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‘運動場跡地の朝鮮遺跡を守れ’

記事入力:2008-11-26午後07:18:03
文化界,東大門運動場の跡地保存世論
“ソウル市はデザインプラザ建設修正を”

ノ・ヒョンソク記者

ソウル市が2010年までに旧東大門運動場の跡地に推進中のデザインプラザ建設計画を全面修正しなければならないという声が文化財学界で大きくなっている。
発掘機関であるチュンウォン文化財研究院が去る5月より1万坪余りの運動場跡で実施した文化財調査の結果、城壁跡程度しか残っていないという当初推定とは異なり、運動場跡地が‘驚くべきタイムカプセル’と確認されたためだ。この場所に朝鮮前期から20世紀始めまでのソウルの都市遺構が驚く程多彩で良好な状態で姿を表わした。

これに伴いソウル都心で最も大きく鮮明な都市生活史遺跡の相当部分を傷つけてしまうことが明らかなザハ・ハディドのデザインプラザ設計コンセプトや軸線を大幅修正したり最初から白紙化すべきだとの世論が形成されている。実際に中区,新堂洞側から運動場跡発掘現場を眺望すれば自ずと賛嘆が出てくる風景が繰り広げられる。清渓川水路の上に作られた高さ4mを越える二間水門が遠くに見え水門に連結した長さ200mに迫る朝鮮前期~後期の漢陽城壁基壇部石垣が目前に迫る。低地帯防御脆弱地ということを考慮して城壁を突き出すようにした治城施設もその間にある。

城壁の中には朝鮮の首都防衛司令部であった訓練都監の下都監官衙跡,警備兵らの武器庫と住居施設,日帝時代公園散策路跡などが見える。四方300m余りの地域に都市史野外博物館のように繰り広げられたこの遺跡は去る5月からわずか六ヶ月間に出てきたものだ。

ハディドの建築案は史跡に指定される城壁周囲を除く残りの遺跡上に乗せられる。去る9月11日、運動場跡城壁の北端で発見された雄壮な規模のアーチ型二間水門と水路跡が公開されるや、学界と文化財市民団体などは△遺跡中心公園への性格転換△デザイン公園案設計全面変更などの強硬論を出し始めた。城壁周囲保存だけを前提にハディド設計案を押し通したソウル市側はソウル市庁舎奇襲撤去の時のように文化財学界との対立構図が再燃されるかと苦哀の表情だ。

漢陽城壁-清渓川 水門-散策路まで
朝鮮前期~20世紀初頭 生活遺跡鮮明

最も敏感な争点は城壁内の軍事施設 下都監と軍営遺跡の保存可否だ。

この間の発掘の結果、運動場跡の東南端の下都監の場所には朝鮮末期と旧韓末の施設である蓮池,火薬,武器類などを作った工房,官衙,排水路などの跡が出現し今でも中期・前期に該当する遺跡が相次いで発掘されている。

ソウル市側は遺跡の一部だけをデザインプラザ施設の下にガラス床を作り保存展示したり、いくつかの場所を掘り出し他の空間に展示する代案を考慮中であることが分かった。ハン・ギュサン ソウル市デザインプラザ パーク担当官は「設計変更要求は初めて聞く。遺跡自体も公園事業過程から出た結果であるだけに立場をよく調整した解決策が出てくることが望ましい」と語った。

反面、文化財学界では遺跡保存状態が良好なうえに高宗が甲申政変の時に避難した下都監などは歴史的象徴性が高く積極的な保存対策が必須だと主張する。ハン・ヨンウ文化財委史跡分科委員長は「城郭だけ意識していたところへ他の遺跡が出てきてソウル市側が当惑しているようだ」として「市は大いに悩んで代案を作らなければならないだろう」と語った。

ひとまず文化財委員会は27・28日埋蔵文化財分科会議と史跡分科会議を開き出現した城壁,二間水門の保存方案から協議する予定だ。史跡となる城壁保存原則にはソウル市も同意した状態だ。本番は崩れた城壁と水門上部をどの程度復元するかであり委員会内部の見解が交錯する。

考古学者中心の埋蔵分科会はできるだけ手を付けず最大限現状態で保存しようというのが大半の意見だ。だが、歴史学者中心の史跡分科会は安全管理や教育の側面を考慮し、上側の胸壁(塀)の相当部分を復元しなければならないという見解を主張している。

ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/324151.html

原文: 訳J.S