本文に移動

[ハンギョレ21 2011.11.14 第885号] 国家とは何か

http://h21.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/30754.html

[萬里峙から] イ・ジェフン(1952字)


国家は企業より民主的だ。 普通選挙権を保障する現代国家の作動原理は‘1人1票’だ。 イ・ゴンヒ三星会長でも路上生活者でも‘一票’の権利を持つ。反面、株式会社の意志決定原理は‘1株1票’だ。 イ・ゴンヒ会長と少数株主の権利を合法的に差別する。 同じ多数決だが‘1人1票’が現代民主主義の基盤ならば、‘1株1票’は強者の支配手段だ。 したがって企業が国家を圧倒する体制は独裁者や軍部が国家を勝手気ままにする体制と同じくらい民主主義とは距離が遠い。金融資本中心の米国式新自由主義に捕縛された21世紀、ニューヨークをはじめとする世界ぼ随所で「私たちが99%だ」という叫びが力を得る根底には‘1人1票’を無力化した‘1株1票’の専横に対する怒りがある。

現実は原理・原則よりはるかに複雑でむさくるしい。 21世紀を生きていく世界市民の内で自身が属している国家の政府が十分に民主的だと考える人がどれくらいいるか。それでも原理は重要だ。 その原理までが毀損されるならば、金がなく無力な人々と障害者・同性愛者などの社会的弱者が寄り添う丘がどこにあるだろうか。


韓-米自由貿易協定(FTA)に問題があるのは、こういう民主主義の根幹を傷つける危険のためだ。投資家、すなわち特定企業がFTA違反を理由に相手国政府を提訴できるようにした‘投資家-国家訴訟制’(ISD)が代表的だ。 ホン・ジュンピョ ハンナラ党代表さえ野党時期の2007年 「韓国の司法主権を米国に捧げること」としながら反対した経緯がある。メキシコ・アルゼンチンなど米国とFTA・投資協定を結んだ各国の公共政策はISDを前面に押し立てる米国大資本の攻撃により常に無力化される。 在来市場と小商人、中小企業を保護しようとする‘SSM法’(流通産業発展法)と‘共生法’(大・中小企業共生協力促進に関する法律)等に対して外交通商部がFTAに反するとして反対するのもISDの‘威力’を意識してのことだ。問題は政府のこういう態度が違憲的だという事実だ。「国家は…市場の支配と経済力の乱用を防止し、経済主体間の調和を通じた経済の民主化のために経済に関する規制と調整ができる」(憲法119条2項),「国家は農業および漁業を保護・育成するために農漁村総合開発とその支援など必要な計画を樹立・施行しなければならない」(憲法123条1項)「国家は中小企業を保護・育成しなければならない」(憲法123条3項)。要するに経済民主化と農業・中小企業保護は大韓民国公務員たちが決して放棄してはならない憲法的責務だ。 政府とハンナラ党などが‘市場開放と脱規制の消費者厚生’ ‘国際標準’などを前面に掲げ韓-米FTAを押しつけようとしているが、いずれも憲法を越えることはできない。特定国家の主権は原則的に人道的災難など特殊な場合に限り国際法により‘世界政府’の地位を与えられた国連の介入によってのみ制限されうる。 FTAを理由にした主権の制約は‘グローバルスタンダード’ではない。


FTA賛否論難を‘開放vs鎖国’の二分法構図に追い込むことも真実と関係のない扇動に近い。 FTAは本質的に保護貿易主義だ。 FTAは協定当事者間だけに最恵国待遇を保障し、他国の市場接近権は差別する。 ‘1国1票’の原理に基盤を置いた世界貿易機構(WTO)が推進してきたドーハ開発アジェンダ(DDA)等、多者貿易体制構築努力が各国の利害相反のために遅々として進まない状況で、大企業が各国政府を押し立て市場を先行獲得しようとする手段がまさにFTAだ。 FTAは国際貿易標準ではないのみならず、徹底して弱肉強食の原理が支配する。 自動車産業のために農業などを放棄せざるをえないという韓国政府の主張は堪え難い。 強者を優待するために弱者保護義務を放棄する政府のFTA政策は国家の存在理由を否定するためだ。国連憲章と国際人権法と大韓民国憲法はチョン・モング現代車会長、300日を超えて釜山の空に淋しく上っっているキム・ジンスク民主労総指導委員、智異山(チリサン)中黄村の村老、ソウル、西大門(ソデムン)、霊泉(ヨンチョン)市場の野菜売りのおばあさんを同等な人格として待遇する国家の義務を規定している。国家がこういう責務を無視するなら、民主主義が立つ場所はどこにあるのか。‘国家とは私にとって何か?’という市民たちの正当な問題提起を無視する権利は国家にはない。


原文: 訳J.S