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孤独な平和の旗、カンジョン[ハンギョレ21 2011.08.08第872号]

「外部勢力」が破壊したカンジョン村の平和、済州共同体の文化
クロムビ岩を引き割き、住民をボム島の断崖に追いこむ勢力とは誰か

コ・ナム

島で反乱が起こった。元が中国を統一した後、耽羅(済州島の昔の名前)に牧胡(モクホ)が派遣された。牧胡とは馬を育てて管理するために派遣されたモンゴルの役人だ。1368年、明が元を草原に追い出した。恭愍王23年(1374年)、明は高麗に馬2000頭を要求した。高麗朝廷は耽羅に残った牧胡たちに馬をささげろと要求した。牧胡らは「私たちの王様が育てた馬を、敵に送るものか」と、300頭以上は捧げられないと拒否した。高麗が派遣した官吏と兵士たちの首をはねた。当時、高麗の役人はモンゴル人よりも厳しく耽羅の人々を搾取した。耽羅土着民の相当数も牧胡の側に立った。
 
▲7月26日、海軍基地の建設予定地である済州カンジョン村クロムビ岩の前には、市民が平和の願いを記した木版が針金に掛かっている。
終わっていない悲劇、牧胡の乱

恭愍王(コンミンワン)の命を受けた将軍崔瑩(チェ・ヨン)が、同年、船314隻に精鋭兵2万5605人を引き連れ、牧胡討伐に乗り出した。高麗の遼東討伐軍の規模が3万8830人だったことを考えると、巨大な規模だ。崔瑩は兵士たちに、「住民のうち、敵(牧胡)の側につき命令に従わない者は、殲滅せよ」(『高麗史』)と命令した。2万5000の討伐軍と牧胡騎兵3000が戦闘した。牧胡たちは数の劣勢を克服できなかった。敗れた牧胡らは西帰浦の近くの小さな岩島、ボム島に追われた。牧胡の肖古禿不花と觀音普は崖で自殺した。降伏した石迭里必思は斬首された。40数年後、ハダムという朝鮮の役人が当時戦闘を目撃した済州の住民の話を記録した。「私たちの同族でないものが混ざって甲寅の変を引き起こした。剣と盾が海を覆い、肝と脳が大地を覆った」。牧胡の乱はそのように鎮圧された。

西帰浦カンジョン村の海へと済州オルレ7コース[散歩道]が続いている。この道を歩くとクロムビ岩の前に牧胡の乱を記録した案内板を見ることができる。視線を左に回すとボム島が見える。カンジョン村は、行政区域西帰浦市テチョン洞に属する7つの自然の村の一つだ。住民1900人余りがミカン農業、花卉栽培などをしてきた。火山島済州では珍しく、カンジョン川が流れる。「カンジョンの赤ん坊はご飯を与えても与えても泣く」という言葉がある。済州では貴重な米がカンジョンではありふれているという意味だ。人心も豊かだった。クロムビ岩は一塊となった溶岩だ。クロムビという地名は、グロムビナン(ハマビワ)がたくさんあったことが由来だという。海軍の計画によれば、2014年以降、カンジョン村の浜に立ち、波とボム島を同時に眺められる住民はない。「カンジョン川~クロムビ岩~カンジョン浦」に続く約2kmの浜一帯に海軍基地が建設される予定だ。海軍は53万㎡規模の軍港埠頭1950mと15万t規模のクルーズ船2隻が繋留する民間埠頭1110mを造る計画だ。埠頭に必要な土地20万㎡は、海を埋め立てて造るという計画も含まれている。海軍は、3mの高さの塀で48万4000㎡(埋立予定地20万㎡を含む)の工事予定地を囲んだ。


▲済州海軍基地建設に反対する住民と市民団体の会員らが7月26日の夜、西帰浦市テチョン洞にある海軍基地推進事業団の前でろうそく文化祭を終えた後、カンジョンの村に行進している。

7月26日昼、カンジョン村の前の往復2車線道路では、1980年代の大学の正門への進入路を思い起こさせた。道の両側に海軍基地賛成側と反対側が掲げた垂れ幕が続いていた。「カンジョン村! 海軍基地を防ごう! 子孫の罪人にはならない!」(カンジョン町内会会長カン・ドンギュン)、「カンジョン村の健康が私たちの健康! 海軍基地建設反対!」(サルリム医療生活協同組合事務局一同)、「島民の生存権を脅かす済州海軍基地建設を撤回せよ」(済州海軍基地の白紙化のためのチョチョン邑対策委)、「済州島4無、泥棒、門、乞食、そして、海軍基地」(参与連帯)。

数ははるかに少ないが、賛成側の横断幕も見える。「外部勢力は出て行けばお終い。カンジョン住民のみなさん、外部勢力を追い出しましょう」、「カンジョン村は左派勢力の集結地か? 私たちの問題は私たちで解決する」(民官複合海軍基地賛成カンジョン住民一同)、「パク・ウォンスンは言語攪乱戦術でカンジョンの住民を洗脳するな!」(民軍複合済州海軍基地建設カンジョン推進委員会)という垂れ幕が村の前の道路で目にとまった。今年5月末、カンジョンを訪ね、海軍基地反対の意向を明らかにしたパク・ウォンスン希望製作所常任理事を狙ったと見られる。

横断幕のことばは熱かった。頻繁に使われる感嘆符、세뇌(洗脳)を쇠뇌と書き間違えるなど、賛否双方の感情の激しさを思わせる。しかし、拡声器のデシベルが高すぎるとうまく聞こえないように、横断幕のことばはとても熱くカンジョン村の切迫感がすべて込められていなかった。本当の切迫さは「生きるのが地獄のようだ。昔は道を行くと三々五々集まって話を交わすことが多かったが、今では人々が家の外に出てこない」と記者に語ったKさん(61)の疲れた口調から感じられた。

強引な投票、耳を塞ぐ裁判

国防部は2001年~2007年3月、西帰浦市ファスンとウィミ里に海軍専用の埠頭を建てようとしたが、住民の反対でそれぞれの失敗に終わった。2007年、キム・テファン前済州道知事が、急に速度を上げた。2007年4月26日、カンジョン村の住民1900人余りのうち87人だけが参加した村の総会で、海軍基地の誘致を決定した。村総会の公示が掲載された4月22日からわずか4日後だった。ユン・テジョン村会長(当時)は規約上住民50人以上が参加すれば総会が成立することを根拠に挙げた。同年5月14日キム・テファン知事は、済州海軍基地建設の最優先対象地にカンジョン村を選定したと発表した。済州島民1500人を対象にしたアンケート調査で賛成意見が多かったことを根拠として提示した。

すぐに手続きの民主性の問題が浮上した。2007年8月カンジョン村の住民たちは再び総会を開き、725人の在籍議員のうち、賛成36票、無効10票、反対680票の圧倒的多数で、海軍基地建設に反対した。2007年11月、国会国防委員会でも手続き上の問題が指摘された。国防部は、海軍基地予定地の環境影響評価が出るにはまだ時間のある2007年に、国会に海軍基地用地の買収と補償費324億ウォンを策定した2008年度予算を掲げた。キム・チャンス国防長官(当時)は、手続き上の問題はないと重ねて主張した。盧武鉉前大統領は、同年6月、「武装せずに平和を保つことはできない」とし、済州島を平和の島に指定することと軍事基地の建設は並行可能だと明らかにした。

カンジョン村の人々は法廷闘争で負けた。絶対保全地域変更処分無効訴訟と国防部長官を相手とした国防・軍事施設事業実施計画承認処分無効確認訴訟もそれぞれ2審と1審で敗訴した。「なぜ今工事中止の活動をすべきか知っていますか? 工事が今年進められると、後に裁判しても、『訴えの利益がない』とされるから」。カン・ドンギュン会長は最近、バージ船に上がって工事を阻止し、逮捕された。一生農業と肉体労働をしてきた彼は、法の論理を体で理解していた。

今年2月に工事の開所式が開かれてから現在までカンジョン村の緊張は高くなる一方だ。7月、コ・クォンイルカンジョン村海軍基地反対対策委員長とソン・ガンホ牧師は業務妨害の容疑で拘束された。政府と海軍は住民72人とカンジョン村会を対象に工事妨害禁止仮処分訴訟を出した。済州海軍基地の施工会社のサムスン物産と大宇建設などに代わって下請業者が、工事の妨害を理由にカン・ドンギュン会長ら住民14人に2億8900万ウォンの損害賠償請求訴訟を提訴した。マウル儀式会館で会ったユナ某さん(54)は「提訴されたことを今日知った」と話した。

ハンナラ党を支持してきた「従北勢力」

済州の独特な地域文化として、クェンダン文化が挙げられる。クェンダンは親族や親戚という意味の「眷黨」に由来することばだ。「クェンダンは服の上の風」ということわざがある。家の慶弔事に親戚が集まり喜怒哀楽の心を交わし支え合う風俗を意味する。「この党、あの党、クェンダンが一番よ」という言葉もある。肯定的な共同体性と否定的な縁故主義が共存している。済州島の場合は、ここに「外地」に対する排他的な意識が加わる。高麗・朝鮮時代の朝廷の過酷な収奪、4・3事件などが警戒心、国家権力への敗北感を刻印させた。海軍基地に賛成する住民や島民たちが用いる「外部勢力出て行け」という掛け声は、このような文化によるものとみられる。


▲7月27日の朝、済州海軍基地建設に反対する住民と市民団体のメンバーらが基地建設予定地の西帰浦市カンジョン村クロムビ岩で平和を祈願する百拝を行っている。

市民団体はこのような主張を否定して皮肉った。「カンジョン村の真の平和のために、外部勢力である海軍は出て行け」(済州新しい社会を開く研究院)という垂れ幕で受け返す。4ヵ月カンジョンの村に滞在している「平和と統一を開く人々」キム・ジョンイル事務局長は「基地反対運動をする住民たちに『あの人ら(海軍や政府)こそ、本当の外地の人ではないか』と話すと皆納得する」と話した。活動当初、クェンダン文化は、市民団体の反対住民の間に横たわっていた。化学結合に時間がかかった。「反対住民たちも、市民団体への拒否感があった。本当に大変な時になぜ来なかったのかという恨みがあり、市民団体がよい結果を生むことができるかという不信感もあった。4カ月が過ぎた現在、むしろ市民団体への期待が高く心配だ」と彼は言った。

クェンダン文化を「排他性を帯びた地域共同体の文化」と定義するならば、今済州島にクェンダン文化はない。鎮圧される危機の住民も、逮捕し鎮圧する警察も、すべて済州の人々だ。カンジョン村の人々は、2009年に海軍基地建設に賛成決定したク・ソンジ副議長など、ハンナラ党所属済州道議員24人の名前を忘れることができない。彼らも「一つ二つ橋を渡れば」西帰浦の人と面識があるだろう。賛成の人たちは、仲介者の役割をしている西帰浦市長を告発した。集会を開く人も妨げる人も済州の人である。7月26日の夜9時、基地工事地の正門でろうそく集会が開かれた。集会を終えて、住民や市民たちはろうそくを持ってオルレキル三叉路まで行進した。「警察のやつらは退け」という掛け声が頻繁に出てきた。済州出身の警察官は、汗をぬぐい黙々とライトなどで車両を制御した。警察を罵る住民を、別の住民が止めさせた。「やめてください。(署長が)行けと言ったから来たのであって、来たくて来たんじゃないでしょう」

キム・ムソンハンナラ党議員は7月27日、国会で海軍基地反対住民と市民団体に対して「金正日政権の操り人形となっている従北勢力」と述べた。キム議員の「期待」とは異なり、カンジョン村を含むテチョン洞の住民たちは過去にハンナラ党にも票をたくさん入れた。済州特有の「クェンダン政治」が選挙の時にも働く。2006年の地方選挙の際に無所属で出馬したキム・テファン知事が総投票者数3758人のうち2018票(53%)を得、ハンナラ党ヒョン・ミョングァン候補は1339票(35%)を得た。開かれたウリ党のチン・チョルフン候補は355票(9%)を得るにとどまった。カン・ドンギュン会長は、キム・テファン前知事の選挙運動を助けた。そんな彼が4年ぶりに闘士となった。クェンダンの済州出身の弁護士が作成した損害賠償の訴状を受け取ったカン・ドンギュン会長は7月26日の夜、「外部勢力」キム・ジョンイル事務局長、ムン・ジョンヒョン神父と一緒にろうそくを持って行進した。

野党真相調査が語る真実 

韓国行政研究院ウン・ジェホ研究委員は、「効果的な紛争解決のための意思疎通方法の研究——済州海軍基地の事例の教訓」という報告書で、「海軍基地に関連して、済州島がもつ共同体の属性(クェンダン文化)は有意な影響を与えていないことがアンケート調査の結果明らかになった」と発表した。済州道民たちは開発利益、国家利益などをすべて考慮して判断しているという主張だった。「政府と済州道政が済州海軍基地の事業議論を済州内に限定して、済州道民はもちろん、軍と政府にも事業の妥当性を確認しうる機会を奪った」と彼は付け加えた。伝統的なクェンダン文化ではなく、△民官が対立する事業における民主主義の問題△開発主義に対する賛否△国際政治と平和の問題など普遍的な基準に基づいて議論が進められているという趣旨だ。「不穏な外部勢力」さえ出て行けばカンジョン村の住民たちが基地賛成に転じ、すべての対立がなくなるという主張が事実と異なるという推論が出てくる。

反対住民にとって5野党真相調査の結果が関心事だ。民主党、民主労働党、創造韓国党、進歩新党、国民参与党の5野党は、8月初め「済州海軍基地真相調査報告書」を発表する予定だ。イ・ミギョン民主党議員を団長とする海軍基地の真相調査団が構成され、3カ月間の調査を行った。国会内外の説明を総合すると、レポートには、△基地が済州に立地しなければならない必要性が不十分△実質的な住民意見の収集が不十分△徹底した環境保全対策の必要性などが指摘されたことが知られた。△官・民合同機構の設置△住民投票の実施、△環境保全対策までの工事中断など、広範な選択肢が提起されているが、まだ決まったことはない。

反対住民と「外部勢力」は毎朝闘争指針を一緒に覚え共有する。クロムビ岩に下りていく三叉路が主たる闘争現場だ。「徹底的に非暴力で対抗する。突進されれば、腕組みをして横たわる。連行されれば、48時間黙秘権を行使した後、再集結する」という指示を覚えて再確認する。7月29日現在、60~80人の「外部勢力」がカンジョン村に留まる。市民団体のメンバー、アーティスト、平凡な会社員がいっしょになっている。台湾人活動家ワン・ユチョワン(26)のように、外国人も多数訪れた。彼らは、毎朝岩から静かに立っているボム島を見る。

「開発至上主義の普遍的問題」

教科書などの公式記録は、牧胡の乱鎮圧を高麗の主体性回復として誇らしく記録する。別の解釈が存在する。討伐軍が大規模だったことや、三別抄の戦闘とは異なり、戦闘が一ヵ月間続いた点からだ。「『私たちの同族でないものが混ざって』という節も、裏を返せば、実は私たちの同族内で戦闘が進んでいたということになる」と歴史家イ・ヨングォンは『済州歴史紀行』(ハンギョレ出版)で主張した。牧胡の乱は、単なる地域の反乱ではなく、「支配と収奪」という封建制度の普遍的な対立が明らかになった事件だという趣旨だ。1948年には4・3事件でもカンジョン村の住民31人が外地からの討伐隊の犠牲になった。カンジョン村の住民たちは、今度は陸地[朝鮮半島]から来た機動隊に鎮圧されるだろうという憂慮を捨てることができない。

カトリック済州教区長カン・ウイル司教は、7月28日『ハンギョレ21』とのインタビューで「カンジョン海軍基地の問題がまだ釜山の希望バスのように知られていなくて残念だ」と話した。カンジョン村には開発至上主義の問題など、普遍的な問題が隠れているため、韓国社会がカンジョンに目を向けなければならないという趣旨だ。「いったいなぜ海軍基地か! 転がれクロムビ、川よ流れろ」という海軍基地反対の横断幕がカンジョン村にはためく。京畿道八堂[7月末の暴雨で水害に遭った地域]の農民たちが送った。苦痛が彼らを連帯させたのだ。今、済州にはクェンダンの代わりに連帯がある。

済州 文 コ・ナム記者 dokko@hani.co.kr 
写真 キム・ギョンホ記者 jijae@hani.co.kr