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【2012 九老アリラン(上)】華麗になった旧 九老(クロ)工団…労働者の暮らしはむしろ後退

原文入力:2012/01/08 20:01(2024字)
パク・テウ記者

九老(クロ)工団、どのように変わってきたか

輸出産業からIT団地へ再編…製造業・先端産業共存
アパート型工場が密集…1万余りの業所に14万人余りが働く
女工が暮らした市場‘蜂の巣村’には日雇い朝鮮族が集まる

←去る6日夕、ソウル、九老区(クログ)、九老デジタル団地の高層アパート型工場が火を灯している。 リュ・ウジョン記者 wjryu@hani.co.kr

 去る6日朝、地下鉄2号線の九老デジタル団地駅はソウルデジタル産業団地(以下、ソウルデ産)へ出勤する数万人の乗客をひっきりなしに吐き出した。 寒さに肩をすぼめた人々はちょこちょこ歩きでコーロン サイエンスベリー・テリュンポストタワーなど駅近隣のアパート型工場へ向かった。

 2012年現在、198万2千㎡のソウルデ産には1万余りの業者が入居しており、14万人余りの労働者が仕事をしている。 1960年代から輸出産業団地として造成され、全盛期だった1970年代後半には11万人余りの‘産業役軍’たちがこちらで‘国家経済発展’のために血の汗を流した。 しかし1980年代から財閥企業が主導する重工業へ産業の重心が移動して、1985年九老同盟ストライキなど労働運動に火が点き工団入居企業が一つ二つと抜け出た。 1995年工団の労働者数が4万2千人水準まで減り、政府は2000年から当時ブームが起きた情報技術(IT)産業中心の先端知識産業団地として育成することにし、九老工団の産業高度化政策を展開した。 名前も‘ソウルデジタル産業団地’に変えた。

 この時から九老工団のスカイラインが変わり始めた。 九老同盟ストライキの出発点になった大宇アパレル跡はオレンジアウトレット、暁星物産はマリオアウトレットのようなファッションタウンになり、甲乙電子があった所にはテリュンテクノタワー8次などアパート型工場が建てられた。 九老デジタル団地駅近隣の1団地は低層建物が珍しくなり、加山(カサン)デジタル団地駅両側の2・3団地も面積全体の半分以上が超高層アパート型工場に変わった。 韓国産業団地公団、ソウル市などがあたえる中小企業育成恩恵のおかげで製造業・情報技術業・物流業などを営む中小企業がアパート型工場を埋めた。

 変わったものは空間だけではない。 産業団地高度化戦略により製造業に代弁される旧産業労働者の比率が減って、出版・映像・放送通信および情報サービス業など新産業分野労働者の比率が増加した。 だが、産業の新旧を問わず、こちらの労働者は依然として非正規・低賃金・長時間労働に苦しめられている。 ソウル南部地域労働者権利事業団‘労働者の未来’のキム・ソンユン事務局長は「製造業生産職労働者は昼休みには建物外には殆ど見当たらない」として「作業と食事などを全て建物内で済ませ、日光を見るのが難しい労働者がほとんど」と話した。 一ヶ月平均250時間働いて130万ウォン余りを稼ぐ生産職労働者チュ・某(36)氏は「作業してアパート型工場の全面ガラスの外で一般事務職や研究員が休む姿を見れば、わけもなく腹が立つ」として「華麗になったスカイラインがむしろ自分自身をみすぼらしくさせる」と話した。 ‘先端知識産業’に従事する労働者たちも同じだ。 ソウルデ産で8年にわたりプログラム開発の仕事をしているチョ・某(41)氏は「夜勤を終えて夜11時を過ぎればタクシー代を節約するためサウナで眠る人も少なくない」と話した。

 九老工団の後背地域も次第に変化していった。 1970~80年代田舎から上がってきた女工のねぐらであった加里峰(カリボン)市場一帯の蜂の巣村は今は朝鮮族の密集地域になった。 こちらで30年にわたり仕事をしているある電波社の社長(69)は「女工が去り、90年代初期から朝鮮族が席を占め始めた」として「まだ家賃10万ウォンの部屋があるとは言うが、韓国人は10%にもならない」と話した。 労働者が酒杯を傾けた市場内のホルモン店、骨酔い醒ましスープ専門店もほとんどが朝鮮族の運営する食堂に変わった。

 20年間、九老工団で仕事をしてきたキム・ソヨン金属労組キリュン電子部会長は「20年前は働き口が豊富で工場の近所に乗合車を止めておき、きょろきょろしている求職者を工場に送り届けていた」として「今はインターネットを通じて採用するが、分かってみれば全て人材派遣業者が雇用する非正規職だ。 建物が華麗に変わったが労働者の暮らしはむしろ後退した」と話した。

パク・テウ記者 ehot@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/513839.html 訳J.S