原文入力:2009-06-05午後09:00:26
10日から仁寺洞で展示
ノ・ヒョンソク記者
←<梅鳥図>(梅と鳥の絵)
朝鮮後期の実学者,茶山 丁若鏞(1762~ 1836)が全南,康津流配時期に小室(側妻)が産んだ娘を思って描いたと見られる<梅鳥図>(梅と鳥の絵・写真)が初めて公開された。
ソウル,仁寺洞,孔画廊は10~23日に開かれる書画鑑賞展 ‘眼目と眼福’ を控えて<梅鳥図>等、知られていなかった茶山の親筆絵画と書帖,簡札などの文字出品作5点を5日お披露目した。
個人所蔵のこの<梅鳥図>(横50.5cm×縦27cm)は1813年8月19日、康津,紫蝦山の山荘で描かれたものだ。絹のスカートの裏を切って作った布の上部に横に伸びて花がついた梅の枝と、下の枝の先にとまっているホオジロ一羽の姿を描いた。その下には七言絶句の詩が特有の素早い行書体で書かかれている。‘とまった枝はみな腐り切り株になろうとすると/青い枝が伸びて出て花を咲かせるようになりました/どこかから飛んできた色鮮やかな小鳥が/一羽だけ残って空を飛び交うよ。’
絵と詩を分析したチョン・ミン漢陽大教授(漢文学)は「詩句の脈絡から類推して茶山が流配生活中に得た小室の産んだ娘 ホン を思いながら描いたものと推定される」と分析した。茶山の<梅鳥図>は高麗大博物館にも一点が伝わっているが、今回の絵同様1813年7月14日婚姻する長女のために本妻洪氏が贈ったスカートを切って描いたものだ。 (02)735-9938.
ノ・ヒョンソク記者
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/music/358904.html 訳J.S