原文入力:2009-05-14午前08:59:23
‘歴史批評’ 夏号に ‘御札の政治学’ 論稿掲載
ノ・ヒョンソク記者
去る2月朝鮮22代王 正祖(在位1776~1800)が政敵である老論 僻派の首長 沈煥之(1730~1802)に送った密書(御札)が公開されてふくらんだ正祖毒殺説論争が再び熱くなっている。御札の入手,解読,公開作業を主導したアン・デヒ成均館大教授(漢文学)は最近季刊<歴史批評> 87号(夏号)に ‘御札の政治学:正祖と沈煥之’ `という論稿を載せ御札などから発掘した新しい史料などを根拠に毒殺説を全面否定する見解を発表した。
アン教授はこの論稿で「イ・ドギル ハンガラム歴史文化研究所長などが提起した老論 僻派 毒殺説は情況と推定を提示しただけの虚構に過ぎない」として「正祖は明確に病死したもの」と断言した。毒殺説疑惑に対して、既存学界で本格的根拠を提示し反論文を出したのは今回が初めてだ。
アン教授の論稿で最も目を引くのは僻派毒殺謀議説の有力な根拠として引用された‘五晦筵教’に対する解釈だ。五晦筵教というのは正祖逝去20余日前の1800年5月30日、臣下らに下した政局構想と関連した一種の談話だ。イ所長など在野学界では正祖が五晦筵教で僻派を退けて南人らを大挙登用するという構想を明らかにするや、僻派が危機感を感じ毒殺陰謀を計画したと推定してきた。
アン教授は<正祖実録>全文と正祖が御札に打ち明けた所感などを調べれば、イ所長がその内容を正反対に誤読,わい曲したことが明らかになると主張した。五晦筵教は朝廷人事の大原則を明らかにし親僻派のイ・マンスを兵曹判書に任命し、僻派の核心イ・ソグも重用するというのが核心で、むしろ僻派を登用しようとする意向を強く表明したものという見解だ。実際に正祖は五晦筵教を発表した5月30日沈煥之に送った未公開御札(京畿道博物館所蔵)で「五晦筵教の核心が風俗を正す ‘矯俗’ にあるのに、この俗が実際に時派を指すと言って時派らが反発している」と書いている。6月9日付御札でも正祖は「私が昔のように角を隠してザラザラしたうろこも隠して、うとうと眠っているような(慎重な)態度を(臣下らに)見せたが、(五晦筵教で)全く違う(断固たる)態度を見せてやった」として満足する場面も出てくる。アン教授は「正祖が沈煥之にこのように内心を表わしたのは五晦筵教で矛先を転じた対象が僻派ではなく他の側であったという明確な証拠」と解説した。
アン教授は続けて正祖の母君の恵慶宮洪氏が彼女の手記である<閑中録>に自らの実家を敵対視した僻派の沈煥之に対して極度の憎悪心を表わしているが、<閑中録>で毒殺の可能性を全く提起していないことは正祖の病死を立証する明らかな証拠と断定した。 ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr
原文: 訳J.S