原文入力:2009-10-30午後07:00:03
姜尙中 東京大教授,日本の政治リーダーシップ不在を痛烈批判
にせ物リーダーらと命を賭けて戦った‘金大中リーダーシップ’整理
ハン・スンドン記者
<半歩だけ先んじろ>(日本では<リーダーは半歩前を歩け>)姜尙中著・オ・クンヨン訳/四季・9000ウォン
<半歩だけ先んじろ>は政治思想史を専攻した姜尙中(59)日本,東京大教授が政治的リーダーシップ問題を扱った最近の著書だ。在日同胞2世の姜教授は今、日本で最も成功している学者のひとりだ。朝日新聞社が出す時事週刊誌<アエラ>は日本に流行した韓流にひっかけて‘姜流’という造語で日本社会内での姜教授の高い人気と影響力を表現したりもした。‘姜尙中’をもじった姜流と韓流とは日本語での発音がほとんど同じだ。新聞・放送などマスコミの注目度も高く学者としては珍しく彼の本が大量にあふれ出ていてまたよく売れる。異例的なことだ。
本の題名となった‘半歩だけ先んじろ’と言ったのは金大中前大統領だ。2005年頃から金前大統領に毎年会った姜教授は今年4月に正式インタビューを行い、その時に金前大統領が世界化時代におけるリーダーの役割に関する質問にそのように答えた。‘政治学者 姜尙中が提案するリーダーシップに必要な7つのパワー’という副題がついたこの本はしたがって金前大統領の人生を通じて望ましいリーダーシップとは何かをいちいち調べる実用書籍のような感じを与える。
だがそのような形式を一部取っているだけで本の編成や内容は日本の現実政治の話に重心が置かれている。姜教授が「イ・ミョンバク政権下の逆回り」「逆行する光景」と批判し、金前大統領の逝去をその逆行を阻むための「最後の闘争」,言うなれば死闘の結果だとした韓国現実政治に対してもその部分が示唆するところは大きい。
日本は‘米国のおしめ’を脱いでDJを見習いなさい
「日本という国では厄介者扱いされ、故国からも不当な待遇を受けている在日同胞という存在は果たして何だろうか。玄海灘を間に置いた両国間のあつれきの中でうめき声を出してみても誰も助けてくれない、そのような‘歴史のゴミ’のような存在なのか、私たちは….」そのようなみじめな状況から彼を救出したのは1972年に初めて行ってみた祖国の凄惨な現実と1973年に起きた‘金大中拉致事件’だった。「私ははじめて巨大な構造的暴力を覗き見たようだった。韓・日癒着の構造とそれを背後で支援する米国の圧倒的な影。それが構造的暴力の‘正体’であることを知った時、私は安易でロマンチックな感傷に離別を告げ歴史的現実という巨大な存在と向き合うことになった。」
姜教授が評価する金前大統領の最高徳性の一つがまさにこの‘構造的暴力’を正確に認識し、それを終息させることを一生の使命として実践したということだ。
構造的暴力と共にこの本を貫くキーワードは‘青銅のおしめ’だ。日本政治家たちのリーダーシップ不在を象徴する青銅のおしめは敗戦国日本を占領した米国が日本にはめられた‘特殊な手錠と鎖’を言う。「敗戦でそれまでの歴史を削除され赤ん坊から人生を始めた日本にその時、青銅で作った巨大なおしめが締められたのだ。 … ‘東西冷戦’に備えたおしめだ。おしめをつけたのは言うまでもなく米国だ。すなわち東西冷戦という世界政治の力の均衡のために、日本には強制的に巨大なおしめがはめら、その状態に非常に高度に適合したのが自民党という保守政党だったということだ。」
姜教授によれば、吉田茂や岸信介,池田隼人,佐藤栄作など米-日同盟体制の枠組みを完成した総理らは言うまでもなく中曽根康弘や田中角栄などいくつかの特筆される政治家らも結局は米国制青銅おしめを着け米国の利害範囲の中でノン“リーダーでないリーダー”,“リーダーがリーダーとしての役割を果たすことができないことによってむしろリーダーでありえる”存在に過ぎなかった。野党が去勢された状況で日本国民は身内の争いの自民党内派閥抗争に特別気を遣わなかった。「なぜなら現実生活にそれほど切迫感がなかったためだ。誰もが先ずは生きていけたし生命にも格別の支障がなかったためだ。だから‘誰がたっても関係ないい’と通り過ぎてきたのだ。」ところが高度成長が終わり冷戦が崩れ、事情が変わった。バブル経済が崩壊し不況が加速化した1997年アジア外国為替危機以後に状況が急迫した。「働き口がなくなり月給が削られ、貯蓄が減って子供を育てることもできず、病院にも行くことができなくて恐ろしくて病気にかかることもできない」それまで経験したことのない危機感と将来に対する不安感が襲った。それでも自民党はせいぜい道路工事を増やしてみようか、銀行に公的資金を投じてみようか水準を越えることができなかった。小泉純一郎が登場したのはまさに自民党主流55年体制の‘利益分配政治’がこういう行き詰まりに至った時だった。人々は“何かしてくれそうな”雰囲気を大げさに演出した小泉に多くの期待をかけたが、彼が解決したことは一つもなかった。むしろ彼の新自由主義政策は社会的格差と貧困問題を拡大し地域社会を疲弊させ、社会保障体制も破壊した。民主党への政権交替はその当然の帰結だった。
金大中はそのような米国制青銅おしめをはめた部類らとは違うと姜教授は話す。日本に劣らない事実上の一党長期政権体制が続いた韓国の政治リーダーらもやはり米国制おしめを着けていたが、それは青銅製よりきびしい銑鉄おしめだった。金大中は銑鉄おしめを着けるのではなく、それを着たにせ物リーダーらと命をかけて戦った本物リーダーだったというわけだ。青銅おしめを着けた者たちのリーダーシップがにせ物であれば、銑鉄おしめを着けた者たちのリーダーシップはそれ以上ににせ物ではないか。池田の‘所得倍増’が米国の要求に迎合したにせ物リーダーシップだとすれば、朴正熙の開発独裁は言うまでもないではないか。
いわゆる‘戦後政治’体制が終わり新しい変化の波が予告されている日本に「金大中前大統領が見せたリーダーシップの真髄を伝えたい」というのが姜教授がこの本を書いた理由だ。
個人の自由と競争過剰で一層切迫した生存の危機に処した大衆は、エーリヒ・プロムが語った自由路からの逃避を夢見て‘ハイ リターン・ハイ リスク’式のCEO型リーダーモデルを拒否し利潤幅が少なくても公正で安全で持続可能なリーダーモデルを好み始めたというのとが姜教授の考えだ。ハンナラ党の引き続く補欠選惨敗もこういう気流変化を反映しているのだろうか。
ハン・スンドン選任記者sdhan@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/384988.html 訳J.S