動をしてくれた同志です。当時3歳の子供を育てていたパク同志は、子どもを保育園に預けてから事務室に出て、私に随行して走り回りました。私より10歳も年下でしたが、いろいろな面で“実にすぐれた人”だと思いました。選挙が終わって数日後、私を訪ねて来ました。そして10枚ほどになる文書を恥ずかしそうに差し出すのでした。今後我々進歩新党(現在、労働党)がこのように進んでほしいという考えを書いたものでしたが、そのとき彼女は「党で働きたい」と言いました。理由を聞くと、学生運動を終えて生計のために期間制教師をしながらも、いつも頭の中には進歩運動家としての人生があると言いました。そして彼女は望んでいた通り、進歩新党の公募採用に合格し、メディア局長として仕事を始め、抜群の実力と情熱をもって33歳にして党の広報官になりました。非常に小さな政党、それも今は院外の進歩政党の広報官、それはあまりにも孤独でしんどい仕事です。

 彼女は酒には強くありませんでした。そんな彼女がある日「いま数人の記者たちと一緒にいる」として「立ち寄ってもらえないか」と電話をしてきたので行ってみると、学生運動時代の人脈と親交のある記者たちを集めて「なぜ皆さんは進歩政党の記事を扱わなければならないか」を酒に酔って説得していました。そうしてしまいにはバッタリと倒れてしまいました。

 それほどまでに自らの道に忠実だった彼女がこのようにあっけなく逝ってしまい、何とも言うべき言葉がありません。数ヶ月前から周りの人に苦痛を訴えていましたが、私たちはただその瞬間を慰めることしかできませんでした。私を含め、我々皆が彼女に負債を負っています。 泥沼にはまった進歩政党の道でこんなに淋しく、あっけなく逝ってしまうと分かっていたら、いっそ初めて訪ねてきたとき断固として止めておけばよかったと思います。彼女は力に余る時には「パク・ウンジは強い人間だ」と慰めてくれと言って、自ら心を引き締めていました。しかし、逝ってしまう数日前、「いくら強くなろうとしても、私は弱い人間のようです」と言って涙をたくさん流しました。何故その時「強くなくてもいい。あるがままで、ゆっくり進んでいこう」と言えなかったのか、悔やまれてなりません。

 パク・ウンジ同志、36歳という短い人生だったけれども、私たちに、慰めとは何であり、ともに歩む人がいかなる存在であるかを教えてくれました。もっと早く悟れなくてすみません。残された息子もちゃんと面倒を見ます。 そして進歩政党もゆっくり起こし立てます。昨日牡丹(モラン)公園墓地には日差しがあたたかく差していました。安らかに休んでください。ごめんなさい。

キム・ジョンチョル元労働党副代表

https://www.hani.co.kr/arti/society/obituary/627771.html 韓国語原文入力:2014/03/11 22:20
訳A.K(1315字)

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