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[寄稿]ミャンマー・クーデター1年…兵士に花を渡した市民たち、銃を取って春を待つ

登録:2022-01-27 08:25 修正:2022-01-27 11:21
[ミャンマーから届いた手紙] 

「国民の軍隊になってほしい」との願いにも発砲 
民主主義の5年間が一瞬にして血に染まった 
 
国際社会の消極的対応など「平和への遠い道のり」 
武装した青年たち、軍部との「長い闘い」 
ミャンマーのクーデターから1カ月後の昨年3月1日、最大の都市ヤンゴンで市民たちが片手に赤いバラを持ち、もう一方の手で抵抗を象徴する3本の指の敬礼をしている=ヤンゴン/EPA・聯合ニュース

 ミャンマーの人々は民主化運動のことを「春の革命」と呼んでいます。去年の2月1日の春ははかなく過ぎ去り、1年が過ぎてまた春が近づいています。

 クーデターが発生した「あの日の朝」の混乱は、私にとっても長く悩まされる悪夢となりました。すべての通信が途絶えたため、重苦しい気持ちで慌ただしく車で職場に向かうと、ミャンマーの同僚たちはこわばった顔で「クーデターが起きたって」と言ったのです。数日前、クーデターが発生する可能性があるという外交公館の公示が出たその翌日、軍司令官を務めていたミン・アウン・フラインはテレビに出演し、「そのようなことはないだろう」と正式に発表していました。まさかと思った後に裏切られたようなこの重苦しさ…。私ですらそうなのに、現地の人々はどんな気持ちだろうかと思いました。

 翌日、全国の市民たちは夜8時になると、軍部に反対するという意味を込めて鉄製のナベなどを力いっぱい叩き、大通りに繰り出して抵抗歌を歌いながら民主主義の回復を叫びました。すると武装した兵士と装甲車が通りを埋めはじめました。2月末になると、兵士たちに花を差し出して「国民の軍隊と警察になってください」と叫んだ市民たちが、放水とこん棒を浴びて倒れはじめました。デモ隊に向けて発砲する軍と警察の姿を見て、5年間続いたミャンマーの民主主義が一瞬にして血に染まっていくのを感じました。私がいた平和なこの場所が果たして現実の世界だったのか、混乱しました。1カ月で450人あまりが銃弾に倒れ、2カ月で800人あまりが花と散っていく過程を記録として残すために、悲惨な写真と映像を眺めつつ、何度もパソコンの電源をつけたり消したりを繰り返しました。

 最大の恐怖は学生たちの犠牲でした。それだけは耐えられなかったので、震える声を抑えながら興奮した人々を励ましました。SNSに血まみれの残酷な映像が上がってくると、その日は私も学生も授業はできそうにないという無言の雰囲気に包まれ、休講せざるを得ませんでした。そうしてまた幾日が過ぎ、ようやく心を落ち着かせて授業を行いました。

 6月になるとミャンマーは雨期に入ります。昨年の初めにインドで発生したデルタ株がミャンマーへと南下して来て全国を襲いました。医療陣もデモに参加していたため、医療システムは無防備になっていました。多くの人が1人また1人と倒れはじめました。7月には15年来のミャンマーの友人をはじめ、学生の親や職場の教授、現地に住む韓国人たちまで惜しくも命を失いました。デルタ株は中世の疫病のような恐怖とともに全国を襲いました。クーデターや新型コロナウイルスのせいで、呪われた地から抜け出したくても抜け出せませんでした。そして、8月になると少しずつ状況が良くなっていきました。ウイルスが抑え込まれたわけではなく、ほとんどの人が感染したため集団免疫が形成されたのです。

 9月になると、国民統一政府(NUG)は軍部に対して全面戦争を宣言します。3月から4月にかけての軍部による武力鎮圧で犠牲になったミャンマーの若者層やMZ世代は、平和デモではなく武装抵抗が必要だと判断し、辺境で活動している少数民族の武装団体で軍事訓練を受けはじめました。当初、軍部は彼らの行動に大きな意味を見出していませんでした。しかし徐々に脅威となっていくと、軍部は若者たちをテロリストや敵だと規定し、戦闘機、ヘリコプター、重火器などを投入して鎮圧を開始しました。市民軍が活動する辺境や山岳地帯は報復の対象とされ、村全体が燃やされ、その過程で罪のない民間人が虐殺されることもあります。逃げた市民は難民となり、二重苦にさいなまれています。

 ミャンマーの事態に対する国際社会の消極的な対応により、事態が早期に改善されるだろうという希望は消え去りました。そのため、ミャンマーの国民は銃を取ることになったのです。この対立は長くは続かないだろうという予想に反して、市民は民主主義を勝ち取るために「長い闘い」に突入しようとしているようです。この闘いが長くならざるを得ないのは、1988年のいわゆる「8888革命」とは明らかに異なる性格を持っているからです。当時の市民の抵抗は、軍部の誤った経済政策と国際的な孤立により、国民生活が破綻したから起こったのです。軍部の暴力鎮圧によって数千人の犠牲者が出ましたが、この悲劇が外部世界に伝わったのは後の事でした。

 今回も軍部は、以前のように国政が安定すれば総選挙を実施し、政権を委譲すると発表しています。しかし、今までの歴史的経験を通じて軍部の本音を理解している市民は、もはやこの話を信用しなくなっています。ミャンマーの市民は、2016年からの5年間の民主主義体制の下で、毎年8%以上の成長を遂げた目覚ましい経済発展と真の平等と自由を経験しました。経済成長がもたらした通信の発達で、ミャンマーの状況は一瞬にして全世界に伝わります。昨年1年間に韓国国民から送られて来た支持と声援は、ミャンマーの国民にとって大きな勇気となりました。ミャンマーに早く暖かい春がやって来ることを願います。

ヤンゴン/チョン・ギホン|釜山外国語大学ミャンマー語科特任教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/asiapacific/1028981.html韓国語原文入力:2022-01-27 04:59
訳D.K

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