ホン・セファ先生が 'カジャンチャリ(周辺)' という名の学習共同体をお作りになったと言う。 私が似た意味の単語を初めて聞いたのは70年代後半の学生時代だった。 恩師であったパク・ドンファン先生がいつも話した余辺という概念をやさしく書けばカジャンチャリだったのだ。 他人の痛みより自分の痛みが先であり、世の中に対する感謝よりは怒りを先に習った私は、師匠の言語に埋め込まれている血と涙を感じるにはまだ幼かった。 後になってパク・ドンファン先生はカジャンチャリで生きるほかはない人々の存在方式をプトゥムサリ(付いて生きる)と呼んだが、その言葉のすさまじい意味を私は今留まっている済州(チェジュ)で古の越王勾践が肝を嘗めたように噛み締めている。
初めて来て慕瑟浦(モスルポ)から松岳山(ソンアクサン)に向かって野道を歩いている時、広い畑のまん中にポツンポツンと正体不明のコンクリート造形物が見えて、あれは何か尋ねたところ日帝時に建設された戦闘機の格納庫だと言う。 その初めて私はぼんやりと名前だけ聞いたことのあるアルトゥル飛行場が日帝が植民地時期ここに大井(テジョン)の住民たちを動員して作ったことを知った。 日帝はすでに1920年代に済州を軍事基地化し始めて、30年代中盤には飛行場まで完工した後、37年に中日戦争を起こすことによって本格的に太平洋戦争への道に進んだのだ。
どうして、わざわざ済州だったのだろうか? 理由を尋ねると、当時日本から出発した戦闘機が一気に中国を爆撃して帰ってくることができなかったために、ここに降りて再び飛び上がり中国の都市を爆撃して帰ってきたと言う。 つまり口を開けば必ず言うこの平和の島が、太平洋戦争時は実戦に配置された航空母艦だった計算だ。 門も泥棒も乞食もない平和な島を戦争基地にするために日帝が狂奔した時、ここの住民たちが岩山にトンネルを掘って野原に滑走路を作る仕事に動員されてどんな苦難に遭ったのか、この島をオルレキル10コースでだけ知っている旅人たちは知っているだろうか?
カジャンチャリのプトゥムサリがそういうことだ。 苦痛のない人生はない。 問題はその苦痛の種類だ。 ベトナムの人々は祖国の独立のために昼には密林にトンネルを掘り、夜には滑走路でたいまつを持って飛行機が飛んで降りるのを助けた。 そして最初はフランスと、次には米国と、そして最後には血盟だった中国と戦争をして祖国の独立を脅かすすべての外勢を追い出し、誇り高い自由人として生きていく。 だが、私たちの祖父祖母は他人の戦争に動員され岩山にトンネルを掘って自分たちが耕した畑を飛行場にしなければならなかったのだ。
その歴史が解放で変わっただろうか? 国の主人が日本から米国に変わった今、西帰浦(ソギポ)江汀(カンジョン)の近海では、今度は飛行場の代わりに海軍基地を作ると言って自然と村共同体を破壊している。 どうせ韓国は戦時作戦統帥権者がいないので外国と戦争を遂行する資格がない国家なのに、それでは私たちの主人は誰と戦うどんな戦争のために南側に海軍基地を作るのだろうか? 馬鹿でなければ米国が中国を狙って海軍基地を作っているということは誰にも分かることだ。
ところでより一層嘆かわしいことは、一方ではいつでも起きうる米国と中国との戦争のために済州に海軍基地を建設しながら、他の一方では済州の土地を中国に売り飛ばすために焦っている。 すでに2008年から中国人はビザなしで済州に入国できるが、この頃はそれに加えて済州に5億ウォン以上の休養型リゾートを買ったり投資する外国人には5年が過ぎれば本人と配偶者、そして子供にも永住権を与える制度を作り、中国人に済州の最高の土地を熱心に売っている。 ソウルの金持ちが済州の良い土地をすべて占めているとばかり思っていたら、今や中国の金持ちに寄り添って済州の不動産景気を引き上げる欲にまみれている。
一方では米国の圧力に勝てず中国を狙って軍事基地を作りながら、他の一方では中国の豊富な資本を誘致するために色目を使う、このような精神分裂的な形態はプトゥムサリから抜け出せなかったこの国では昨日今日のことではなかったので、かつてハム・ソコンはこのような祖国を指してアジアの大通りに座りこんだ老いたカルボ(売春婦)と呼んだ。 どれほど適切な比喩だろうか! 片方ではガキ大将をヒモとみなしてプトゥムサリをしながら、他方では隣の男に色目を使う老いたカルボがまさに私たちだ。 このような女に純情を捧げる男がどこにいるか? だから独島(トクト)問題が出てくれば米国が日本の肩を持つのはあまりにも当然のことである。
だが、何を言おうが米国は沈む太陽で中国は昇る太陽なので、老いた女が一匙でも食べて生きようとするなら隣の男の顔色を見ないわけにも行くまい。 そして中国もやはり遠からず数千年間にわたり自らの支配下にあった韓半島の支配権を取り戻すために帰ってくるだろう。 だが、全て合わせれば世界人口の4分の1に近い中国が韓国を占めるために戦争までする必要はない。 それでは今この文を読んでいる読者、もしあなたが習近平主席ならばどうするだろうか?
中国は大国らしく韓国がして欲しいということをするだろう。 韓国が願うのは名付けて投資、たった数文の金だ! 中国はその途方もない外国為替を少しずつ解いてゆっくりと韓国主力企業の株式を買い入れるだろう。 するとこの国の言論らは‘バイ コリア’とか何とか騒ぎながら、外国人が韓国企業の株式を熱心に買って株価が上がると喜ぶだろう。 そのようにして中国は遠からず三星(サムスン)電子や現代自動車のような企業の実質的な最大株主になるだろう。 多分その頃にはイ・ゴンヒの息子が三星電子で王として振舞っているだろうが、中国は毎年彼に酢豚にコーリャン酒を配達しながら親切に尋ねるだろう。 どこか具合が悪くないかと。 とても仕事が大変じゃないのかと。 すると賢い王はその言葉がどういう意味か直ぐにわかって、中国の不興を買わないためにあらかじめ進んで最善を尽くすだろう。 このような状況になれば、この国は軍事主権は米国に渡し、経済主権は中国に奪われて、済州だけでなく韓国の土地全体を中国人と中国資本に売って用意した金で、米国が捨てる武器を高い金を払って買わなければならない絶望的な状況に置かれることになるだろう。
今、韓国社会で問題になっている経済民主化とは、このような歴史的文脈の中だけで正確に理解することができる。 それは単純に国内の不平等ためだけでなく、国際社会での経済主権の観点からもこれ以上先送りできない時代的課題だ。 経済学者らは国際基準に合わせて株主の権利を強化しようとか、正反対に財閥の既得権を保障しようと提案しているが、これは旧韓末に外勢に寄り添って国を改革しようとしたり、反対に王権を強化して国家の主権を守ろうとした試みと同じようにどちらも不可能な妄想に過ぎない。
だが、国の経済主権を守る方法がないわけではない。 私がすでに<企業は誰のものか>で話したように、商法の条項一つだけ直し、株式会社の法人理事を選出できる権限を株主ではなく従業員に与えれば良い。 このようにすれば外国資本が韓国企業の株式をいくら多く所有しても、経営権は労働者に帰属するので、国の経済主権が動揺する心配はない。 株主もやはり依然として株式を売買し相場差益を手に握り配当金を受け取るのであるから私有財産が侵害されるか心配することもない。
ドイツではすでに数十年前から株式会社法人の理事会を企業の規模に応じて最低3分の1、最高2分の1まで労働者が推薦した理事を任命するよう株式法で規定している。 ドイツ経済の動揺しない力はこのように労働者の企業経営に対する共同決定権(Mitbestimmungsrecht)から生まれる。 実は韓国の商法も株式会社に社外重役を置くよう規定しているが、資産規模2兆ウォン以上の企業の場合、過半数を社外重役から選任しなければならない。 それでは社外重役だけでも従業員総会で推薦するように法を変えれば、労働者の権益のためにも良く企業の透明な経営のためにも良いだけでなく、国の経済主権を守るためにも良い防波堤となるだろう、それこそ一石三鳥ではないだろうか。
この文を読んで、一体どこの誰がそのようにしてくれるかとあざ笑う人は、まだ不自由なく暮らしている人だろうから、そのように生きれば良いだろう。 しかし世の中が沈黙する時に叫ぶのは知識人の使命だから、私はただ言わなければならないことを言ったまでだ。 ぜひ耳のある人には聴いてほしい!