原文入力:2010-01-25午前08:40:40(1107字)
国立中央博物館, 連合軍最高司令部公文書など発掘
新羅金冠 韓国戦争の時、米国に渡り‘避難生活’
ノ・ヒョンソク記者
"遺物を引き渡しなさい! 大統領命令です。" 韓国戦争の最中だった1950年7月25日、国立博物館慶州別館に国防部軍人たちが押しかけた。事前通報もなしに彼らは金冠塚 金冠等をはじめ玉笛,皇福寺塔金製仏像2点などの1級遺物をあわてて包装した。金冠など相当数の遺物はその後、韓国銀行の金塊とともに米国のアメリカ銀行に避難することになる。1957~59年、国立博物館米国巡回展の時、他の遺物とあわせて展示された後にこれらは国内に戻った。
戦争の時、慶州文化材受難史が収められた‘慶州別館疎開遺物目録’が発見された。当時、博物館遺物を日本,東京帝国博物館(現 東京国立博物館)に移せと提案した米政府文書も出てきた。最近、国立中央博物館(中博)が<韓国博物館100年史>発刊のために米国立文書保管所などを検索し見つかった史料だ。
‘慶州別館…目録’の場合、1954年国防部経緯書を見れば、1950年7月25日,27日主要遺物139点を包装し、韓国銀行大邱支店に運んだ後に作成したと出ている。<…100年史>に公開された1957年米国展示出品目録には‘慶州別館遺物らが‘桑港’(サンフランシスコ)に保管中なので他の遺物と合流させ展示する計画’との一節が見られ、慶州遺物らが米国に渡ったことが分かる。キム・ジェウォン初代館長の回顧録などにこういう秘話が一部言及されたが、具体的情況が書かれた公文書が発見・公開されたのは今回が初めてだ。
中博側は当時、遺物を日本,東京帝国博物館(現 東京国立博物館)に送れば神聖不可侵な文化財として守られると提案した1951年1月13日付米国務部公文書も公開した。しかし2月3日付公文書では「韓国文教部が信頼できない日本移送に反対する」と記録し、提案が失敗に終わったことを示している。
この他に政府樹立直後の1948年12月、日本連合国最高司令部が韓国米8軍側に国立博物館陶磁器所蔵品八箱を‘研究のために’横浜に送るために待機させたと通知した公文書も発見された。中博側は「後続文書がなく当時搬出しようとしていた陶磁器が以後にどうなったのかは分からない」と明らかにした。
ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr
原文: 訳J.S