原文入力:2011/09/04 22:44(1894字)
クォン・テホ記者、イ・ジョンエ記者
ウィキリークス‘米外交電文’全て公開
‘キム・キョンジュン送還 先送りしてくれ’李明博側、米国に要請
北韓ミサイル発射後 米-参与政府 葛藤 高調
内部告発サイトのウィキリークスが2日(現地時間)自分たちが持っていた米国外交電文25万1287件を全て公開した。ウィキリークスは昨年11月から今まで米国<ニューヨーク タイムズ>、英国<ガーディアン>等、4つの国外媒体を通じて外交文書を次々と公開してきたが、最近万一の事態に備え‘護身用’にしていた秘密電文の暗号がすでに流出したという判断によりすべての電文を‘編集しない状態で’今回サイトに上げた。
■ 2007年韓国大統領選挙の時
米国は2007年大統領選挙当時 米国政府は李明博 ハンナラ党候補と‘BBK株価操作事件’に非常な関心を持ち継続的に見守っていたことが明らかになった。
ハンナラ党の大統領候補選挙戦が激しかった2007年7月、アレクサンダー バーシュボウ駐韓米国大使は本国に送った外交折衝電文を通じてBBK事件で李明博候補が危機に陥ったとし、これを反転させられないならば全てが飛んでしまうと展望した。
また、イ候補がハンナラ党候補に選出された以後の同年10月、イ候補陣営がBBK事件の核心人物であるキム・キョンジュン氏の韓国送還を先送りしてくれと米国側に要請していた事実も新しく明らかになった。当時ハンナラ党共同選対委員長を引き受けていたユ・ジョンハ前外相はその年10月25日、バーシュボウ大使に会いイ候補は専門的な詐欺事件の被害者であり、キム氏の韓国送還はイ候補の選挙運動に影響を及ぼす爆発的イシューになると話した。また、米国がキム氏を大統領選挙期間に送還するならば、それは内政干渉になるとし、米国は韓国に対する内政干渉を止める方が賢明だとの主張もした。しかし1週間後の31日、ユ前長官に再び会ったバーシュボウ大使は、米国がすでに2005年12月にキム氏の送還を承認しており、キム氏本人がこれを拒否していないため彼の送還を延期する法的根拠がないとし、キム氏を送還するだろうと伝えた。
駐韓米国大使館は2007年1月12日、ハンナラ党選挙候補者などを分析しつつ、朴槿恵前ハンナラ党代表が1960~70年代の経済開発に成功した朴正熙前大統領の娘であり好意的に記憶されており利点があるが、女性という点は弱点だと報告した。
■ 米、対北韓問題を巡り参与政府高強度圧迫
2006年7月5日北韓のミサイル発射以後、米国政府は韓国の対北韓政策に強い不満を吐露した。バーシュボウ大使は同月11日に予定されていた南北長官級会談を延期することを注文し、クリストファー ヒル当時米国側 6者会談首席代表も韓国政府に金剛山(クムガンサン)観光の中断を圧迫した。しかし、イ・ジョンソク当時統一部長官の反対で南北長官級会談は予定通りに開かれ金剛山観光も維持された。
ハンナラ党は対北韓政策と関連して参与政府と米国間に生じた間隙を積極的に活用した。2006年10月27日、バーシュボウ大使が本国に送った電文を見れば、イ・サンドク当時国会副議長は10月25日 バーシュボウ大使との昼食で参与政府の韓-米同盟および北韓問題処理に対し全般的な憂慮と不満を表した後、ハンナラ党が米国の最上のパートナーと強調した。また、イ・サンドク副議長は2008年大統領選挙でハンナラ党が執権に成功するならば韓国と米国間の不和が解消されるという意を表明することもした。
■ 李明博政府-米国、北韓急変事態を議論
2008年8月27日付駐韓米国大使館発電文を見れば、同年8月25日に開かれた韓-中首脳会談で李明博大統領は北韓の急変事態を意味する‘韓半島の可能な状況’と北脱出者問題に対して議論してみようと胡錦濤中国国家主席に提案したが、胡主席には何の反応も見られなかった。金正日北韓国防委員長の‘健康不安説’が出てきた直後であった。バーシュボウ米国大使も北韓の急変事態に対して韓国と議論を本格的に始めることを本国に建議した。韓・米両国は以後、北韓との対話と交流よりは圧迫政策に傾き始めた。 ワシントン/クォン・テホ特派員、イ・ジョンエ記者 ho@hani.co.kr
原文: 訳J.S