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世界最大「少数」民族クルド シリア内戦避けイラクへ

登録:2013-06-11 22:54 修正:2013-06-12 10:43
国家解体された後 3000万人「居候」
イラク迫害避けシリア行から逆転
「政府軍・反政府軍 どちらも信じられない」

国境周辺難民キャンプに5万人居住
イラク内クルド自治政府 支援
避難民増える場合、持ちこたえるのが難しそう

 シリア内戦の長期化により、独自の主権国家を造れなかった世界最大の少数民族であるクルド人が、イラク行エクソダスに乗り出している。1980年代、イラクのクルド人が、当時のサダム・フセイン イラク大統領の迫害を避けてシリアへ大脱出を試みた状況が今度は逆転したわけだ。

 アルジャジーラは9日、クルド人の難民村が作られたイラクの「トミーズ・キャンプ」現場を報道した。シリア‐イラク国境から60km離れた都市であるドホーク郊外に位置したドミズ キャンプには、現在5万人余りが生活している。アルジャジーラは、約9万人のシリア難民が留まっているヨルダンのザータリ・キャンプよりははるかに安定して清潔に維持されていると伝えた。国連と外部の援助機関に主に依存しているザータリ・キャンプでは、劣悪な衛生状況、食糧と水の不足などで、難民が数回暴動を起こすことさえあった。

 ドミズ キャンプも国連難民機構(UNHCR)の助けを得ているが、イラク内のクルド自治政府の支援に大きく依存している。マスード・バルザニ自治政府大統領は、トルコ、レバノン、ヨルダンなどで歓迎されないクルド人を直ちに迎えた。シリアのカミシュリから来た自営業者のアプテルカドルは「ドミズ キャンプでは、私たちをシリア人としてではなくクルド人として受け入れてくれる」と話した。

 シリア内戦でもクルド人は「挟まれた存在」だ。 バシャル・アサド政権と反乱軍の間に挟まり、どちら側の保護も受けることができなかった彼らは、恐怖の中で国境を越えた。ほとんどのクルド人はスンニ派だが、シーア派であるアサド政権はもちろん、スンニ派である反政府軍も信頼しない。3人の子供の母親であるペリダは、「政府軍も反政府軍も、どんなことでもやりかねない人々だ。クルド人はいつも被害を受ける」と話した。結局、クルド人を受け入れる所はクルド人しかなかった。彼らはクルド自治政府が管轄するイラク東北部を目指し、数百マイルを帰ってきた。

 約3000万~3800万人と推定されるクルド人は、オスマントルコ帝国が解体された第一次世界大戦以後、トルコ、イラク、イラン、シリアなどの地に散って暮らし、受難の歳月を耐えてきた。トルコはクルド人が最も多く住む所(約1440万人)だが、「トルコの父」と呼ばれるケマル・パシャは、「クルド人は、山に住むトルコ人に過ぎない」として、クルド人の独自アイデンティティを否定した。 4月、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相とクルド族反政府軍指導者であるアブドゥッラー・オジャランが平和協定を結び、歴史的転機を作ったが、クルド人が要求する憲法改正案が受け入れられない場合、再び衝突する可能性がある。

 イラクでは、湾岸戦争当時、クルド人が米国を助けたとして、フセイン政権が化学兵器を用いてクルド人を10万人以上殺害した。以後、米国などの支援の下、クルド人はイラク北東部に自治政府を建てたが、中央政府とは依然として刺々しい間柄だ。クルド自治政府は、独自に西側の石油メジャーと契約を結び、石油を輸出してイラク政府と緊張を生じさせている。

 しかし、シリア内戦が激しくなり、イラクのクルド自治政府もシリア・クルド人を世話することがますます手に余るようになっている。今年に入り、ドミズ キャンプには約2万人のシリア・クルド人が怒涛のように流れ込んだ。アルジャジーラはバルザニ大統領の善意にも関わらず、服と食料、水を供給することがますます難しくなっていると報道した。

イユ・チュヒョン記者 edigna@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/arabafrica/591259.html 韓国語原文入力:2013/06/11 08:30
訳M.S(1724字)

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