原文入力:2012/08/13 08:25(1580字)
不法査察被害者 オム・ユンソプ氏
‘監視’の恐怖でうつ病 亢進
3年に及ぶ苦痛の末…アパートから投身
去る2009年、国軍機務司令部の民間人不法査察で被害にあったオム・ユンソプ(45・写真)氏が自ら命を絶った。 国家権力が自身をこっそりと監視しているという不安感がオム氏を極端な選択に追い詰めたものと見られる。
ソウル銅雀警察署は去る7日未明、銅雀区(トンジャクク)、鷺梁津洞(ノリャンジンドン)のあるアパート花壇でオム氏が死亡しているのを住民が発見して申告したと12日明らかにした。 警察による調査の結果、去る5日ソウル、新林洞(シルリムドン)の自宅を出たオム氏は、2日後にこのアパートの18階から飛び降りたことが明らかになった。 短い遺書には「死で贖罪する」と記されていた。
ソウル大機械航空工学部博士課程を修了したオム氏は学部生時期の1986年ソウル大生キム・セジン、イ・ジェホ氏の焼身事件を目撃した後から憂鬱症状が始まり、特に3年前に機務司の不法査察にあった後に不安症状がより一層悪化したと家族は証言した。
夫人アン・某(44)氏は「査察波紋以後、夫はまるで背中に何かを背負っているようにストレスを多く受け、安定を得られずに常に不安で焦燥していた」と話した。 普段のうつ病を考慮しても機務司不法査察がオム氏を死に追い込んだ直接的原因ということだ。
機務司の民間人不法査察は2009年8月京畿道(キョンギド)、平沢(ピョンテク)で開かれた双龍(サンヨン)自動車ストライキ関連集会を録画した機務司捜査官が集会参加者に捕まって露見した。
当時の集会参加者は機務司捜査官から民主労働党党員と市民団体会員たちの日常生活が記録された映像テープと手帳などを奪ったが、2008年総選挙当時民主労働党ソウル、冠岳(クァナク)乙候補として出馬したオム氏はもちろん妻アン氏の日常生活を撮ったテープも発見された。
家族と知人たちは「不法査察事件以後、オム氏が周辺の人々に被害が及ぶかと思って心配していた」と伝えた。 オム氏とともに不法査察にあったチェ・某氏は「‘自分のために知人が被害を被りかねない’としてオム氏が連絡をすることも受けることもなかった」と話した。
夫人アン氏も「普段から夫は家の電話をあまり使わなかったが、ある日夫の携帯電話を見たら友人と知人の番号まで全て削除されていた」と伝えた。
誰かから尾行されているという不安感に苦しめられたオム氏は、去る2月ソウル、新吉(シンギル)駅付近の堤防の上を走って、足を踏みはずし墜落して骨折した。 5ヶ月間にわたり治療を受けなければならない重傷だった。 当時警察はオム氏の持ち物から携帯電話や連絡先を見つけられずようやく住民登録番号を確認して家族に事故を知らせなければならなかった。
江原(カンウォン)大医大ファン・ジュンウォン教授は「オム氏の場合、1986年焼身事件が心理的外傷として作用した可能性が高く、慢性的な‘外傷性ストレス障害またはうつ病’状態だったものと推定される」として「機務司の不法査察がうつ病を悪化させる要因として作用したようだ」と分析した。
オム氏は家を出た前日の4日夜、妻と2人の娘に自分だけの‘最後の挨拶’をした。 妻のアン氏は「その日夫が‘申し訳ない’という話をしたが、いつもは言わない言葉だった。 今考えてみれば、それが最後に残そうとした言葉であったようだ」として涙まじりに話した。
パク・ヒョンチョル記者 fkcool@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/546849.html 訳J.S