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[低い声] これが住むところですか、ビニールハウスの方がまだマシです/イ・ジョングク

原文入力:2011/08/04 22:07‘地下室’で暮らす人々(3169字)
イ・ジョングク記者

下水口・浄化槽と同じ高さの暮らし
湿気・臭気・カビ・虫は日常
夫婦関係の声まで聞こえ

資本は大地を掘り下げた

1980年代に入り箱部屋村と改良韓屋が消え、3階建て多世代住宅が町内を占領した。家主は一階でも多くして賃貸に出すために地下を掘った。政府は地階に対する規制を緩和しそれを手伝った。‘土地効率’という名分だった。社会から追い出された人々は足を伸ばして横になれる最小限の空間を求めて地下を訪ねていった。‘安かったから’だ。 その結果、世界的に類例を探しがたい大規模‘地下居住者’が生じた。問題は深刻だった。こそ泥を防ぐために設置した防犯窓が反対に中で暮らす人を閉じ込め命を奪い取りもした。湿気と汚れた空気のために床も壁紙もカビだらけだった。地階暮らしが住民たちの健康を害するという指摘も出された。

果たしてこのような‘地下住居モデル’は妥当なのか? 2000年代初中盤にも議論は活発だった。進歩指向の研究所を中心に関連研究報告書が出てきもした。だが、今は研究も、関心も途切れた状態だ。最近、中部地方の水害により再び地下居住者たちの生活環境が議論され始めた。浄化槽と下水口を枕にして過ごす彼らを訪ねて行った。会った人々は異口同音に言った。‘人の住む所ではない’と。

キム・ヒスン(46・女)氏は今も雨音を聞いただけで胸がざわつく。今回の中部地方豪雨で自分の暮らすソウル、冠岳区(クァナクク)、ソリム洞の多世帯住宅‘地階2号’が廃虚に変わった。当時の状況を話しながら手と唇が震えた。恐怖で真っ青になっていた。

去る7月27日朝8時17分、給与60万ウォンの唯一の生計手段である地域自活センターに出勤するために弁当を用意している時だった。その日は休みの娘は朝寝坊をしていた。突然に‘シュク’という音とともに玄関のドア ガラスが割れ‘滝’が襲ってきた。足首まで溜まった水はあっという間に膝、そして首まで迫ってきた。背丈152㎝のキム氏は必死に玄関のドアを開けようとした。水圧のために開かなかった。「助けて下さい」と大声で叫んだ。寝ていた娘がもがきながら出てきた。119に電話した。つながらなかった。「ママ、お手洗い!」娘が大声で叫んだ。唯一、防犯窓がない所だった。1m30㎝の高さにある便器に上り狭い換気窓から脱出した。キム氏は普段だったら抜けられなかったと言った。「生きようとしたからこそ、その狭いところに体が通ったんだよ」としてあきれた表情になった。そして命は助かった。だが、すぐ「いたずらに生きているようだ」として涙を流した。

キム氏が地下居住者になったのは昨年7月だ。コンビニと食堂を営み不自由なくアパートに暮らしていた。 一人娘のために教育にも惜しみなく投資した。だが、夫の事業が失敗し、ばく大な借金を抱えた。 葛藤が嵩じて離婚まですることになった。保証金500万ウォン家賃30万ウォンの7坪の地階をやっと探した。初めて体験する地階は悪夢だった。悪臭は当たり前だった。上の階からトイレの水音、さらに‘夫婦関係’の声まで生々しく聞こえた。部屋の四方はカビだらけだった。便器に座ろうとすれば階段を上らなければならなかった。浄化槽がトイレの中にあるためだった。浄化槽・下水口と同じ高さに住むわけだ。キム氏は「文句の一言も言わない高3受験生の娘がありがたい」として、また涙を流した。
 「もう地下住居はなくさなければなりません。ここが人の住む所でしょうか。直ぐに出て行きたいです。」

だが、キム氏は出て行きたとも出られない。出て行くには契約を中途解約し違約金を払わなければならない。たとえ出るにしても、‘地上階’の部屋は保証金1000万ウォン以上で家賃が最低でも45万ウォンは払わなければならない。貸切に至っては夢のまた夢。「生きてどうします。もう匙の一本もないのに。」彼女の頬にはまた涙が流れた。

豪雨の時、水に浸って必死の脱出
出て行きたくても‘金がない…’
こういう住居形態、果たして正しいのか

←地下居住者などにとって防犯窓は監獄の鉄格子でもある。キム・ヒスン氏が水害当時を回想して物思いにふけっている。(左側)キム・ヒスン氏母娘が脱出したトイレの換気窓。普段は不便この上なかった‘高い便器’のおかげで命が助かった。

イ・スンジャ(62・女)氏は‘新参’地下居住者だ。今年3月14日に引っ越してきた。ソウル、舎堂洞から落星垈(ナクソンデ)にかかるカチ山の山裾にある貸切6000万ウォン11坪の地下室がイ氏の住居だ。イ氏は本来ソウル 江南で中産層以上の生活を送ってきた主婦だった。 58坪のアパートに住み子供3人を皆大学にやった。問題の始まりは夫の浮気だった。1997年のIMF救済金融に際して夫の事業が破綻した。アパートは競売へ付された。それでも夫の浮気は止まなかった。うつ病までが襲ってきた。離婚を決意した。 子供たちを連れて牛眠山(ウミョンサン)の麓のビニールハウス村に定着した。ビニールハウス村はそれでも相対的に空間が広くストレスが少なかった。本が好きだった子供たちが集めた本も捨てずに済み、きちんと保管できた。良い暮らしをしているようだったが、突然 韓国土地住宅公社(LH公社)がビニールハウス村を撤去し始めた。現政権の公約事項である‘くつろぎの里住宅’を作るためだった。補償金として1900万ウォンを受け取った。その金でソウルで家を見つけることは不可能だった。土地住宅公社がそれでも住宅貸切資金を年2%の金利で貸し出した。

半地下の部屋はすべてカビだらけだった。その上、一緒に暮らす末娘は、友人の家に行ってしまった。スキ間というスキ間には全て水が入り込み、新聞紙がべたべたと貼られている。まだ荷物の整理もできず、住居というより倉庫のようだ。子供たちがみな散り散りになって暮らしを助ける働き手もいない。「話にもなりません。これが住むところですか。死ぬこともできず、仕方なしに住むところですね。ビニールハウスの方がはるかに良いです。」

イ氏は今も14年にわたりうつ病薬を服用している。加えて高脂血症・糖尿病の薬まで飲む。最近では‘鉄欠乏性貧血’まで襲ってきた。冷蔵庫に病院でくれた‘食事療法案内文’が貼られていた。無理にでも食べるためだ。引っ越してきて一日に一食もまともに食べられなかったといった。うつ病も更に深刻になっている。一日に三回飲んでいた薬もこの頃は四回飲む。「医師が一日に2時間ずつ義務的に太陽の光に当たれと言うが、太陽を拝むこともありません。」イ氏はぼうぜんと湿気に満ちた天井を見つめた。

国内でほとんど唯一の‘地下居住者’研究者であるホン・インオク博士の2002年論文<地下住居と地下貸間>には次のような一節が出てくる。

“太陽の光がほとんど入らず昼夜を区別することも難しく、それであたかも時間が止まったようなところ、真夏でも湿気をなくすために定期的に暖房施設を稼動しなければならず、少し雨が降っただけでも、ひょっとして浸水するのではないかと不安に怯えなければならず、大雨が降れば間違いなく浸水する所、決して人が暮らすに値しない所、当然に不法建築物に分類され閉鎖されなければならない所、それがまさに地下住居だ。”

文・写真イ・ジョングク記者 jglee@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/490416.html 訳J.S