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[社説] 甦った南大門への決意

登録:2013-05-04 21:55 修正:2013-05-05 07:02

 崇礼門(スンネムン、訳注・南大門=ナンデムン)が帰ってきた。2008年2月、呆れかえる放火で焼け落ちてしまった崇礼門が5年3ヶ月の復旧工事を終えて、今日復旧記念式を開催。 崇礼門が真っ赤な火の中で空しく崩れ落ちた時、私たちの心も焼きコテを使って煮るかのように痛々しく焼け上がった記憶がまだ生々しい。それでも崇礼門は何事もなかったかのごとく立派に甦り我々の傷を癒している。

 特に失われていた伝統作業方式を再生した点は、国民に文化的な誇りを抱かせるに値する。私たちの時代の最高の職人が石の一つ一つ、瓦の一枚一枚に汗と魂を吹き込んだ。城郭の復元に使われた石は昔の石工が使ったノミとツチで彫って整えた。門の楼に葺いた瓦はクワで石や草の根のような不純物を取り出して足でこねて練り、筒で形作ってから、古来の瓦釜に入れて火でたいて冷ます作業を何度も繰り返したという。5年という長い歳月は私たちの誤りで失った崇礼門に捧げる贖罪の時間だったわけだ。

 日帝強制占領の期間に佗びしく切断された石壁が帰ってきたのも嬉しいことだ。東に53m、西に16mしか再生できなかったが、それでもその昔にぎわった城内の風景を思い起こさせる。

 同じ誤ちを繰り返さないように、最新式の防災装置を着けたというので、一応安心できる。光センサー型の熱感知器、侵入感知器、最新式センサーが装着されたスプリンクラーなどの最先端設備がそれだ。130万画素級の閉回路テレビ18台と管理を専門担当する人材も配置された。崇礼門は伝統と先端の二つの色調で彩色して再び私たちに帰ってきたのだ。

 しかしこれらすべてのものより重要なのは、文化財に対する私たちの姿勢だ。国民一人一人が文化財の重要性に気づいて、文化財を自分の身のように惜しむなら、私たちはそれほど大切な物をあのように空しく失う誤りを犯さないだろう。油断ない管理と保守、補修によって新しい生命力を吹き込んで、価値を保持し続ける作業も欠かすことはできない。

 崇礼門は文化財復旧の次元を越えて、時代の象徴を表わしているとも見られる。崇礼門は李明博政府の誕生直前に消失して李明博政府が退いた直後に戻ってきた。壬辰倭乱(訳注・文禄慶長の役)、丙子胡乱(同・17世紀の清の侵攻)、6・25戦争(同・朝鮮戦争)にもひるまず耐えた崇礼門だが、李明博政府の5年の惨状ばかりはとても見ていられずに背を向けたのではないかと思うほどだ。崇礼門の歴史がさわやかに新しく始まるように、朴槿恵政府も過去5年間に広まったあらゆる悪弊と退化を解消し、斬新な気風で国政を運営してほしいものだ。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/585813.html 韓国語原文入力:2013/05/03 18:58
訳T.W(1203字)

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