原文入力:2009-07-22午後08:15:55
‘愛国主義’理論論争 拡散
イ・セヨン記者
←チャン・ウンジュ 霊山大教授(法学科)
昨年、歴史教科書波紋を契機に触発された‘大韓民国史論争’の後暴風が尋常でない。12月チュ・デファン前民主労働党政策委員長とチャン・ソクチュン進歩新党政策室長の論争を通じて進歩陣営内部に移った論争は、最近学界専門家たちが加勢しいわゆる‘愛国主義’を巡る理論論争に広がる形勢だ。チャン・ウンジュ 霊山大教授(法学科・写真)が今月初めに発刊された半年刊<市民と世界>(参加社会研究所編集)に‘大韓民国を愛するということ-進歩的愛国主義の可能性と必要’という文を発表したのに続き、パク・ミョンニム延世大教授,シン・ジンウク中央大教授なども類似の主題の寄稿と発表文を準備している。来月12日<京郷新聞>とウンジン知識ハウスが共催する‘共和主義’討論会の核心争点の一つも‘愛国主義’だ。
“独断的国家権力抵抗行動が共和主義的愛国主義”
チャン・ウンジュ教授主張に一部で“起源論的思考”反論も
←オノーレ ドーミエ(1808~1879)の1848年作<共和国>。ヨーロッパ人たちにとって‘共和国’(国家)は子供(国民)を養育し教育する慈愛深いお母親のイメージに符号化されている。ルソーは市民の愛国義務が国家から提供される人間的な暮らしの恩恵から発生すると見た。だが、天皇制ファシズムから李承晩反共国家,維新,第5共和国とつながった韓国現代史は韓国人の脳裏に国家を君臨し虐待する‘抑圧的父親’のイメージを定着させた。
実際のところ、韓国の進歩勢力にとって‘愛国’は永らく禁忌の言語だった。‘維新’と‘第5共和国’に象徴される極端的国家主義が彼らの脳裏に‘抑圧する父親’という国家イメージを確固として刻印させたためだった。彼らは権威に順応し慰めを求めるより‘分断された民族’と‘抑圧された民衆’の名前で不正な父親に抵抗した。彼らにとって民族と民衆は父親の暴力に苦しむ母親,兄弟の別名だったのだ。
こういう訳で手続き的民主主義が一定確保された後も彼らの無意識は‘過去の父親’を想起させるどんな話や象徴も容認しないとしたし、‘慈愛深い父親’に対する大衆の渇望もやはり批判と克服の対象と感じた。彼らに‘大韓民国を愛しなさい’ということは、胸ででも頭ででも受け入れ難い不当な強要でありまた別の抑圧だった。
チャン・ウンジュ教授は進歩勢力のこういう頑強な‘反愛国主義’が見逃している地点に注目する。それは大衆の政治的生活で重要な位置を占める‘国家的矜持’と関連した問題だ。例えばソウル広場に集まり座って“大~韓民国”を叫ぶ市民の行為を、非合理的な国家主義的情熱の噴出と見てはいけないということだ。個人が自尊感なしには正常生活を送ることができないと同じように、一国家が持続的に発展するためには人民の‘国家的自負心’が必須だと見るためだ。彼は米国の法哲学者マーサ・ヌスバウムの言葉を借りて語る。
“愛国主義は概して悪いものだ。しかし愛国主義が危険だからと言って、または右派が楽しんで利用する政治的手段だとして、進歩政治がそれを無視するのはさらに危険でもある。進歩政治はむしろ正しい愛国主義で武装し右派が独占している政治的空間を確保しなければならない。”
チャン教授は‘進歩的愛国主義’の可能性を昨年夏、大極旗を振り“大韓民国は民主共和国だ”を合唱した広場のその市民たちから発見する。“大韓民国のすべての権力は国民から出てくる”という宣言を通じて、国家の独断的権力行使に抵抗する彼らの行動こそ、愛国の根拠を‘共和国’が保障する‘すべての人の平等な自由と参加’に求める‘共和主義的愛国主義’の表現だということだ。この論理によれば、私たちが大韓民国を愛さなければならない理由は明確だ。‘共和国’は政治体制を通じてすべての人の平等な自由を保障し実現することにより人間らしい人生を享受できるようにしてくれるためだ。
問題は大韓民国が果たして人民の愛を要求するに足る‘共和国’の理念で充実してきたかということだ。チャン教授は“違う”と認めつつも、それが愛国を拒否しなければならない理由とはなりえないと話す。彼が何より注目するのは、共和主義の理念を成文化した制憲憲法だ。“我が国が自ら民主共和国だと宣言する憲法を持つ瞬間、その憲法は支配の合理化と民主的法治主義の完成に向かう内在的-規範的同学を発現させずにはいられない”と見るためだ。
こういう論理に従えば、独裁に抵抗した民主化闘争もやはり“民主共和国という憲法理念の実現されなかった価値を喚起させ、新しく解釈しそれを実現しようとした運動”に他ならない。これを通じてチャン教授が進歩勢力に投じるメッセージはこうだ。
“進歩的民主主義は大韓民国という現実的な土台に対する率直な受け入れの上で抱くこととなる‘未来に対する責任意識’のようなものと表現されなければならない。大韓民国の現在の姿を否定し、ばかにして、その中でなされるすべての実践を‘体制内的’と蔑視するのは現実を少しでも意味があるように変えていく上で何の助けにもならない。”
こういうチャン教授の主張に対しては反論もやはり侮れない。チャン・ソクチュン進歩新党政策室長はチャン教授の主張を“起源論的思考”と突き放す。チャン教授は“現時点で過去を再構成し、現在の希望を過去に投影している”というものだ。チャン室長は言う。
“大韓民国の過去にはとうてい納得し受け入れられない否定的現実が存在しており、その現実はいまだに生き残り、未来の発展を遮る足かせとなっている。それを無視したまま、大韓民国を自己準拠的,規範的現実として認めろということはまた別の暴力だ。”今後展開するだろう論戦の激しさを予感させる。
イ・セヨン記者monad@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/367318.html 訳J.S