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長男イ・メンヒが弟イ・ゴンヒに押された理由は…

原文入力:2012/02/14 20:57(1291字)

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経営権から始まった根深い沈殿物
弟に押された長男が系列分離以後にも
CJ-三星(サムスン)葛藤続き

イ・メンヒ前第一肥料会長は‘悲運の皇太子’と呼ばれる。

 彼は三星創業者であるイ・ビョンチョル前会長(3男5女)の長男だ。1966年‘サッカリン密輸事件’の責任を負ってイ・ビョンチョル前会長が経営一線から退いた後、父親の代わりにグループ会長職をひきうけ、系列会社を総指揮した。一時は三星電子・中央日報・三星物産など主力系列会社の副社長・専務・常務など17の職責を引き受けもした。

 だが、イ・ビョンチョル会長は彼の経営能力を信じず、再び経営に復帰した後、三番目の息子であるイ・ゴンヒ会長を後継者に指名した。 長子相続の伝統が強い財閥家では想像し難いことだった。 実際、経営権継承と関連した二人の考えには相当な距離があった。 イ・ビョンチョル会長は<湖巌自伝>で "長男メンヒにグループの一部の経営を任せてみた。 しかし6ヶ月にもならないうちに、任せた企業体はもちろんグループ全体が混乱に陥ってしまった" と書いた。 だが、イ・メンヒ会長は1993年に出版した随想録<埋めておいた話>で「父親との間に相当なスキ間があったが、いつかは私に大権が与えられるだろうと信じた」と書いた。

 経営権競争から押し出された彼は第一製糖を率い、1993年に三星グループから分かれた。 今はCJグループと名を変えてイ会長の息子であり三星一家の初孫であるイ・ジェヒョン会長が経営を受け持っている。 当時の系列分離過程から既に雑音があった。 イ・メンヒ会長側はイ・ハクス当時三星火災副社長が第一製糖代表理事副社長として派遣され、系列分離を妨害したと主張している。

 系列分離以後にも兄と弟、CJと三星の間には大小の葛藤が続いた。イ・メンヒ会長は「‘第一’と名が付く三星系列会社を(息子)ジェヒョンに譲ることになったが、イ・ゴンヒ会長が約束を守らなかった」(1993年随想録)として財産分割に異議を提起した。昨年には大韓通運引き受けを巡り三星とCJが葛藤を生じさせもした。

 ‘嫡統’を巡る自尊心争いも続いている。CJは昨年できたソウル、双林洞(サンニムドン)社屋にイ・ビョンチョル会長のホログラム胸像と遺品を映像展示する追慕空間を別に用意した。 イ・ジェヒョン会長が三星家の初孫であることを誇示する意図と解説される。 これに先立ち、イ・メンヒ会長は1994年ある言論とのインタビューで「先代会長がイ・ゴンヒ会長にグループの大権を渡しながら、次はジェヒョンに譲れと遺言した」と明らかにした経緯がある。

キム・フェスン記者 honesty@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/519019.html 訳J.S