原文入力:2011/10/14 21:07(2473字)
イム・ジョンオプ記者
ハンギョレ 金孝淳(キム・ヒョスン)論説委員 インタビュー集
「万歳騒擾」を扱った阪谷文書など
知られざる新たな記録を収める
『歴史家に聞く』
金孝淳 著/ソヘムンチプ・1万7000ウォン
「朝・中・東」(朝鮮日報・中央日報・東亜日報)はなぜ、李承晩を「建国の父」と呼び、朴正熙を「民族中興の偉大な指導者」と持ち上げるのか。なぜ、日帝植民統治が韓国近代化に寄与したという妄言が、ニューライト陣営と日本側から出てくるのか。
『歴史家に聞く』は、山田昭次、姜徳相(カン・ドクサン)、宮田節子、趙東杰(チョ・ドンゴル)、林えいだい、金廣烈(キム・グァンヨル)、内海愛子、飛田雄一ら、8人の歴史学者とのインタビューを通じて屈折された韓日現代史の根元を訪ねて行く。趙東杰を除けば、すべて日本人または在日同胞の学者たちだ。
この人たちをよく知らなくても、自らを責めなくて良い。口語でなされたインタビューを読み進めてみれば、インタビューされた人たちが身近になり、著者が心血を注いで取材し実現した「場面」とともに、韓日現代史の中におのずと入り込む。
著者は「ハンギョレ」東京特派員、編集局長、編集者を経て、2007年からは取材現場にもどり活動する金孝淳論説委員。2009年には、『私は日本軍、人民軍、国軍だった』という著書を通じて、シベリアに抑留され解放された、朝鮮人日本軍の数奇な人生を追跡したことがある。彼らの人生は、強制的に連行していった日本からも、ソ連に留まったという理由だけで「アカ」として取り扱った韓国からも、無視された死角地帯であった。『歴史家に聞く』もやはりそうだ。
本を読むのに先立ち、著者が(読者に)すべてを知った上で読み始めてもらいたい事実を念頭に置こう。「第2次世界大戦直後に形成された米・ソ連冷戦体制。米国は対共防波堤を築くために、韓(朝鮮)半島南側に李承晩政権、日本に自民党体制を構築した後、『韓日協定』をもって両国の宿敵関係を縫い合わせた。これに先立ち、東京軍事裁判では日本の朝鮮支配の罪過を免罪した。ソウルでは反民族行為特別調査委員会(反民特委)を瓦解させ、親日勢力を大挙起用する整地作業があった。」
←左上から 姜徳相、金廣烈、宮田節子、山田昭次
左下から 内海愛子、趙東杰、林えいだい、飛田雄一
この本に登場する歴史学者たちは60~80代の高齢。韓日現代史が研究対象としてさえ扱われなかった(日本の)初期学界の風土、焼かれ、隠され、放置されながら隠滅されていく諸資料、平然として生きている関係者たちが巡らせた壁の前で、活動家を兼ねる他はなかったという話が展開される。著者の視線は、研究者たちの証言から出てくる犠牲者たちへと移っていく。バラバラに散らばっていた諸資料と現場確認を経て、韓・日の狭間で無念にもB・C級戦犯に追い込まれた朝鮮人、南・北朝鮮の狭間から消えた朝鮮人活動家など、数多くの人物を生き返らせている。
最も注目される人物は、学習院大学東洋文化研究所客員研究員として、日帝強制占領期の資料整理に携わってきた宮田節子(76)。
大学4年の1957年、卒業論文のテーマを3・1運動に定めて主任教授に話すと、彼は逆に「それは何か」と問い返した。東京の国立図書館で「万歳騒動」、「万歳騒擾」をキーワードに資料を探したが、何も出てこなかった。ある教授の助言を受けて、朝鮮総督府高位官僚の出身者が集まるクラブである「友邦協会」を訪ねた。そこで、黒い風呂敷に包まれ片隅に放置されていた「阪谷文書」を探し出すことになる。その文書は、1919年「大日本平和協会」副会長であった阪谷芳郎が、外国人宣教師たちが日本の弾圧実態を外部に知らせるや対処方案を準備するために集めた万歳騒擾関連資料である。卒業後、お礼の挨拶のために友邦協会に再び立ち寄った宮田は、総督府殖産局長を務めた穂積真六郎と会うことになる。彼は「日本の朝鮮統治に対するいかなる批判をも聞く耳を持っているが、した事もない事をしたかのように、事実と違った事を指摘されるのは承服できない」として、関連資料を一緒に集めようと提案する。それから、学生たちと協会関係者たちが集まり、呉越同舟方式の「朝鮮近代史料研究会」が発足する。
穂積はいかなる懸案や分野でも学生たちが知りたいといえば、それに担当した人をすぐに呼びだした。このようにして証言した人は朝鮮総督府ナンバー2の政務総監を務めた3人をはじめとしてほぼ120人だった。研究会は500回ほど続き、すべての過程は録音された。現在、録音テープは学習院大学に保管されている。在野にいれば自由に発言でき研究ができるので良いとし、大学教授職を辞退した宮田は、2020年、彼女が85才になるまでに完成することを目標に、膨大な録音をひも解き資料を整理している。
韓国内の学界に視線を向ければ辛酸なことこの上ない。独立運動史編纂委員会で仕事をした趙東杰国民大学名誉教授は、1973年独立軍戦闘史で金日成を扱ったと誰かが密告したために、中央情報部(国家情報院の前身)に連行されたことがあると証言している。共に仕事をしたホン・イソプ、イ・カンフン先生も呼ばれて、編纂委から追い出されたという。後に復職しはしたが。
アン・ビョンウク カトリック大学教授は、推薦辞で「どの研究書も接近できない深い探求と、どこからも探し得ない唯一無二の事実を記録した」として、「これから韓日関係の研究が深まる時、後輩の学者たちがきわめて緊要に参考にすることになるだろう」と評価した。
文 イム・ジョンオプ先任記者 blitz@hani.co.kr
写真 ソヘムンチプ提供
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/500875.html 訳:Tak