本文に移動
全体  > 文化

宮中刺繍に見る朝鮮の興亡盛衰

登録:2013-06-27 20:49 修正:2013-06-28 05:28
[文化‘ラン’] 文化人
9月1日まで故宮博物館で展示会
初期には地味…後期に入り華麗に
‘美しい宮中刺繍’展に展示中の刺繍 梅花島(メファド)屏風. 故宮博物館提供
福温公主 大礼服. 故宮博物館提供

 ソウル国立故宮博物館で9月1日まで開かれる‘美しい宮中刺繍’展では朝鮮時代の興亡盛衰を読むことができる。

 宮中刺繍は宮中画家が下絵を描いて繍房に所属した内人らが製作したもので、民間刺繍とは異なり熟練した手並みが際立って見えるだけでなく模様が精巧で構成にも調和がとれている。 展示場には服、刺繍座布団などに現れる服飾・生活刺繍、掛軸、屏風などに作られた鑑賞用刺繍など作品90点が披露される。

 服飾刺繍では王と王妃の龍補(胸や背中などに付ける龍を縫い取った布)をはじめ王室の尊厳性と地位を表わす各種胸背(胸・背中などの縫い取りのある布)と後綬(礼服の後のたれ)等、服飾付属刺繍品が展示され、王室の婚礼を祝って製作した婚礼刺繍品と華麗な刺繍模様が引き立って見える公主の大礼服があわせて披露される。 鑑賞刺繍は装飾性が際立って見え、王室一家の無病長寿と幸福を祈る内容を含んでいる。

龍補(ヨンボ)木版. 故宮博物館提供

 性理学を根幹として倹約を旨とした朝鮮王朝初期、手間がかかり派手な刺繍は‘タブー’であった。 宮中礼服は位の上下により素材、色、様式が制限された。 おしゃれができる部分は龍補と胸背、後綬など一部に過ぎなかった。 宮中権力の官吏たちは手本に従い形は同じでも作る人の手技により品格を別にすることができた。 おしゃれな人は付属刺繍に精魂を込め、そっと大きくしたりした。 ただし厳格な規制を受ける宮中礼服の中で大礼服は例外であった。 大礼服は公州(王女)と翁主(庶出の王女)が婚礼の時に着る礼服で、服の全体に鳳凰、蝶々、牡丹などの吉相紋を縫い取ってある。

 朝鮮末期に至り王権が弱化しながら大礼服はより一層華麗になる。勢道政治が極に達した純祖の時、王の次女 福温公主が13才で行った婚礼の時に着た大礼服はその極に達した感じだ。 また別の公州の礼緞として準備した刺繍目録は3~4mに及ぶ。 巾着、箸と匙袋、ノリゲ(宝飾品)、枕当てなどの小道具は金糸、銀糸で美しく飾られとても贅沢だ。

鳳凰胸背. 故宮博物館提供

 裁縫と刺繍は大殿、王妃殿、世子宮、世子嬪殿などそれぞれの殿と宮に所属した針房と繍房の内人たちが担当した。 彼女たちは6~7才で入宮して15年の修練を経て成冠し35年が過ぎてようやく尚宮に上がることができた。

 高宗(コジョン)の時に至ると宮中の‘リストラ’により繍房内人が宮外に出てくるが、彼女たちは宮中用および民需品を製作・納品することになる。 展示場には平安南道(ピョンナム)安州(アンジュ)地方で楊基薰(ヤン・ギフン)の絵を手本にして宮中に納品した‘刺繍梅花島(メファド)屏風’が見られる。 当時の宮中写真に日本、中国屏風がしばしば背景として登場することから推し量って外国製刺繍が輸入されたものと推定される。

イム・ジョンオブ記者 blitz@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/593540.html 韓国語原文入力:2013/06/27 19:47
訳J.S(1413字)