北京の玉淵潭公園は、春の花見の名所だ。数日前その近所の団地に行ってきた。最近亡くなった中国の反体制運動家である劉暁波氏の夫人である劉霞氏の自宅だ。
接近は容易でなかった。1階の玄関に制服姿の警備員2人が扇風機に当たりながら座っていた。友人に会いに来たといってベルを押そうとすると、まず訪問者名簿の作成が必要だと言い、そのうちの1人が私を連れて玄関を出た。数歩歩くと団地の出入口の外に出てしまった。背後の団地のドアからガタンという音が聞こえて、腕っぷしの強そうな男性2人が私に近づいた。彼らの後ろの仮設ビルではまた別の大男4、5人がうろうろしていた。
「どんな用事で来ましたか?」
「お仕事は何ですか?」
「私たちはこの団地の管理事務所です」
しかし、信じ難い。彼らは、誰に会いに来たのか、居住者の名前を言いなさい、身分証を見せてほしいなど様々な理由を挙げて私の進入を防いだ。原則的には見慣れない人の出入り制限は正しい措置だが、中国ではめったに見られない光景だ。普通の中国の団地は、配達員など非居住者が住民と共にさっと入っても引き止めない。
彼らの追及は自らの意図も露出させた。「中国人ですか、外国人ですか?」 「あなたがここに来たのは何回目ですか?一昨日も来ませんでしたか?」 「どこの所属ですか?」 劉霞氏の行跡を探している外信記者を意識した質問だった。
その前日にもここでは彼らが写真の削除を要求し、スペインのメディア取材陣を相手に取っ組み合いをし、彼らの申告を受けて出動した警察は、記者たちの“不法取材”の責任を問うた。劉暁波氏が息を引き取った遼寧省瀋陽では、私服警官4人が外信記者を追いかけ回し、さらにはトイレにまでついてきたこともあった。
大男たちに強要されやむをえず引き返しながら、中国は本当に臆病だと感じた。劉暁波・劉霞夫妻の存在を体制に対する脅威と感じるならば、ある意味理解できたりもする。しかしまた一方では、それほど自信がないのかとも感じた。すでに多くの国から畏敬を受ける中国ではないか。
そのうえ、これまで多く言及されたように、生前の劉暁波氏に対して全面的に進行されてきた統制は不必要と見える面があった。彼は、天安門事件以後ずっと収監の危険を押して、中国国内に留まり感動的な足跡を残したが、彼の主張を額面通りに公開したならば、果たして中国社会の一般大衆が無批判に彼に追従しただろうかという指摘だ。例えば、彼は冷戦以後の米国のすべての戦争が“道徳的に”正しかったとして、ジョージ・ブッシュ行政府のイラク侵攻も称賛した。「西欧化を選ぶのは人間になることを選ぶこと」と言っていた彼は、西欧列強の植民統治も擁護した。「香港が今のようになるのに100年かかったので、中国の大きさを考えれば今日の香港のようになるには300年の植民統治は明らかに必要だろうし、300年で充分かも疑わしい」。
だが、中国は国内マスコミの報道を遮断し、海外メディアの取材を妨害する。そして、外交部報道官は「国連193加盟国のうち、劉暁波問題に真に声を上げた国はいくつあるのか? 10分の1にはなるのか? 一度数えてみなさい」と、横柄に振る舞う。共に民主党が「今後中国が国際基準に合う人権が尊重される国家として歓迎されることを期待する」と明らかにするなど、韓国の政党がそれぞれ声明を出したことは本当に幸いだった。
団地の構内から完全に抜け出る時まで、一人の大男が私を追いかけてきた。曲がれば見えなくなる入り口まで来て、彼に向かって手を振ってあげた。乾燥した例年とは異なり湿度の高い蒸し暑い夏を迎えた北京で、冷房もないと思われる狭い仮設建物の大男たちのところに彼は戻っただろう。