本文に移動

韓国外交・安保の最大の問題は「大統領リスク」…行き過ぎた自己確信と独断

登録:2023-04-10 05:26 修正:2023-04-10 07:58
[ハンギョレ21]
尹錫悦大統領と日本の岸田文雄首相が2023年3月16日、東京での首脳会談終了後、共同記者会見を行っている/聯合ニュース

 2023年3月の韓日首脳会談を経て4月の韓米首脳会談へと向かっているさなかに、突如として大統領室国家安保室長が交代した。今回もやはり電撃的な交代決定の理由と過程は不透明で、事後説明は不十分だ。「BLACKPINKとレディー・ガガ(の合同公演問題)」という煙幕が晴れた後には、崩壊した政策決定システムとその背後に存在する尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領の「確証偏向」が現れる。これこそ、韓国外交・安保の最大の問題は「大統領リスク」だと言われる理由だ。

新安保室長、検証も経ずに業務開始

 振り返ってみよう。3月29日午後、キム・ソンハン国家安保室長が突如辞任した。続いてわずか1時間あまりでチョ・テヨン駐米大使が新室長に指名された。大統領室は前日まで「安保室長の交代は検討していない」と強調していた。外交部の在外公館長会議(3月29~31日)に出席するため一時帰国したチョ新室長は、指名直後、翌日午後に予告していた外交部担当記者団との懇談会を取り消した。安保室長の交代が突然の決定であったことが推測できる。大統領室の説明を総合すれば、3月29日午後に尹大統領が自ら「決断」を下したものとみられる。

 国家安保室長は「国家安保に関する大統領の職務を補佐」する長官級政務職公務員(政府組織法15条)だ。統一・外交・国防部の業務を網羅することから、よく「外交・安保政策の司令塔」と呼ばれる。一夜にして好きなように交代させるような地位ではないということだ。そのうえキム前室長は3月初めに自ら訪米し、韓米同盟70周年を記念する尹大統領の4月の国賓訪問を最終調整した当事者だ。韓米同盟を最優先と考える尹大統領が、韓米首脳会談まで1カ月も残されていない時期に安保室長を交代させたことについて、「常識的ではない」と評されるのもそのためだ。

 チョ・テヨン新室長が、特に検証手続きを経てもいないのに指名翌日から直ちに業務を開始したのも非常識だ。かつて大統領府の外交・安保担当高官だった人物は、次のように指摘する。「高位公職者は、辞任する前に在任期間に不正がなかったか確認する手続きを経なければならない。また、現職であっても大統領室に勤務するためには人事検証手続きを別途踏まなければならない。特に直前の職責に任命されて6カ月が過ぎていれば、略式によるものになろうと必ず不正の有無を調べることになる。室長がこのような過程を全く経なかったこと自体が、安保室長の交代決定が即興的になされたことを傍証する」

 外交・安保政策に関して、尹大統領が自己確信に頼って独断で決定を下した代表的な例は、日帝強占期の強制動員被害者に対する賠償問題だ。政権発足前から、韓米同盟の復元と韓日関係の改善、韓米日安保協力の強化を対外政策の要だと述べていた尹大統領は、就任直後に韓米首脳会談を行ったのに続き、昨年6月から強制動員問題をめぐって局長級実務協議や長官・次官などの高官級協議を急がせていた。当初の協議の前提は、日本側の謝罪と賠償への参加などの「誠意ある呼応措置」だった。1月にいわゆる「併存的・重層的債務引受」方式による「第三者弁済」を事実上の政府の解決策として公開した後も、政府当局者は「日本側の呼応措置が出てくるまでは、解決策は公式発表しない」と強調していた。パク・チン外交部長官も、今年2月中旬のミュンヘン安保会議からの帰国に際して記者団に対し、日本側の「政治的決断」を再度求める考えを示している。

「すべての責任は私が取る」と言っていた尹大統領

 しかし、2月末ごろに雰囲気は一変した。大統領室が「早期解決」を推し進めているとのうわさが外交界隈に流れはじめた。保守陣営のベテラン勢でさえ「慌ててはならない」と公然と警告したが、尹大統領は「すべての責任は私が取る」という言葉を前面に押し出した。結局、政府は3月6日に「第三者弁済」案を強制動員賠償問題の解決策として公式発表した。被害者側の激しい反発の中で批判世論が沸き立ったが、尹大統領はその10日後、韓日首脳会談を行うため東京へと向かった。李明博(イ・ミョンバク)政権以来12年ぶりに行われた、韓国大統領が訪日しての首脳会談だった。

 3月16日、首脳会談を終えた尹大統領は、岸田文雄首相と共同記者会見を行った。十分に予見されていたにもかかわらず、岸田首相の発言は衝撃的だったと言える。この日の会見で岸田首相は、3つの文章を繰り返し強調した。

 「先般、韓国政府は、旧朝鮮半島出身労働者問題に関する措置を発表しました。その際に、日本政府は、1998年10月に発表した日韓共同宣言を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいることを確認いたしました。今後、(韓国側の)措置の実施とともに、両国間の政治・経済・文化等の分野における交流が力強く拡大していくことを期待いたします」

 詳しくひも解いてみる必要がある。韓国最高裁(大法院)は2018年10月、日帝の植民地支配は不法であり▽これにもとづいてなされた強制動員は反人道的犯罪行為であり▽1965年の韓日請求権協定の適用対象ではないため▽日本の加害戦犯企業は被害者に賠償せよとの判決を下した。その後、日本の保守陣営は強制動員の違法性と強制性を否定するために「徴用工」などのそれまで使っていた表現に代えて「旧朝鮮半島出身労働者」という用語を使いだした。これは、岸田首相が尹大統領と会見場で並んで立った場で強制動員の違法性と強制性を否定したということを意味する。

 2つ目の文章は奇怪ですらある。韓国政府はこれを、歴史に対する日本側の謝罪に当たると主張しているが、詳しく見れば「精神勝利」式の誤読であることが分かる。正確に言えば、岸田首相はあの日の会見で新たな立場は何ら示さなかった。単に韓国政府が「第三弁済」解決策を発表した3月6日(「その際」)、自身が参議院予算委員会に出席して行った発言「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」を過去形で再度口にしたに過ぎない。

政治的協議を省いた政治的決定

 「歴史認識に関する歴代内閣の立場」という表現にも落とし穴が隠れている。歴史に対する謝罪と反省を明示した河野談話(1993年)、村山談話(1995年)、金大中(キム・デジュン)-小渕宣言(1998年)、菅直人談話(2010年)だけでなく、安倍談話(2015年)も「全体として引き継いでいる」対象に含まれるからだ。安倍晋三元首相は敗戦(終戦)70年に合わせて発表した談話で、朝鮮半島の植民化の序章となった日露戦争について「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけ」たと主張した。また、歴史に対する謝罪と反省については「先の大戦(第2次世界大戦)での行いについて、繰り返し痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明して」きたと述べた。「幽体離脱式過去形」謝罪であるという点で、岸田首相の記者会見での発言と軌を一にする。

 ハン・ドクス首相は4月3日の国会での対政府質問で、尹錫悦-岸田会談について「韓日関係が互いに望ましい関係へと向かう土台を作った」と評した。しかし、岸田首相が会見で強調した3つ目の文章を見れば、性急な評価だと言わざるを得ない。岸田首相は明らかに、両国交流の拡大の前提として韓国側の「措置の実施」を掲げている。「第三者弁済」解決策の履行と韓日関係の改善をリンクさせるということだ。問題は、最高裁で賠償確定判決を勝ち取った原告15人のうちの3人の生存被害者を含むかなりの数の人々が、政府の解決策を拒否しているため、政府解決策の順調な履行は期待しがたいということだ。これは、ハン首相の掲げる韓日関係改善の「土台」は不十分にならざるをえないということを意味する。元外交官の外交・安保専門家は次のように述べる。

 「2018年の最高裁判決は国内外でものすごい波紋を呼んだ。最高裁判決と異なるやり方で問題を収拾するためには、政府は当然にも超党派的、挙国的な議論を経て世論を集約する過程を踏まなければならなかった。強制動員賠償解決策という途方もなく政治的な仕事をしておきながら、何の政治的過程も経ていないのは、深刻な問題だ」

 より根本的な問題を指摘する声もある。政府の政策は大統領室から各省庁の実務陣に至るまで、持続的な協議を経て作られる。したがって事前には予告し、事後には説明しなければならない。しかし現政権ではこのような過程は見られない。しかも外交には相手がおり、多様で段階的な協議チャンネルが存在する。実務レベルですでに決着がついた事案をもしも上層部が妨害したならば、相手国としては協議に応じる理由がなくなる。元外交・安保当局者は「大統領の独断的で即興的な決定が繰り返されれば参謀陣はお手上げとなり、結局はシステムそのものが崩壊する状況に直面しうる」と語った。

尹錫悦大統領が2023年3月30日、ソウル龍山の大統領室庁舎で新任のチョ・テヨン国家安保室長(中央)に任命状を授与後、言葉を交わしている=大統領室写真記者団//ハンギョレ新聞社

「手続きと過程を無視した政策決定は素人的なもの」

 「国の命運のかかった外交・安保政策は、できる限りすべての変数と制約を考慮して慎重に決めなければならない。『私が責任を取る』というような決定は、ややもすると国家安保に災いをもたらしうる、納得のいかない行いだ」。ある外交・安保分野の関係者の言葉だ。続けてこの人物は「手続きと過程を無視した政策決定は、果敢なものではなく素人的なもの」だとし「青瓦台(旧大統領府)を『九重の天』と言って蹴飛ばして出て来て、龍山(ヨンサン)へと移った尹大統領が、『帝王的大統領』の典型的な態度を示している」と批判した。

チョン・インファン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://h21.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/53647.html韓国語原文入力:2023-04-06 09:46
訳D.K

関連記事