原文入力:2010-05-05午後07:33:43(4589字)
escウォーキングマップ24.全州 旧都心と韓屋村
全州慶基殿から寒碧堂・客舎を経て殿洞聖堂まで都心一周 8km
イ・ビョンハク記者
←全州川辺の岩壁に立つ寒碧堂.
全州は朝鮮時代全羅道と済州道を管轄した全羅監営があった所。全州李氏朝鮮王室の故郷であり、朝鮮歴代の王たちが体と心のルーツとして見なされた郷だ。多くの戦乱と日帝強制占領期間を経て、全州府城と監営跡は大部分が消えてしまったが、慶基殿とその周辺の数百軒のかつての韓屋などが生き残り、全州を伝統文化の本場に仕立て上げた。慶基殿から出発し韓屋村(ハノク マウル)路地と豊南門(プンナンムン)・客舎を経て、再び慶基殿前の殿洞聖堂まで歩く。
慶基殿に入る前に正門前で洒落た下馬碑①から鑑賞する。1614年に立てられた獅子(または亀)に似せた2匹の動物石像が支える美しい標石だ。基壇石の両側に四角形の溝が掘られ小さな保護閣が設置されていたことが分かる。
樹齢600年イチョウの根元に代を引き継ぐ5年になる若木が可愛く
←全州郷校東斎の門の隙間から伝統礼節を習う子供たちの朗々とした声が流れ出ている。
慶基殿②は森が美しく見るものも多く休む場所もある、都心の中の‘めでたい場所’だ。年配の方々も若い男女も散策したり座って休み、さわやかな春風を楽しんでいる。慶基殿本殿には太祖 李成桂の全身御真(真品は全州博物館)がある。太宗の時、6ヶ所に祀られた御真中 唯一残った肖像画だ。イ・ミンスク解説士は 「絹布に描かれた昔の御真(1410年)が色褪せ古くなったので、1872年に模写し新しく描いた後に昔のものは焼いて白磁の壷に入れ慶基殿の裏庭に埋めた」と話した。本殿拝礼庁の風雨を防ぐための板の二匹の亀像も目を引く。
復元された全州史庫の建物、睿宗大王胎室と碑③、全州李氏の始祖 李翰(イ・ハン)夫妻の位牌を奉った肇慶廟(チョギョンミョ・1771年建設)を経て、慶基殿東門を出て韓屋村路地探訪を始める。韓屋が700余軒に達するというが、原形が変わったり新しく建てられた家が多い。すっきりと化粧された路地ごとにカフェ・工芸品店が並んでいる。チェ・ミョンヒ文学館と生家を見て、大理石小川を渡り‘全州崔氏宗代’(宗代:代を継いで暮らしてきたところ)前の樹齢600年のイチョウ④の木陰に行く。5年前に木の根元から幼い新しいイチョウが育ち始め注目を集めた木だ。道の向かい側には東学革命記念館がある。
全州韓屋生活体験館⑤、伝統酒博物館⑥を経て新装された土壁の続く路地を歩く。全州伝統文化の脈と香りがどのように続いているかを伺える路地だ。皇孫李錫氏が留まる承光齋⑦などを覗き見て大通りに出る。営業を始めて30年になったという陸橋スーパーで缶コーヒーを買い、主人ハルモニのお言葉を聞いた。"あのキリン路が鉄道だった時、この前い陸橋があったので、それでもって陸橋スーパーなんだ"
←全州郷校明倫堂の前で子供たちが樹齢400年になる老イチョウに向かって走っている。
梧木台⑧に上がる。高麗末に李成桂が雲峰荒山で倭寇をはね除け開京(現在の開城)へ行く道に立ち寄り、王の親戚たちを集めて祭りを行った所だ。‘太祖高皇帝駐畢遺址’(高宗皇帝親筆・1900年)がある。梧木台の後の陸橋を渡り進めば李成桂の4代先祖の穆祖(李安社)の遺墟碑 梨木台⑨がある。山並みが梧木台まで繋がっていたが、日帝強制占領期間に鉄道を通すために切った。からたちの花が鮮やかな木の階段に沿って降りて行き養士齋⑩に行く。書堂で勉強を終えた儒学生たちが本格的に進士試験に備えた所だ。時調詩人 嘉藍 李秉岐(イ・ビョンギ)が滞在した時期もあった(左端の部屋)。公園下の壁伝いに全州郷校側に歩く。東軒(移転復元された建物)の左側の道に入り路地を上がれば、南安齋⑪の立て札が立っている。韓末の儒学者 艮齋 田愚の弟子 顧齋 李炳殷が郷校を守り、後学たちを教えた所だ。亭子前の家だ。丘の上に顧齋霊廟がある。
偏僻孤陋と感じていた郷校。全州郷校⑫大成殿の後の明倫堂と樹齢300~400年になったイチョウが美しく、考えなおさせられる。明倫堂は三間建物の左右に張り出した軒を出して室内空間を広げた姿だ。東斎の台石に可愛らしい色々の運動靴がきちんと置かれている。“緑茶を飲めば! 頭が澄みますよ! 風邪をひかないよ!”門の隙間から朗々とした子供たちの合唱が聞こえてきて、400年目の春を迎えたイチョウの木陰がさわやかだ。
孝子 郡守の父親、息子のために残した詩 一首 胸にじんと
←1908年から本堂は7年、全体完工には23年かかったという全州殿洞聖堂.
郷校正門外 左側塀の前にはとても古びた孝子碑⑬がある。碑閣内に1398年に立てられた‘孝子郡守 朴晋之閭’の碑石がある。朴晋は鄭夢周の外孫だ。霊岩郡守の時に父親が危篤だからと位を捨てて帰ってきて看病をした。その父親も立派な方だ。病気が重くなるとすぐに息子に詩を書き残した。“齢80で平床に横になっていると、60才の老いた息子が薬を先に味見する。人の生き死には避けられないので、お前の母の墓の近くに私の墓でも準備しなさい。”
清く青い全州川の堤防道を歩きオモガリタン(素焼きの鉢に入れたスープ)を出す食堂をすぎて暗い陸橋の下を歩く。セメント橋脚のそばの岩に辛うじて持ちこたえている寒碧堂⑭が見える。半分だけの景観だが、川の上流側の展望がずば抜けて素晴らしい。横にある邀月台は日帝時に作られた亭子だ。また全州川の堤防道を歩く。郷校入り口の紅箭門のそばには背の高い下馬碑が立っている。古めかしくも懐かしい狭い路地を通り、創業40年の古くさい看板を掲げている現代スーパーに出会う。“そいつは古いだろう. 電話番号の局番が奇数の看板は全州でもここだけだ。外すわけにもいかなくてね.”(主人 ソ・スング氏・73)昔の床屋の雰囲気が優しいチョンス理容院、50~80年代の生活用品・学用品・おもちゃ・がらくたらを店一杯に展示した思い出の博物館⑮を経て、50年伝統の中華料理店 校洞屋をすぎる。
この通りに見逃せない建物がある。伝統韓屋を基本に洋館・倭館形式が付け加えられた学忍堂(16)だ。高宗の時の人物である忍齋 白楽中が父親のために建てた家だ。母屋は2階屋根裏部屋と3階屋根裏部屋まである独特の構造だ。石段を通って下で降りて行けるようにした井戸も特異だ。白凡 金九先生が泊って行った家だ。
八達路を渡り豊南門側に歩く。門まで行かずに左側の南部市場に入る。血スンデ(腸詰)食堂・コンナムルクッパ(もやしスープ飯)屋が並んでいる。市場を出て豊南門(17)付近を眺め、城内に入る。豊南門の内側表札板には‘湖南第一城’と記されている。60年にわたり帽子を売る全州帽子店を見て。全州監営の場所に向かって歩く。旧全北道庁跡だ。玄関を通って中に入れば駐車場だ。警備のおじさんが話した。「何もないよ。あの木しか。」樹齢170余年を数える監営の政庁だった宣化堂広場にあったエンジュの木(18)だ。宣化堂は51年に警察武器庫の爆発火災で消失した。エンジュの木だけが残りセメントの建物に囲まれ呻吟中だ。
若者たちがあふれる都心ど真中の客舎(19)に行く。左右に翼廊を率いた雄壮な建物の床に青少年デート族らがぎっしりといっぱいに詰まっている。その上に‘豊沛之館’と書かれた大型表札板が懸けられている。事大主義の産物だ。‘豊沛’とは漢の国の太祖 劉邦の故郷だ。劉邦が漢の国を起こしたように李成桂が朝鮮を起こしたところという意味を含んでいる。表札板を書いた人も明国宰相を務めた朱之蕃だ。豊南門とは‘豊沛’の南門を示す。西門も沛西門だった。客舎そばの路地が客舎路だ。名前はどことなく奥ゆかしいが、若さが波打つ流行の通りだ。ファッション店・カフェ・携帯電話店・ファーストフード店・露店などが並んでいる通りを20代前後の若者たちが音楽に引きこまれるように集まっている。企業銀行の場所に旧東軒があった。全州の道路元標がこちらにある。
←escウォーキングマップ24.全州 旧都心と韓屋村(ハノク マウル). 地図グラフィック(※クリックすれば拡大して見ることができます。)
娘さん、独身男性鬼神が憑いた椿の木にご用心
全北銀行側に道を渡り古本屋街を歩く。ウェンイ屋・プンジョンなど有名なコンナムルクッパ屋がこちらにある。慶基殿北側の塀道に行く。塀のそばに樹齢250年になる巨大な椿の木(20)に出会う。ここに独身男性の鬼神が憑いていて、娘さんは夜にはこの道を避けたという話が伝わる。
殿洞聖堂(21)本堂は1908年から7年にわたる工事の末に建てられたという建物だ。礎などは全州府城から出た城石を使った。当初、聖堂は李太祖遺墟地である梧木台の場所に建てる計画だった。しかし当時の全羅監査が反対上訴を上げ失敗に終わった。この全羅監査が後に日帝の手先となった李完用だ。旧都心を一巡り 8kmを歩いた。
全州=文・写真 イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr
ウォーキング メッセージ
韓屋部屋に泊りマッコリ路地へ
◎行き方|湖南高速道路全州出入り口を出て1・21号国道に乗り全州市内に入った後、慶基殿の案内板を見て進む。慶基殿周辺に公営駐車場があるが混雑する。慶基殿裏道などの路肩に車を駐めることができる。韓屋村観光案内所で韓屋村地図と周遊コースの地図を得ることができる。地図に公共トイレの位置が表示されている。
◎慶基殿と歩きコース
周辺の食べてみたい食堂|家族会館(063-284-2884),韓国屋(063-284-2224)全州ビビンパ1万ウォン. ウェンイ屋(063-287-6979),プンジョン(063-231-0730)コンナムルクッパ 5000ウォン. 南部市場内のコンアムルクッパ屋 ヒョンデ屋は電話がなく、6~14時まで営業している。年配の方々が開業した韓屋村居酒屋チョンニョンヌリボム(063-288-8813)スルサンハンサン(マッコリ 1ヤカン)1万5000ウォンから。サムチョンドンなど名の知られたマッコリ路地も探してみるに値する。東門側にハンウル家・栄山浦(ヨンサンポ)など、ひなびたマッコリ屋があり、栄山浦そばの2階セビョクカンにも酒飲みが集まる。コウイカ・ファンテクイなどをつまみに瓶ビールを売る全一スーパー・シンシンスーパー・キョンウォンスーパーなど‘カメクチプ’(カゲ(店)メクチュ(ビール)チプ(屋)または、路上メクチュチプ)も有名だ。
◎韓屋村の宿泊体験施設や路地内の民宿(ゲストルームなど)は1泊につき凡そ6万~10万ウォン程度だ。韓屋生活体験館(063)287-6300.韓屋村案内所(063)282-1330,慶基殿案内所(063)287-1330.