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[寄稿]抗日戦勝記念日とアジアの平和

登録:2015-09-03 10:43 修正:2015-09-03 12:37

 今日、北京の天安門広場で中国の抗日戦争および世界反ファシスト戦争勝利70周年記念式と閲兵式(軍事パレード)が開かれる。

 なぜ中国の勝利記念日は9月3日なのか。朝鮮半島では南も北も8月15日を記念しているではないか。日本は1945年8月15日に降伏宣言をした。1945年8月15日正午、昭和天皇は「大東亜戦争終結ノ詔書」を発表した。「米英中蘇4国に対しその共同声明を受諾する」という間接話法で、日本の無条件降伏を求めたポツダム宣言を受け入れると宣言した。南北はこの日を記念する。

 だが、この日は日本が一方的に宣言しただけで、戦勝国と敗戦国の間で公式文書が締結されたものではなかった。公式降伏文書は、9月2日に東京湾に入港した米戦艦ミズーリの艦上で締結された。中国や米国をはじめとする連合国がこの日を基に日本に勝利した日(中国は翌3日)として祝うのはこのためだ。当時、戦艦ミズーリの調印式場に掛かっていた米国旗は、およそ一世紀前、ペリー提督が艦砲外交で日本の開国を強要する時に米国の旗艦に掛けられていたものだった。米国の勝利に確実な歴史的意味を付与するためだった。戦争の勝敗は軍事力で決定され、国家関係は力で規定されるという現実主義的な宣言でもある。

 このような現実主義的な国際観は、戦争状態を公式に終了させるためのサンフランシスコ講和条約でも貫徹された。中国大陸が共産化された後、米国は中華人民共和国を認めず、講和会議に招請することにも反対した。結局、朝鮮戦争中の1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約は締結されたが、これは歴史学者ジョン・ダワーが表現した通り「分離された平和」だった。当時激しくなった冷戦のため、アジア太平洋戦争を公式に終了させる条約に中国と韓国を排除したために他ならない。今も続く東アジア歴史紛争の種は、この時に撒かれたのだ。そしてその根源にあるのは、力で東アジアの半分を支配しようとする米国の国際観だった。

 米国は抗日戦勝日を記念しない。むしろ中国がこれを大きく記念している。ただ力だけを考慮している。米国は今日の同盟国である日本の過去を暴くことに消極的だ。台頭する中国は戦勝節で国力を誇示し“恥辱の世紀”を解消しようとする。

 そこで世界大戦に関連し、別の記念日を考える。5月9日だ。

 ロシアの戦勝記念日である。ドイツがベルリンで公式の降参承認書に調印したのは1945年5月8日だったが、調印式の時間がモスクワ時間では9日だったことによる。

ソ・ジェジョン国際キリスト教大政治・国際関係学科教授//ハンギョレ新聞社

 だが、5月9日は「ヨーロッパの日」としても記念されている。第2次世界大戦で灰と化したヨーロッパで再び戦争が行われないように、「戦争を考えることさえできなくさせるだけでなく、物質的に戦争を不可能にさせる」ために超国家的共同体をヨーロッパに建設しようという宣言が発表された日だ。この日は「シューマンの日」とも呼ばれる。この宣言を発表したフランス外相のロベル・シューマンの名前から取った。過去を直視して未来を夢見た彼らのビジョンは今日、ヨーロッパ連合として現実になった。

 ヨーロッパと違い、アジアでは20世紀の戦争と植民地主義が完全に終息されることはなかった。力を前面にした冷戦が平和体制の建設を阻んだためだ。“中国の夢”でなく“アジアの夢”を見ることができなかったためでもある。

 今からでも、戦争だけでなく植民地主義を清算し“野蛮な20世紀”ときっぱり決別しよう。そして和解と平和の21世紀を開く「朝鮮半島・アジアの日」を記念しよう。分断に寄りすがって手にした一握りの権力、一握りの財貨を守ろうとする“抜け殻”どもは出て行け。21世紀に必要なのは新しい世紀を開くビジョンだ。

ソ・ジェジョン国際基督教大学政治・国際関係学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-09-02 18:48

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/707109.html 訳Y.B

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