原文入力:2011/11/11 20:31(1686字)
キム・ジフン記者
稼ぎに出ている間、父親の携帯電話が故障
二日過ぎてやっと携帯メール確認
娘は5才の弟を抱いて二晩を明かした
信じがたい悲しみを前に父親は唇を噛んだ
←双龍(サンヨン)自動車解雇労働者の家族が去る7月1日、京畿(キョンギ)金浦(キンポ)の映画会社周辺の森の道を一緒に歩いている。キム・ギョンホ 'ハンギョレ21' 記者
2009年、双龍(サンヨン)を希望退職したチャ・某氏の夫人 突然死
お母さんが二日間起きなかった。ヒョウン(仮名・12)は父親に「お母さんが寝たきり起きないんだけど」と携帯メールを送り電話もしたが、電話機の電源が切れているという案内音声だけが帰ってきた。ヒョウンは母親は吐いたご飯の臭いが立ち込める家で5才の弟を抱いてパパが帰ってくるまで二晩を明かした。
双龍自動車希望退職労働者チャ・ジンウ(仮名・40)氏の妻 オ・ソンミン(仮名・41)氏が去る6日、江原道(カンウォンド)、原州(ウォンジュ)の自身の家で亡くなった。オ氏の葬儀室が用意された京畿道(キョンギド)城南市(ソンナムシ)盆唐チャ病院の葬儀場で11日に会った夫のチャ氏は「妻がいつもご飯をあまり食べないが、この日はご飯を食べ食中毒したようだ」とし「病院では嘔吐をし吐瀉物が気道をを塞ぎ窒息死したと推定している」と話した。出稼ぎのために家族と離れて過ごしたチャ氏は6日から携帯電話が故障し連絡できず、8日午前に携帯電話を直してから娘からの携帯メールを見た。チャ氏はまっすぐ忠南(チュンナム)、天安(チョナン)から原州に走って行き妻の遺体を収拾した。彼は「娘の携帯メールだけで何があったのかピンときた」と話しながら下唇をかんだ。
チャ氏は15年間にわたり双龍車で働いた、2009年には整理解雇者らと77日間のストライキ闘争を共にした後、希望退職した。会社を出た彼は双龍車工場のある京畿道(キョンギド)、平沢(ピョンテク)でこれ以上暮らしたくなかった。 妻のオ氏が営む衣料品店を整理し、縁故もない原州へ引越した。安定した仕事場を見つけることが出来ないチャ氏は家族と離れて天安一帯の工場を転々とし、1ヶ月に120万ウォン程度を稼いでいた。カード募集人の仕事を始めた妻の稼ぎはさらに良くなかった。
双龍車の労働者だったという理由でチャ氏を断った業者もいた。あちこち働き口を探したチャ氏は妻の死を知った日(8日)にも稼ぎが良いという三星電子半導体工場にダクトを設置する業者に面接を受けに行くことになっていた。チャ氏と双龍車で10年間一緒に勤め、ストライキ事態の後、天安でも一緒に働いた双龍車無給休職者キム・スンホ(40)氏は「物静かな性格で口数が少なく、妻と子供たちをとても大切にし一ヶ月に1,2度しか会えないことを苦しがっていた」として「希望退職後の生活苦で私と同じく借金が多かった」と話した。
娘のヒョウンは母親の死の衝撃が大きいようだった。父親が服を取りに家に行こうと言ったが、ヒョウンはどうしても首を縦に振らなかった。入棺が始まり、祖母の「もうお母さんを探してはダメだよ」という言葉にそれまで無表情だったヒョウンは声を限りに泣き始めた。喪服として買った黒服を新しい服と言って好んだジョンミンは「姉ちゃん、泣くな。お母さんが痛がったら僕が生きかえらせて連れてくるから」と自信満々に約束した。この日、葬儀室で会った‘ワラク’(双龍車解雇労働者と家族のための心理治癒空間)のクォン・ジヨン代表は「母親の遺体と二日間一緒にいたことによりショックを受けた子供を考えれば胸が痛い」として「葬儀を行った後、ワラクでヒョウンの心理相談をすることにした」と話して涙をふいた。
キム・ジフン記者 watchdog@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/505066.html 訳J.S