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[創刊25周年社説] 平和と共生の時代に進もう

登録:2013-05-15 10:04 修正:2013-05-15 10:32

 88年5月15日、世界史に類例のない国民株新聞の初めての歴史を開いた<ハンギョレ>が、今日でちょうど4半世紀をむかえた。 劣悪な資本構造と政治・経済権力による有形無形の弾圧など苛酷な困難の中でも<ハンギョレ>が25年の歴史を積み上げて最も信頼される言論としてそびえ立ったことは、ひとえに6余万の株主と読者、そして国民の皆様の熱い声援と支持のおかげだ。 改めて過分な愛情と声援に感謝を申し上げ、今後も期待に応えられるよう全力を尽くすことを確約申し上げる。

 25年前、ハンギョレを作って頂いた国民の要求は簡明だった。 ひたすら多数国民の側から真実を追求する言論になってくれというということだった。 独裁権力と結託して私益を握り、持てる者の利益に奉仕するために国民の目と耳を覆ってきた既存言論にうんざりしたためだ。 これまで私たちはこの要求に応えるために不断に努力してきた。 国民多数が尊重される社会になるための土台を、民主主義・民衆生存権確保・民族統一という創刊精神に整理して、それを実践するために資本と権力から独立した自由言論の道を歩いてきた。 国民の側に立った自由言論ハンギョレには報道のタブーも聖域も存在しなかった。 権力の不正に対する極めて厳しい追及の前に、大統領の息子も財閥総師も隠れることはできなかった。 南北分断体制を口実に強固に維持されてきた理念的偏見を正し、民族の和解と統一を操り上げるために努めた。 私たちの社会から無視されてきた社会的弱者を代弁し、彼らの涙を拭うことも私たちの役割だった。

 私たちのこのような努力は国民大衆の支持を受けたが、政治権力と資本権力の容赦のない弾圧に直面しもした。 リ・ヨンヒ論説顧問の投獄と編集局に対する押収捜索、広告弾圧など、一々数え上げることも難しい。 しかし私たちは決して屈服しなかった。 私たちの社会が今程度の発展を成し遂げられたところには、このように多数の国民の代わりをして戦ってきたハンギョレの功労も少なくなかったとあえて自負する。

 だが、私たちの成就は未だ脆弱だ。 私たちは李明博政権下で私たちが達成したと信じた民主主義が、どれほど簡単に後退できるかを確認した。 2度にわたり首脳会談をするほど一時は近づいた南北関係も、今は戦争の可能性まで心配しなければならない状況に後退した。 外国為替危機以後の社会経済的格差の急速な拡大で、等しく良い暮らしをする社会への夢はより一層遠ざかった。 言論環境も低級商業マスコミである総合編成チャンネルの登場と権力の言論掌握企図などで悪化の一路を歩んでいる。 資本の支配は25年前よりむしろ一層強固になり、社会の分離化はますます激しくなっている。

 これが新しい4半世紀の開始点に立った私たちが耐え克服しなければならない現実だ。 現実がこのように後退して悪化したことには、私たちの責任もなくはない。 時代の変化に合わせて創刊精神を焼き直し研ぎ整えることを疎かにして、外国為替危機以後に急速に進行された私たちの社会の新自由主義的転換に正しく対処できなかった。 進歩陣営を始めとした私たちの社会の多様な部分と意見を交わして疎通することも充分だったとは言い切れない。 時には生存それ自体に汲々としたりもし、無駄についたぜい肉で鈍重になり民衆の暮らしの現場をないがしろにしたこともなくはなかった。

 しかし今後はこれまでの功罪に対する冷静な評価を基に、再び新しい道程に歩み出さなければならない時だ。 民主主義、民衆生存権保障、民族の和解と統一は、今も私たちの変わらない課題として残っている。 これに加えて手綱が解けた資本の貪欲を飼い慣らし、全地球化した世界と共に生きなければならない新しい課題が私たちの前に置かれている。 既存の課題と新しい課題を合わせて解くためには、経済民主化を包括する民主主義の深化と、民族と国家内部はもちろんその垣根を越えてまで和解し共存できる平和と共生の精神が必要だ。 それこそが国民大多数を不幸のドロ沼に陥れた勝者一人占め社会が吹きだす毒を浄化し、共に生きる共同体に向かって進める道だからだ。 今や私たちは25年前の恐れることなく、しかも暖かかった初心に帰って、新たな道程に向けた第一歩を踏み出すだろう。 <ハンギョレ>が開く平和と共生の新しい時代に国民の皆様も喜んで参加して下さることを信じる。

韓国語原文入力:2013/05/15 訳J.S(1865字)