原文入力:2009-09-16午後08:40:55
カバーストーリー 自転車に乗って新羅の主要遺跡 鑑賞…
善徳女王陵前には探訪客 献花山盛
イ・ビョンハク記者
←慶州,芬皇寺址と黄龍寺址の間のだいだい色のコスモス花畑に頭を差し出している九黄洞幢竿支柱。遠くに見える狼山麓に善徳女王陵がある。
新羅は紀元前57年から西暦935年まで992年間にわたり受け継がれてきた古代国家だ。新羅の首都,慶州は1000年の歴史を大切に保管してきた博物館都市だ。国宝32点,宝物93点をはじめとする236点の国家指定文化財らあり、露天博物館とも呼ばれる。1995年石窟庵と仏国寺が、2000年には慶州市の4分の1にあたる歴史遺跡地区がユネスコ世界文化遺産として登録され、その真価を認められた。
主要遺跡を見て回る方式は、歩いて巡る方式と車両および徒歩移動,自転車を利用した探訪がある。最近では自転車を利用する人々が大きく増えた。6ヶの遺跡探訪コースを用意して主要遺跡周辺25ヶ所に自転車保管台を設置した。自転車は慶州駅とバスターミナル,新羅文化体験場そばなど、市内52ヶ所に用意された貸与所で借りることができる。
←狼山の山裾にある皇福寺址三層石塔(九黄里三層石塔)付近の村道.
一日借りるのに7000ウォン
この頃、人気のコースは新羅初めての女王である27代善徳女王関連遺跡探訪路だ。これと決まったコースがある訳ではないが、善徳女王陵など狼山周辺に関連遺跡が集まっている。
去る11日病院の昼勤務がない合間を利用し、水原から明け方の列車で来たイ・ミヨン(26),ファン・スギョン(22・以上 看護師)氏について自転車で遺跡を巡った。イ氏は自転車初歩者,ファン氏はベテランだ。
イ氏とファン氏は新羅文化体験場で文化財の形をまねたネックレス作り(3000ウォン),天然石鹸作り(5000ウォン)等を体験した後、大陵苑前の自転車貸与所で1日用(7000ウォン)自転車を借りた。1時間は3000ウォン,3時間は5000ウォン。
午前9時。自転車初歩者のイ氏が走行練習を終えた後、先ず瞻星台へ向かった。市内では歩道に表示された自転車道を利用する。瞻星台チケット売場の前に自転車を停めて入った。瞻星台(国宝31号)は1300年の風霜を耐え抜いた古代天文観測施設だ。善徳女王の時、362ヶの石を整え積んだ高さ9.2mの原形構造物だ。文化遺産解説士キム・ファスク(47)氏は「星の観測所というよりは善徳女王が天の意思を知るために作った権威のための建築物」としつつ「最初の姿をそのまま大切に保っている稀有な遺跡」と説明した。
慶州金氏の始祖キム・アルチの誕生説話が残る松林鶏林を過ぎ、新羅王宮があった月星(半月城・新月城)に自転車を走らせた。コスモスの花畑を過ぎ坂道を上がると広い平地が開ける。王宮の痕跡は探せないが、城壁の一部と城の周りに掘られた水路である垓字(堀)の跡が残っている。その代わりに朝鮮英祖の時に氷を保管するために作った石氷庫(宝物66号)が待っている。石で作った氷倉庫だ。月城から降りてきて垓字跡を見て、車道に沿って雁鴨池(アナプチ:月池)を経て狼山へ向かった。
道路周辺に立ち並ぶ桜の木の葉は黄色く赤い色に染まり始め、木百日紅はまだ百日にならないと見えまだ赤い花を付けていて見事だった。
狼山は高さ100m余りの小さな山だが、ここにまつわる話がおびただしい。狼がうつ伏せになった形の山だ。新羅初期からこの山を神聖視し神が降臨して居住する神遊林と呼び伐木を禁じたという。今でも山の斜面には神仙が降りてきたという意味の降仙村がある。この山の麓に善徳女王の陵がある。陵に上がるところに陵旨塔がある。土を積み石を塔形式に巻いた姿が陵でもなく塔でもない。‘外敵を打ち破るために’東海に葬ってくれと言った文武王を火葬した場所だという。
←善徳女王陵は四天王寺址側からも上がることができる。
善徳女王陵はうっそうとした松林に囲まれている。自転車は山道を登らなければならない。陵の前に探訪客が捧げた菊花が山と積まれている。主に中年女性の探訪客たちが花を捧げ各種の祈りを捧げる。特定女性政治家の名前を名指しして花を捧げる人もいるという。松林の道を降りてきて自転車を停めておき発掘作業中の四天王寺址を眺める。
善徳女王は亡くなる前に「私が死んだら忉利天に埋めてくれ」と言ったが、忉利天がどこかと尋ねるとすぐに“狼山の南側”と答えたと言う。四天王寺は善徳女王の死後30年後、陵の下側に文武王の時に作った寺だ。解説士キム氏は「佛歌の‘四天王天の上に忉利天がある’という言葉にそのまま従ったわけ」と話した。
狼山を降りてくれば自転車道は本格的な秋の野原に入る。ちょうど黄金色に染まり始めた稲穂が広がる広い野原の道でペダルを踏むと心がさわやかだ。道は善徳女王の父親であり先王の真平王王陵につながる。しばらく行けば畑のまん中に普門洞蓮華文幢竿支柱(宝物910号)を訪ねる。高さ1m46のやや短い幢竿支柱が印象的だ。支柱の上側に大きなレンゲ紋が刻まれていることも異彩を放つ。解説士キム氏が「新羅幢竿支柱の中で最も特異な姿で注目される遺跡」と説明した。
薛聰(ソルチョン)は元暁大師と瑤石公主(王女)の間に生まれた新羅3代文章家の一人。薛聰の墓を見た後、村の店でミネラルウォーターを買い真平王陵へペダルをこいだ。真平王陵周辺の風景は一抱えに余る榎の群落だ。陵のそばには松や柳もあるにはあるが、陵を囲んで立つ深く濃厚な陰を垂らした榎の姿が絵のようだ。解説士キム氏が話した。「真平王は現在ドラマで軟弱な人物に描かれています。しかし、真平王は背が11尺に達する壮大な人物だったと記録されています。」
畑のまん中を貫く農水路道を走り狼山の山裾の皇福寺址三層石塔に行く。皇福寺は義湘大師が出家したところで、三層石塔内からは金仏立像と坐像の2ヶ(国宝)が出てきたという。
また車道に出て歩道に沿って自転車を走らせ芬皇寺を訪ねる。芬皇寺は善徳女王3年(634年)に創建された寺だ。慈藏・元暁などの高僧たちがこの寺を通っていったという。3階だけが残った芬皇寺塔は中国の塼塔(レンガ塔)を模倣し安山岩を整形しレンガのように積んで作った模塼塔だ。最も古い時期の新羅時代の塔で本来7~9階の塔だったと見られる。境内の塀の下には塔に使われた整えられた石が山と積まれている。
真平王陵 榎の陰でゆっくり休息
←善徳女王の時に建てられた芬皇寺塔と当時の井戸石井。ファン・スギョン(左側)・イ・ミヨン氏が井戸を覗いて見ている。
塔のそばの石井(新羅時代の井戸)と新羅時代の碑石に秋史 金正喜が書いた文字のある碑石台も見ものだ。井戸を作っている石は巨大な筒石を削って作ったものだ。芬皇寺跡そばの広大なだいだい色のコスモス畑はやはり善徳女王の時に創建された巨大な寺,黄龍寺址だ。
黄龍寺跡横の道に沿って移動し、再び新羅文化体験館に戻ると午後2時。真平王陵の榎の陰で長く休んだために5時間もかかった。
移動中に2回も転んだ自転車初歩者イ・ミヨン氏は「何とかしようと思ってきた自転車を習い、言葉だけで聞いていた慶州の遺跡を直接見ることができてとてもうれしい」と話した。ファン・スギョン氏は「初めはシティツアーバスに乗ろうと思ったけれど、巡ってみたら自転車にして良かったという気がする」として「野道を走ったことだけでも楽しかった」と話した。
慶州旅行メッセージ
おもむきある古宅宿泊
◎行き方|ソウル駅から慶州駅まで明け方5時30分から一日7回列車セマウル号6回,最終列車の夜10時35分にはムグンファ号)が運行される。セマウル号3万6000ウォン,4時間44分所要。ムグンファ号は2万4200ウォン,5時間所要。乗用車では首都圏から京釜高速道に乗り慶州出入り口で出る。
◎体験・食べ物|新羅文化体験場(054-777-1950)で文化財模型作り,拓本,仮面作り,伝統木工芸・韓紙体験などができる。慶州市河東民俗工芸村内の新羅窯(054-746-1115)はドラマ<善徳女王>に登場する土器製品を作る所だ。土器製作体験ができる。川北面ファサンプルコギ団地内の運数大通ガーデン(054-762-5353)は慶州韓牛が専門だが、ご飯の味が良く訪れる人が多い。釜飯を頼めば葉野菜味噌汁・味噌なべが一緒に出てくる。味噌うどんもある。北軍洞フンブ家(054-748-5688)はカルチチゲ(太刀魚鍋)とオルクンスンドゥブ(旨辛純豆腐)が美味だ。
◎泊まる所|慶州には韓屋古宅に泊まれるところが三ヶ所ある。塔洞月岩斎は4人基準8万ウォン、離れは15万ウォン。安康邑玉山里李彦迪の古宅である独楽堂は2人基準3万ウォン、3人基準5万ウォン。排盤洞の守吾齋は本棟・舎廊棟・離れ座敷の9ヶの部屋が用意されている。2人基準10万ウォン。問い合わせは新羅文化院(054)774-1950.慶州市庁文化観光課(054)779-6395.慶州市庁文化財課(054)779-6063.慶州高速バスターミナル(054)741-4000.
慶州=文・写真イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/377130.html 訳J.S