原文入力:2009-10-22午後09:10:55
‘安重根と東北アジア平和’学術大会
イ・セヨン記者
←安重根と伊藤博文(右側). 100年前2人の悲劇的出会いを韓国・日本両国は‘義挙’と‘テロ’という相克の言語で記憶する。
‘平和主義者 安重根’とは聞きなれない言葉だ。韓国人の意識の中に安重根という存在は、訓練もされていない軽武装義兵部隊で最強の日本軍隊と死闘を行い、幾重のも張り巡らされた警戒網を突き抜け、帝国の怪物政治家に向かい銃弾を放った天性の武骨の丈夫イメージとして符号化されているためだ。それに対する評価は国境を境に極端に交錯している。韓国では国権侵奪の元凶を刺殺した民族の英雄だったが、日本で彼は‘現代政治の父’を殺害した朝鮮の偏狭な政治刺客に他ならなかった。一国的観点に捉われた民族主義歴史認識の当然の帰結だった。このような点で‘平和主義者 安重根’に注目した南・北・中3ヶ国の共同学術大会はその意味が格別だ。
獄中執筆遺稿を通じて‘東アジア共同体’認識 再照明
‘原初的民族主義’後光を集めて世界主義者の容貌に注目
韓国学中央研究院現代韓国研究所と北韓の朝鮮社会科学者協会,中国,大連大韓国学研究院などが‘安重根義挙100周年’に合わせて25~26日中国,大連で共同で開く今回の学術大会の主題は‘安重根と東北アジア平和’。韓国からはキム・サムウン前独立記念館長,パク・ミョンギュ ソウル大教授,チェ・ウォンシク仁荷大教授,キム・ギョンイル韓国学中央研究院教授が参加し‘東アジアの脈絡からみた安重根と東洋平和論’‘東洋平和論の現在的価値と未来像’等の論文を発表する。
北韓と中国側の参加者らが安重根と‘ハルビン義挙’に対する自国内評価を主に扱うのに対し、韓国からの参加者らは安重根が獄中執筆した未完成遺稿<東洋平和論>に見られる平和主義的信念と‘東アジア共同体’に対する萌芽的認識に焦点を合わせる。<東洋平和論>は死刑宣告を受けた安重根が控訴権を放棄する代わりに裁判所から執筆許諾を受け獄中で書いた未完成論説であり西洋勢力の侵略を防ぐために東洋三国の団結が必要で、そのためには韓国の独立が必須という主張を含んでいる。特に東洋平和の具体的実現方法として韓・中・日3国平和会議の開設と銀行設立を通した共通貨幣発行,共同軍隊創設などを提案した部分に対しては‘100年の時空を跳び越える先駆的洞察’という評価も出てくる。
キム・サムウン前館長は‘自由のための暴力’という観点で安重根の伊藤博文暗殺に正当性を付与する。安重根の‘偉業’は「東洋平和を蹂躙した帝国主義侵略者を処断することにより国際平和を維持しようとする平和運動の一環だった」ということだ。「日本の一角で(安重根について)暗殺者・テロリスト云々するのは暴力に対する認識不足に起因する。伊藤が韓国と大陸を侵略し‘東洋平和のために’という名分を挙げたが、これは‘束縛する暴力’であり、安重根が伊藤を処断したのは‘自由のための暴力’だった。」
←左側からキム・サムウン,パク・ミョンギュ,キム・ギョンイル
パク・ミョンギュ教授は安重根が示した‘国際平和主義者’の識見を南北韓と東北アジアの共有資産とすることを提案する。パク教授が見る時、安重根が獄中で残した<東洋平和論>の要諦は‘東洋のすべての国家が自主独立の状態で平和と協力を追求していかなければならない’ということにある。パク教授はこういう安重根の原則が韓半島統一と関連し重要な指針を提供すると見るが、統一国家建設が依然として重要な時代的課題という点だけでなく、統一は排他的・自閉的な方式でなく周辺国との連帯と相互作用を通じてなされなければならないという事実を呼び覚ましてくれるということだ。
キム・ギョンイル教授は安重根の思想から伺える開放的民族主義と世界主義的指向に注目する。安重根から‘民族第1の公敵を処断した英雄’という原初的民族主義の後光を取り除く必要があるという話だ。キム教授は安重根もやはり「民族主義的動員という戦後韓国社会の必要から一面化され硬直していく過程を辿った」と見る。したがって彼に付着した歴史の痕跡を除去するならば、彼の民族主義が「韓国のために、ひいては世界のために開かれることを指向する」開放された民族主義という事実が顕れるというのが彼の考えだ。彼が特に注目するのは安重根が自身の裁判を朝鮮法でも,日本法でも,ロシア法でもない万国公法(国際法)の手続きに従わなければなければならないと主張した点だ。これについてキム教授は「普遍主義的世界主義に対する彼の信頼を示すことで彼の東洋平和論が偏狭な民族主義や地域主義ではなく、普遍的価値に対する献身に基づいているという点を示す事例」と評価する。
しかし、発表者らは安重根の卓越性だけを強調する一部の見解には警戒心を表わした。東洋平和論が安重根だけの独創的思想でないのみならず、当時の日本のアジア主義から影響を受けた多数の東洋平和論がそうであるように人種主義と日本盟主論から自由ではなかったことも事実だというものだ。
“安重根は完全な人物ではない。彼を無条件に英雄視するより、生と死,思想と行跡を共に解釈し、その意味を共有しようとする努力が必要だ。100年前、伊藤博文と安重根の悲劇的出会いに対し、21世紀の韓国と日本,中国が同じ意味付与ができる時、はじめて彼が夢見た東洋平和の本格的な場が開かれるだろう。”(パク・ミョンギュ教授)
イ・セヨン記者monad@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/383338.html 訳J.S