"2月6日朝、まだ暗い鐘塔の階段を上りながら、(鐘塔へ至る)ドアが開けられないことを祈りました。 ドアを開けられなくて降りて行きたかったけど、結局ドアを開けて鐘塔に自らを閉じ込めました。」 26日ソウル鍾路区(チョンノグ)恵化洞(ヘファドン)聖堂の‘鐘塔座り込み’を終えて降りてきたオ・スヨン(39)才能教育労組支部長職務代行は、初めて鐘塔に上がった日のことを生々しく思い出すと話した。 鐘塔に上る間、汗が雨のように流れ、脚までフラフラしたその日から202日の歳月が流れた。 彼女は「まだ実感がわかない」と話した。 座り込みを一緒にしたヨ・ミンヒ(40)組合員は、何も言わず鐘塔を眺めていた。
高さ27mの聖堂鐘塔は緑色ぼ木の葉に覆われていた。 その上に薄緑色の垂れ幕2枚が風になびいていた。 ‘団体協約を締結せよ’ ‘解雇者全員原職復帰’。 薄緑色だった垂れ幕は半年を越える時間の経過と酷寒と風雨、猛暑に耐え抜いて色が褪せた。 オ氏とヨ氏はこの日午後4時頃、恵化洞の才能教育本社前で開かれた記者会見の間、ずっと道の向かい側の鐘塔から目を離せなかった。
高空籠城の終止符はこの日午後2時36分、オ氏とヨ氏が聖堂鐘塔十字架の脇で手を振る姿が見えて始まった。 2人は30余分後に聖堂建物を出た。 イ・ギョンオク民主労総サービス連盟事務局長とコ・ドンミン金属労組双龍(サンヨン)車支部対外協力室長が花束を手渡した。 オ氏とヨ氏は‘新たに始めよう’という意味が込められた白の運動靴を贈り物として受け取り、それを履いて鐘塔から続く3階の鉄門を通り52段の階段を踏んで地上に降りてきた。
"ジェットコースターに乗った後、地上に降りてきたような気持ちです。" 地上に降りてきた所感を聞くと彼女たちが話した。 鐘塔の上からは空だけが見えたので、長く続いた道を歩くのが覚束ない感じだった。 彼女たちは聖堂を抜け出し信号灯を渡った。 とても久しぶりに歩いて才能教育本社前まで300mにもならない距離を歩きながら眩暈を感じたという。
「これで自分が解雇者ではなく才能先生として戻れるんだな」というときめきが眩暈を更に招いた。 ヨ氏は「故イ・ジヒョン組合員の弟と通話しながら、代わりに戦ってくれて有難いという話を聞いたが、むしろ私の方がもっと有難かった。 ‘才能先生’という名前を取り戻すと約束したが、約束を守れてうれしい」と話した。
下で待ち望んでいた人々は降りてきた2人を暖かく歓迎した。 この間2人に食事などを支援してきたキム・ヒヨン ソウル西部非正規労働センター常任活動家は「おかゆとお湯を上げるために魔法瓶を買いに広壮市場に行った冬の日が思い出される。 病院に行って検査を受けて元気という判定が出ればビールでも一杯おごりたい」として涙まじりに語った。
記者会見の後「早く家に帰ってシャワーをしたい。 冷たいビールも飲みたいし」と話した2人は、ふと我に返ったように力説した。 「今後、私たちのような労働者にもう少し関心を持って下さい。 生きるために、また生きたくて高空籠城をしなければならないようなことが無いことを祈ります。" パク・スンホン記者 abcd@hani.co.kr