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[寄稿]ポスト・トゥルース時代の韓国と大統領選挙

登録:2021-09-04 03:48 修正:2021-09-04 08:35
ホン・セファ|ジャン・バルジャン銀行頭取、「素朴な自由人」代表
//ハンギョレ新聞社

 先日放送された韓国放送(KBS)の時事企画「窓(チャン)」の「会長の賢い監房生活…カムバックホームの秘密は」編の最後に、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の国会議員時代の発言が紹介されていた。「財閥や大手企業のトップや役員ほどにもなれば、国家経済に貢献してきたという功労だとか国家経済に占める比重のため、裁判所で量刑を決める時からとてつもなく考慮されており、国民から見ると特別な恩恵を受けているのです。刑量で恩恵を受けているのに仮釈放でもまた恩恵を受けるとしたら、それは経済正義に反することだと私は思います」(2015年、国会議員文在寅)

 サムスン電子副会長のイ・ジェヨン氏は結局、仮釈放された。彼の2年6カ月の量刑は、(チョ・グク元法相の妻の)チョン・ギョンシム氏の4年に比べても非常に軽く思われた。スラヴォイ・ジジェクは「知ってはいるがそうはしない」ということをポスト・トゥルース(脱真実)時代の現象の一つと指摘しているが、その典型的な例を文大統領が示したわけだ。大統領府からは「国益のため」という言葉が発せられた。経済正義より国益が優先するという論理は、そもそも守旧勢力が愛用してきたものだった。定年を前にしたキム・ジンスク民主労総指導委員の昨年の復職要請に対しては法規定を掲げて最後まで無視した文政権が、イ・ジェヨン氏のためには法規定を修正してまで仮釈放を貫徹した。イ・ソッキ元議員は今回も仮釈放から除外された。彼が分断体制下の過度な量刑の犠牲者だということは、人権弁護士出身でなくても分かるだろう。

 韓国の守旧勢力は北朝鮮という恐怖を前面に掲げ、反対勢力に対する魔女狩りを行ってきた。抑え込めそうだった新型コロナのパンデミックが、デルタ株によって再び感染者が増えると、キム・ブギョム首相は守旧勢力と歩調を合わせ、7月3日の労働者大会で人が集まったせいでデルタ株が流行したかのように民主労総を非難し、警察は委員長に対する拘束令状を執行した。大会に参加した労働者が防疫指針を守り、大会に起因する感染者が1人も出なかったということは簡単に無視された。一時は民主化運動をしていた人物も、権力を握れば反共和主義的退行へと導かれるのか。アルベール・カミュによれば、「社会正義は秩序に優先する」という命題は共和国の礎となる原則だ 今日の韓国においては、国益の名の下に経済正義を裏切り、秩序の名の下に社会正義を裏切る反共和主義的政権が自称他称の進歩政権、ろうそく政権だ。ポスト・トゥルース時代を雄弁に物語る韓国政治の断面と言える。

 国会において共に民主党と国民の力は、現象としては互いに争っているが、本質では争わない。現象が本質を隠しているということについては、ハンギョレ新聞もきちんと指摘できていないというのが、普段からの私の考えだ。両党は、両党間の権力獲得ゲームに少しでも影響を及ぼす事案では懸命に争う。公捜処(高位公職者犯罪捜査処)法案の前で、そして最近の言論仲裁法案の前で、両党は熾烈に争う。少し振り返ってみよう。法を再改正してまで推し進めた公捜処法ほど、共に民主党が情熱を傾けた法案があったろうか。だが、その公捜処は当初期待していた通りのものとなっているだろうか。このように現象ばかりを追いかけていたら、本質を見落としうるのだ。両党は国民生活の懸案の前では熾烈に争わない。口先だけで争ったり、共に民主党がたまに「リップサービス」をしたりするだけだ。「安全のために涙する国民が1人も出ないようにします」(2017年4月13日、文在寅)という大統領選での公約には多くの人が感動したが、両党は重大災害(企業)処罰法案の前ではほとんど争わなかったし、法はスカスカになった。私たちは昨日も今日も、また明日も家に帰れない労働者のことを、無味乾燥な数字として聞かなければならない。不動産の両極化が極まって住宅価格が急騰すると、両党とも住宅富裕層のための減税に乗り出した。両党の差はわずか0.1%。連動型比例代表制を窒息させた衛星政党作りにおいても両党は同類だったが、不動産投機においても兄弟のように親しい間柄であることがあらわになった。その一方で労働権立法、医療の公共性の拡充、租税改革、教育改革などの重大な国民生活事案は彼らの主な関心対象ではなく、争いの種とはならない。法案自体が出てこないし、提出されても会期が満了し、審議未了で廃案となるのが常だ。まさに今、10万人の市民が請願した差別禁止法が、またもやその危険にさらされている。

 実際に両党の間には実質的な違いがないということを、キム・ジョンイン氏の行動ほど的確に証言してくれるものはないだろう。彼は4年を挟んで、共に民主党の非常対策委員会代表と未来統合党(国民の力)の非常対策委員長を務めた。国会の議場が英国のように与野党議員の向かい合う構造だったなら、こちら側に座っていた党の代表が突如として反対側に座っているという状況だ。これは分断体制の下、ポスト・トゥルース時代以前から韓国政治を規定してきた骨格構造だが、両党が両党とも衛星政党を作った背景と本音を説明してくれる。英国議会に例えると、本来なら片方に並んで座っているべき両党が、これまでのように向かい合いつつ議会を掌握し続けるには、英国労働党のような進歩左派政党の進入を防がなければならないからだ。政治権力を交代で握る既得権勢力として確立されるにあたって、両党は利害を共にしているのだ。

 大統領選挙を前に、多くの候補者たちが名乗りをあげている。ハンギョレをはじめとして、メディアは彼らが競争相手に対するネガティブ・キャンペーンを展開していることを非難する。公約を提示して討論せよと注文する。しかし、公約が有効なのは政権に就くまでであり、政権に就いた後にはその大半が空約となることを、文在寅政権は十分に示してくれた。4年あまり前に私たちが手にしたろうそくは、今どのようなかたちで残っているのか。当時は改憲論議も活発で、市民議会などの直接民主主義に対する熱望も表出していた。しかし、すべてが泡のように消えた。性的少数者に対する「後回し」も後回しのまま残されている。だが、政治家が手のひらを返すように自分の発言を覆しても、公約が空約となってしまっても、支持を撤回しないというのもポスト・トゥルース時代の現象の一つだ。政治家に対する好き嫌いの感情が、正しいか正しくないかの判断を圧倒するのだ。コンクリート支持層は守旧既得権勢力の専有物ではない。既得権勢力を形成させ、固定化するのがコンクリート支持層だ。大統領選候補たちはネガティブに走るものだ。ポスト・トゥルース時代には、自分の政策公約を宣伝するより相手を何とか貶める方がよっぽど効果的だからだ。

 気候危機、不平等の拡大、深刻な教育現実という桎梏(しっこく)の下、若者たちが未来を設計することの困難な「ヘル朝鮮」で、合計特殊出生率が0.8を下回るのは、ある意味当然のことだ。この積み重なった危機状況に対して、韓国の政界はその地形上、対処が困難だというもう一つの危機がある。時間はあまり残されていない。厳しい時期に、大統領選挙を控え、変革性と急進性が話題にならなければならないということを改めて強調する理由がここにある。

//ハンギョレ新聞社

ホン・セファ|ジャン・バルジャン銀行頭取、「素朴な自由人」代表 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1010313.html韓国語原文入力:2021-09-03 04:59
訳D.K

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