本文に移動
全体  > 文化

道峰山麓で国内最古の千字文を発見

登録:2018-01-26 00:05 修正:2018-01-26 08:39
古刹 霊国寺址出土品の中から 
歐陽詢體の文字が彫られた石1点を発見 
10世紀、高麗初期の唯一本と判明 
「朝鮮時代以前の千字文は初めて」
国内で最古の千字文の実物と判明したソウル霊国寺址から出土した高麗時代の石刻千字文破片には163・165・167区が刻まれている。2012年に出土した遺物で現在は漢城(ハンソン)百済博物館に所蔵されている=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 「おお、これは千字文です!国内最古の高麗時代唯一の本です。今まで見たことがない…」

 受話器から仏教文化財専門家のコギョン僧侶(松広寺聖宝博物館長)の興奮した声が聞こえてきた。

 昨年11月初め、曹渓宗仏教文化財研究所遺跡研究室のパク・チャンムンチーム長は、僧侶からの電話を受けてびっくり仰天した。数年前から調査してきたソウルの道峰山(トボンサン)麓にあった高麗時代の古刹、霊国寺址からの出土品の中から、精巧な文字が彫られた石片(石刻片)6点の判読を依頼したが、そのうちの一点が1000余年前の韓国最古の千字文実物と判明したという内容だった。

 10世紀頃の高麗初期のものと判明したこの千字文石刻は、2012年にソウル文化遺産研究院の調査で、寺の跡地から出土した遺物だ。研究所側が僧侶の説明を聞いて石刻を調べたところ、5~6世紀の中国の梁の文人、周興嗣が作った千字文 250区のうち163区、165区、167区の前句節の一部が彫られていることが明らかになった。「国の大本(おおもと)農桑(のうそう)にあり」という意味の163区「治本於農」の「治本…」部分と、165区「はじめて田畑耕し起こし」という意味の「俶載南畝」の「俶載」、167区「稲が実れば新穀まつる」という意味の「税熟貢新」の「税熟…」部分が、見事で骨格の整った楷書字体で表記されていた。コギョン僧侶は「石刻文字を何度も見たが、千字文の後半部で見たことのある句ではと思い、持っている千字文の索引と対照してみたら当たっていた」として「国内にある千字文の実物は、朝鮮時代以前の版本がなく、画期的な国家文化財級の発見」と話した。

霊国寺址から出土した石刻千字文の拓本=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 書芸史家のイ・ワンウ韓国学中央研究院教授も「統一新羅から高麗初期まで流行した唐の名筆、歐陽詢の典型的な書体で、共に発見された高麗石経(石に刻んだ仏教経典)と書風、刻む方式、材質も同じで、高麗初期の遺物であることは確実だ」として「句の構成を見る時、1行に8文字ずつ刻んだことが分かっているが、当時は寺で僧侶の漢字学習のために使われたものと見られる」と推定した。

 韓国国内の学界は、周興嗣の千字文が朝鮮半島の三国に直ちに伝えられたと考えてきた。日本史書の日本書紀には、3世紀に百済の博士である王仁が日本に千字文を伝えたという記録があるが、周興嗣の千字文より早く、他の種類の千字文を伝えたものと見る見解が優勢だ。千字文実物の場合、広く知られた名筆である韓ホの「石峯千字文」(1583年初刊)をはじめ、朝鮮時代の版本のみが伝えられてきており、三国・高麗時代のものは皆無だった。15世紀、安平大君(アンピョンデグン)の楷書・草書本と死六臣(サユクシン)の一人である朴彭年が書いたという草書本が最古の文字本と言われてきたが、後代に板刻され続け使われた。最も古い版本は、1575年に作られた「光州版千字文」(日本の東京大所蔵)が挙げられてきたが、今回の石刻本の発見で千字文実物の歴史は500年以上遡ることになった。

 研究所側は、新たに判読された千字文石刻を12日に韓国木幹学会の発表会で学界に公開した。この席で千字文石刻を検討した石経研究者のチョ・ミヨン博士(円光大)は「書体を見ると、千字文石刻を刻んだ時期は統一新羅時期まで遡る可能性がある」と主張して、学界での新たな論議も予想される。

2012年に霊国寺址で千字文石刻本と共に出土した妙法蓮華経を刻んだ石経破片の一部。高麗時代に仏教経典を刻んだ石経遺物としては唯一のものだ。漢城百済博物館所蔵=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社

 研究所はこれと共に、2012年の発掘当時に千字文石刻と共に出土した他の石刻3点が「妙法蓮華経」を刻んだ高麗時代唯一の石経であることを明らかにし、2017年の出土品の中から、経典と教理の内容を描いて見せた「変相図」と推定される蓮花模様(蓮瓣文)が彫られた石刻1点も追加で確認したと説明した。現在、韓国国内に残っている古代石経は、求礼(クレ)の華厳寺(ファオムサ)の「華厳石経」と慶州(キョンジュ)の昌林寺(チャンニムサ)址から出た「法華石経」、慶州南山(ナムサン)の七仏庵から出た「金剛石経」のみだが、すべて統一新羅時代の遺物だ。

2017年に霊国寺址で出土した蓮花模様(蓮瓣文)を刻んだ石刻破片。石経に刻んだ仏教経典の内容を描くことで解説した「変相図」だったと推定される=仏教文化財研究所提供//ハンギョレ新聞社
ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/829295.html韓国語原文入力:2018-01-25 16:10
訳J.S