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[コラム]「尹大統領は私たちの時代の十字架だ」

登録:2023-04-27 02:17 修正:2023-04-27 08:26
歴史意識のない自らの無知を決断だと主張し、そのような無知を批判する人々をむしろ無知だと決めつけているわけだ。いくら大統領でも傲慢極まりない。このような認識と発言を一体どう解釈すればよいのか困り果ててしまう。
共に民主党政策委員会、対日屈辱対策委員会、強制動員議員の会の議員たちが25日午後、国会疎通館で記者会見を行い「100年前の歴史のために日本がひざまずけという考えは受け入れられない」と語った尹錫悦大統領を批判している/聯合ニュース

 米国を国賓訪問中の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が、出国直前に「ワシントン・ポスト」のインタビューで大きな問題を起こした。尹錫悦大統領が正確に何と言ったのか点検する必要がある。言葉は考えが外に出たものだ。

 「本当に100年前のことで、いま欧州では戦争を何度も経験し、その残酷な戦争を経験しても未来のために戦争当事国が協力していますが、100年前のことで無条件にだめだ、絶対ひざまずけという、これは私には受け入れられません」

 尹錫悦大統領の発言を新聞で見た政界の長老は翌朝、電話で次のように語った。

 「100年前のことだとは。よくあんなことが言える。尹錫悦大統領の気は確かか。日本が韓国を強占したため我々は国を奪われ、今日も国は分断されている。これは現在の問題であるのに、なぜ100年前の問題などと言えるのか」

 興奮がおさまらず声が震えていた。長老の言うことは正しい。尹錫悦大統領の発言は歴史意識がないという証拠だ。その後の発言も深刻なのは同じだ。大統領室海外広報秘書官室が公開した内容はこのように続く。

 「これは決断が必要なことです。説得においては、私は十分にしたと思います。(私は選挙の時、国民にこれを公約に掲げました)」

 選挙公約に掲げたのだし、選挙で勝ったのだから自分の決断は正当だという主張だ。ワシントン・ポストによると、「一部の批判的な人々は、自分の決定に決して納得できないだろう」とも語った。

 歴史意識のない自らの無知を決断だと主張し、そのような無知を批判する人々をむしろ無知だと決めつけているわけだ。いくら大統領でも傲慢極まりない。このような認識と発言を一体どう解釈すればよいのか困り果ててしまう。

 海外広報秘書官室は、尹錫悦大統領の発言は「金大中(キム・デジュン)-小渕宣言が発表された1998年に、金大中大統領が日本の国会での演説で、『50年足らずの不幸な歴史のせいで1500年にわたる交流と協力の歴史全体を無意味にするというのは愚かなこと』だと強調したのと同じ脈絡」だと説明した。

 しかし、金大中大統領はこの演説で「日本には過去を直視し歴史を恐れる真の勇気が必要であり、韓国は日本の変化した姿を正しく評価しつつ、未来の可能性に対する希望を見出さなければならない」と述べている。脈絡が全く異なる。今、日本は過去を直視していない。

 尹錫悦大統領の今回の問題は、大統領退陣を求める声にさらに力を与えそうだ。不幸なことだ。「ろうそく行動」は尹錫悦大統領の退陣を要求する集会を毎週末に行っている。カトリック正義具現全国司祭団は毎週月曜日に全国各教区を回り、「親日売国検察独裁政権の退陣と主権回復のための月曜時局ミサ」を行っている。

 だが、国を憂う長老たちの考えは少し異なるようだ。4月15日に公開されたオンライン媒体「フィレンツェの食卓」で、ハム・セウン神父とパク・チウォン前国家情報院長は、次のような会話をしている。

 ハム・セウン神父:「台湾の解放神学者、宋泉盛牧師は『復活は苦痛を受け入れることだ。十字架を抱くことこそ復活だ』と説明しています。私はセミナーの時、神学生とその部分を黙想しながら『ああ、そうなのか。復活とは私たちが存在する現実をありのままに抱き止めることなのだな。民族史、個人史、家庭史すべて…』と気づきました。だから私が青年たちの前で対話する時には、『尹錫悦大統領は私たちの時代の十字架だ。私たちの手で選んだのだし、5年間背負って行こう。ゴルゴダを越えて復活へと向かおう』と叫んだら、若者たちは少しは悟ったのです」

 パク・チウォン前院長:「私は『いかなる場合にも憲政の中断はあってはならない。選挙は激しく闘うにしても、当選した大統領の成功のために協力すべきことはしなければならない。それが金大中の行動する良心、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の目覚めた市民精神だ』と言うのですが、それに付け加えましょう。ハム神父も『尹錫悦大統領は私たちの十字架だから背負って行こう。絶対に憲政の中断はしてはならない』という意味でおっしゃっている。そう理解してもよろしいですよね」

 キリスト教にはイエスの十字架の苦難と死を意味する「十字架の道行」がある。ピラトの法廷からゴルゴダの丘まで、それぞれの意味を持つ14の地点を通りながら祈るものだ。ハム・セウン神父の比喩によると、まだわずか2地点を通過しただけだ。道のりは遠い。

//ハンギョレ新聞社

ソン・ハニョン|政治部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1089466.html韓国語原文入力:2023-04-26 15:31
訳D.K

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