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60代の画伯“20年目の思父曲”

パク・チェドン氏『アボジ(父)の日記帳』
貸し漫画屋主人の父のノート数十冊に
オモニ(母)の記憶と自身の絵を添えて
「絶望と戦った人として再び浮かび上がってくる」
パク・チェドン画伯が貸し漫画屋<文芸堂>で働いていた父親・母親を描いた絵。 「一日の日課を終えた父と母は、その日入ってきたお金と出て行った金額を書いて10ウォン玉まで一つ一つ数えました。 私はその硬貨の音を聞きながら寝つきました。」
パク・チェドン(61)韓国芸術総合学校映像院アニメーション科教授

 「父の日記を読んで胸をかきむしられた。 両親がそれほどまで苦労して生きたことを知らなかった若き日の自分がとても恥ずかしく申し訳ない。」

 パク・チェドン(61・写真)韓国芸術総合学校映像院アニメーション科教授は、1989年に亡くなった父が遺した日記を、20年余りが過ぎてから初めて1行1行読んだ。 「生徒たちを教壇で教えていた父が健康を悪くしたために貸し漫画店に座って自分の人生についてどう考えたか、昼夜分かたず苦労している妻に対してどんなことを考えたか、成長する子供たちに対する恋しさをどのようになだめてきたのか」息子は知らなかった。

 60才を越えた息子はノート数十冊分の父の日記の中から選び出して自身の絵といっしょに、そして母が聞かせてくれる当時の記憶を文にして加えた。 先週出た『父の日記帳』(トルペゲ編集)は、パク画伯の亡き父への“非常に特別な父母の日の贈り物”だ(訳注:韓国では「母の日」「父の日」と別々にせずに5月8日を「父母の日」としている)。 崩れていく自身の夢に対する残念な思いと齢を取っていく哀歓とがにじむその日記には、黙々と家長として生きていく世の中のすべての父親がオーバーラップされる。

 パク画伯の父パク・イルホ(1929~89)は都市の路地裏の片隅にある貧しい貸し漫画屋の主人だった。 蔚山(ウルサン)地域の初等学校の教師だったが、軍生活と除隊後にも毎年一ヶ月ずつ続いていた予備軍訓練、それによる自分のクラスの子供たちの授業の空白を自らの過労で埋め合わせようとした情熱のために病気になり、結局教師の職を退くほかなかった。 彼と妻シン・ボンソンは釜山(プサン)田浦洞(ジョンポドン)に間借りして煉炭配達と鯛焼き、氷小豆、アイスキャンディ売りなどをしたあげく、家主が営んでいた貸し漫画屋を引き継いだ。 「韓国時事漫画の歴史はこの人以前と以後に分かれる」と言われるパク画伯を育てたのが、まさにその<文芸堂>貸し漫画屋だった。

不良食品を食べないようにというポスターを描くよう先生に言われた6年生の息子は「お父さん、うちも貸し漫画屋にオデン売り、やめたら駄目ですか。文房具みたいなもの(売ったらいいのに)…」と言った。 父はため息をついて「お金がなくちゃあ」と答えた。

「うちが貸し漫画屋だったおかげで子供の頃実に豊かな文化衝撃を受けた。 映画も思い切り見ることができた。」 それは「タバコのようなものは売らなかったし、授業中にこっそり漫画を見に来た子供たちは皆送りかえしたし、組合内の他の漫画屋にもそのような原則を守らせた」父の潔癖でその時代としては稀な開かれた考えのおかげでもあった。

 初等学校で一番になって当時難しいといわれていた中学・高校まで進学した彼が、高校時代は「とても熱心によく遊んだために」全校ビリになった。 その時も父は「一番がいれば当然ビリがいるわけだ」と言って叱らなかった。 「しかし内心はきっと大きな衝撃を受けただろう父 …『自分の人生は自分で考えろ』が家訓の父。 小言を言わなかった父。」

 しかしマンガ本を供給していた巨大出版社がマンガ本の選別権を剥奪し、自分たちが提示する漫画を無条件に全量購入せよと横暴を振るうや、父は断固として対抗した。 本の供給を切り、すぐ近くに自分たちの本を独占供給する新しい店をつくるなど、強者の専横に2年間も立ち向かったあげく結局勝った。 その時、母が父に言った。「(あの人たちが)正式に謝らなければ絶対合意しないで下さい。 生活は私が責任を負いますから。」パク画伯はこのような精神が知らず知らずのうちに自身の時事漫画に大きな影響を及ぼしたのだろうと語った。

 実際、父は自分のしんどい暮らしを日記帳にだけ打ち明けた。「深夜12時が過ぎてようやく床につくので、わずか四時間程の睡眠時間だ。 人生というのは本当につらいものだ」(1973年6月12日)「酔った客が侵入して一時騒動を起こした。 笑って受け流したが、いやしい商売のために受ける侮辱と言おうか、悲しみと言おうか。 無知な酔っ払いの目には弱くいやしく見え、なぐさみものに見えるらしい」(1976年3月7日)

 日記は1971年4月5日から亡くなる直前の1989年5月27日までほとんど毎日続いていた。 日記を読み終わった息子は言った。 「もう一度父のことを考えて見ると、以前とは違う姿で浮かんでくる。 病弱なばかりの姿に代わって、貧困と病苦と戦って勝ったひとりの人間の姿として、絶望に対抗して戦った人として、不義に対抗して戦った人として、浮かんでくる。」

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr, 絵 パク・チェドン

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/586022.html 韓国語原文入力:2013/05/05 22:34
訳A.K(2278字)