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“漫画を描いた理由? 5.18の犯罪人どもに‘文化の処罰’をしようとした”

登録:2012-11-07 10:42 修正:2012-11-07 16:43
チョ・グクの出会い
映画<26年>の原作 漫画家カン・プル
“あの人達がもっとも恐れているのは ‘記憶’”

正式に漫画教育を受けなかったものの、韓国ウェブ漫画時代を拓き、豊富な叙事と奇抜な発想が結合された多彩な漫画で有名。目まぐるしく変わる社会問題の中心に立ち、何も恐れること無く政治的表現を露にするあの人。小さなピアスが目立つ、いたずらっ子な純情派の巨漢に会った。

漫画家のガン・プル氏。先月の29日ソウルの麻浦(マポ)区、孔徳(コンドク)洞にあるハンギョレ新聞社でチョ・グク教授と楽しそうに話し合っている。イ・ジョンア記者。

- 映画<26年>が29日に公開されますね。原作漫画を描かれた動機は何でしょう?

「尚志(サンジ)大学校の総学生会幹部だった頃に、5.18に関する漫画を壁新聞に何度か描いたんです。漫画家としてデビューした後も、相変わらず5.18の傷痕は残ってたわけです。で、その傷を癒そうと試みるどころか、遠慮なしに抉りまくる連中がいたんですよね。それがどうしても許せませんでした。結婚しちゃうと、多分もうこのネタの漫画は描けないだろうと思って、結婚直前に全部描いちゃいました(笑)今までに私がしたことの中で一番やって良かった、って思ってる仕事です」

- 沢山の方がファンドに参加したと聞きましたが。

「あれは本当に感動しました。私がファンド計画を台無しにしてしまったわけですが(笑)参加金額は映画の前売りチケット代くらいで十分だって意地を張りましたからね。2万ウォン、5万ウォン位でいいじゃないか、って。 結局1次募金の目標額10億ウォンは集まりませんでした。今更ですが、原作者として思うんですよ。金額の制限なんてしなかったならもっと早く沢山あつまったんじゃないかなぁって。今でも私は私の方針が正しかった、と思います。5.18について語るならば、金の話はあまり出すべきじゃあ無いというのが私の意見です。2次募金では29万ウォンを追加しました。」

5・18ファンド、成功の源は怒りの力
二度引っくり返った後29日封切りに
選挙用の映画に見られることは望まない
'26年'を描いたことが一番良い仕事

- 29万ウォン?それはまた、象徴的な数字ですね(爆笑)

「第2次募金の時は7億ウォン集まりました。実は他の方に伺ったところ、文化方面でファンドが7億ウォンも集まった前例は無いと仰りまして。これから映画が越えなきゃいけない困難は山ほどありますが、それでもとにかく半分は成功したんだなぁって思いました。ファンドに参加した方々は皆、別に何か特別な扱いを期待したり、またはエンドロールにに名前を上げようとしたりしてお金を出したわけじゃぁありません。32年前(1980年)の事を覚えている方々みんなの公憤なんです。私より若い人達は光州の事をあまり知らないんですよね。今年初めて入学した大学生が、90年生まれでしょ。5.18と8.15を間違えたりするんです。あの子達のせいじゃありません。あの事件を子供達に教えなかった私達が間違ったんです。」

- 判決文と歴史教科書は既に5.18の性質を明確に規定しましたが、当の犯罪を犯した者達は、臆すること無くのうのうと今も生きてるわけですからね。

「もう許してあげるべきだとか、過ぎたことだし和解しようとか言ってる人たちがいます。許してあげるべきは真心を持って詫びた人達ですよ。全然詫びてないじゃないですか、あの人達。そのことを言いたかったんです。 “文化の処罰”という判決を下そうとしたわけです。今を生きる人達に、こんなことが起きた、せめてそれだけは記憶していて欲しいって伝えたい気持も込めて。あの人達がもっとも恐れているのは、‘記憶’だと思います。この映画もただ大統領選挙の為に立ち上げられた映画じゃないか、って思われたくはありませんね、絶対。企画が二度もひっくり返されて、やっと封切りになるんですよ。この映画だけは沢山の方に見て貰いたいです。これまでに私の漫画が映画化されたことは何度かありましたけど、今回のは一人でも多くの方が見てくださればと、本当にそう思ってます」

- 生き残った人達の “記憶の闘い”が必要ですね。 16日、ソウル広場で<26年>のコンサートが開かれるようですが、成功を祈ります。ところで、今まで社会参加を促すような漫画を沢山の描かれましたね。女子中学生死亡事件、韓米FTAと、盧武鉉大統領の弾劾関連作品とか。

「デビュー​​初期には、主に‘くそ漫画’を描いてて、‘くそ話’しか描かない漫画家のお前に何がわかるんだ、みたいなことも言われました。じゃぁ、何も知らない人はただ黙ってろってことなんでしょうか。黙ってられませんよ。政治の話は何も偉い人だけが喋ってれば良い物じゃないはずです。政治と言うのは、私たちの生活と最も近いものです。間違った政治をすると、すぐ物価が上がる、家賃が上がると大騒ぎになるでしょ。もし、私が歌手だったら歌で政治に参加したはずです。物書きだったならば文を書いて政治に参加してたはずです」

- たしかに、政治家や偉い人だけに政治を語る資格がある、それが彼らの専門だから、と考えること自体が民主主義を否定することですよね。G20ポスターにネズミを描いて訴えられた‘ネズミグラフィティ’事件をご存知ですか?李明博政権の下、漫画家として5年間どうやって過ごしたのですか。

「‘ネズミグラフィティ’事件は存在自体が世界的な恥だと思います。政府が恐怖心を助長して萎縮させたんですよ。さらに酷いのは民間人査察です。もし盧武鉉大統領時代に起きた事件だったら、そりゃ弾劾ものですよ。そろそろ任期も終わりが近づいてますね。いやぁ、本当に楽しみです。どうなるでしょうね、大統領選挙(笑)」

'ネズミグラフィティ'事件は世界的恥
政府が恐怖心を助長
さらに酷いのは民間人査察
本当に楽しみです、大統領選挙

- 漫画家として創造的な想像力が衰えるという感じを受けましたか?

「私を含めてほとんどの作家がそう感じてます。それに学校内暴力とか、何か社会問題が発生すると、とかく漫画を読むからそんなことが起きるんだと非難するんですよ。実際に幾つかの漫画が子供達に有害だと言うレッテルを貼られました。こうなるともう漫画家達は自分の作品を自己検閲をするしかないんですよ。もしかしたら、私も検閲の対象になるかも知れない。そんな風に萎縮してしまうんです。作品に関する評価の権利を国民から奪って、国家が独占してレッテルを貼りまくるんです。作品の全体的な脈絡はすべて無視して」

- 昔はどうだったんですか? 少年のときも漫画を描かれたんですか?

「高校時代、ほらクラスに一人ぐらいはいるじゃないですか。‘ドラゴンボール’のマネ描きうまいヤツ。私もそのクチでした。漫画よりは本が好きでしたね。カバンに教科書は一冊もなくて、全部小説でした。1週間に10冊以上は読みました。家の近くにあった松坡(ソンパ)図書館へ行って本を借りて、本当は一度に二冊だけ貸してくれたんですけど、あまりにも私が熱心に通うものだから、司書のお姉さんがこっそり10冊も貸してくれるようになったんですよ。最初は本当に読んでるのかなって疑ってたらしいんですけど、特恵ですね、つまり。図書館にあるじゃないですか。小説だけのコーナーとか。そこに並んでいた本、全部読んじゃいました」

- つまり、読書がカン・プルを作ったと言うことですね。国文科に入ったのは小説が好きだったからですか?

「高校の時に美術の方へ進む気はないかって勧誘されたんですけど、塾が高すぎてやめました。国文科を選択する時も、何も考えずに選びました。大学に行くこと自体が大事な時代でしたからね」

- 大学時代は、確か紛争で物凄い騒ぎでしたね、尚志大学。

「そりゃぁもう、すごかったです。追い出されたキム・ムンギさんがまた戻ってこようとしてた時期でしたから」

- ところで、李明博政権になってからキムさんの側近が尚志大学にに復帰しているそうですが。

「正直、あまり気にしたくないですね。そうもできませんが。本当に懲りない連中だなぁと思いました。私が学校に通っていた時にやったことを、後輩達がもう一度繰り返す羽目になったじゃないですか。心底、うんざりします」

- 韓国の社会に巣食う既得権層は執拗です。あの頃から今に至るまで懲りずに、執拗に目標達成だけを狙って努力を惜しみませんからね。逆説的ですが、民主·進歩陣営はキム・ムンギさんに学ぶ必要があると思いますよ(爆笑)長い目で見ながら、最後まで諦めない人が勝ちますからね、結局。いつから専門漫画家になろうと考えたんですか?

「大学時代、学報社と原州(ウォンジュ)の嶺西新聞に漫評を連載していたんですが、卒業が近づくにつれ決心するようになりました。電話帳を虱潰しに探して約400カ所に漫画を含めた履歴書を送りました。でも全部スベッちゃって。午前は2カ所、午後は3カ所の出版社を回りながら求職活動をしたこともありました。そうしてるうちに、スポーツ関連の週間雑誌社から連絡が来て、漫画を連載することになったんです。ところが、漫画より取材をしろと背中を押されて、しばらくして雑誌社が厳しい状態になって辞める事になりました。で、2001年にウェブ漫画を連載し始めたんです。全教組が手伝ってくれて、そこのサーバーに、寄生するようにね。全教組、参与連帯、タンジ日報、スポーツトゥデイなどで連載をしました」

- ‘カン・プル’という名前は、いつから?

- なぜ名前として‘プル(糊)’を選んだんですか?ご飯粒の‘プル’、そんなわけないですよね。英語は、‘full’ですね。‘満ちる’って。

「大学時代のあだ名だったんです。私の服とか、バッグとか、靴なんかまで全部草色、つまり‘プル(草)色’でキメていたもので(笑)」

- ウェブで様々な排泄物を素材にした漫画を描き始めたんですね。

'くそ話'しか描かないお前に何がわかる
何も知らない人はただ黙ってろと言うのか
政治に最も近いのは私たちの生活
歌手だったら歌で政治に参加したはず

「‘くそ漫画’で始めたのに、なぜか受けてたんですよ。正直、私もちょっとテングになってましたね(笑)とにかく名前を知らせなければならということもありました。‘猟奇漫画家’と呼ばれても、あまり気になりませんでした。‘漫画家’って呼ばれてたから」

- 露骨に汚い話をするから、読者も代理満足を得たのではないでしょうか(笑)

「男は酒飲みながら話す時、順番があるじゃないですか。女の話と、酒の話...最後は汚い話でしょ。汚い話をすることに快感を感じたんじゃないでしょうか。タブーを破った時のような」

- それ以降の作品を見ていると、ホラーとロマンスの間を行ったり来たりしていますね。深読みすると、二つで一つとも思えるのですが。

「自分が面白いと感じる話にしてます。好きなんですよ、幽霊の話も、恋の話も」

- 我々の社会、我々の生活が恐怖と愛で構成されているとも読めるんですけどね。ゾンビが登場する<あなたの持つすべての瞬間>も、この世がゾンビを作り出していると言っているようでした。

「基本的に、人は皆、善良だと思います。性善説を信じてるんです。<26年>のあの人と、<隣人>の殺人鬼を除いてね。私の漫画は悪党がいないんです。マンネリだと思われるんじゃないかなって悩みもしましたね。私はもうすぐ四十才を控えてますが、私の目に世界はこう見えます。社会的に間違った部分もあるかも知れませんが、人々は皆良い方向へ向かおうとしている。善良な人々が集まれば、世界は変えられるんじゃぁないかと、そう信じてます」

- 作品の中の主人公たちは、自分だけの秘密、弱さ、欠点を持っていて、お互いふれあい、愛し合い、力を合わせて、そうやって生きてますね、現実の我々の人生のように。

「ある評論家が、私の漫画を見てると、皆で協力して何かを成し遂げる展開が好きなんだな、って思うと言ってたんですよね。私もそう思います。もうすぐパパになるじゃないですか、私。生まれてくる赤ちゃんのために絵本を書いてるんです。赤ちゃんに聞かせてあげたり、見せてあげたいものとかあるじゃないですか。教授が仰ったような、そんな話を書いてます。世の中は良いものばかりじゃ無いけどね、お前が正しく生きていけるような世界になるはずだよ、みたいな」

- たしか来年の初めに生まれてくるはずだと聞いたのですが、どんな子になって欲しいと思いますか?子供が19才の、大人になる2032年、どんな世界になって欲しいと思ってますか?

「子供たちがより自由になり、より個人的になればいいと思います。勉強は、あまり一生懸命しなくてもいいんじゃないかなと思います。私は今、読書室で作文の作業をしていますが、朝8時から夕方8時まではほぼ一人で読書室を使ってるんですよ。学生の子ども達はその後に入ってくるんですが、可哀想ですよね。大学に行きたくないって言ったら、行かなくてもいいって言ってあげるつもりです。子供のやりたいことをやれるような世の中になれば良いと思います。子供が学校に通うようになったら、その時は教育に関した漫画を描くかも知れないと考えています」

- Twitterのフォロワー達は分かっていると思うのですが、日常生活について教えて下さい。

「1年の内5ヶ月は連載の作業をしています。連載に入る前の7ヶ月間は取材をして、ストーリーを描きます。連載している時は朝の4時に出勤して夜の10時半位に帰宅しますね。1日4時間も眠れないわけです。このような生活を、ほぼ10年以上続けてますね」

- Twitterに夜食の写真を上げ続けてらっしゃいますが、本当にその時、そうやって食べているんですか?(笑)

「率直に言うと、半分位は本当に食べています。ツイッターしてる方々にはそれが夜食に見えるかもしれませんが、私には夕方みたいなものなんですよね。何せ夜明けの4時頃に寝るものですから」

- 夜食を上げるパターンが興味深かったです。昔は美しい話をするかのように‘釣り針’を仕掛けた後、食べ物を見せつけるパターンだったのに、最近は変わりましたね。ちょっと解らないような写真を出して、それから問題を出すじゃないですか。後でわかってみればそれが食べ物の写真で、近づいて写真を撮ったからわかりにくいだけと言う冗談で。

「ツイッターで遊ぶのは面白いですよ。私はほとんど一人で作業しているのですが、作業の傍ら遊んだり揶揄ったりして気を紛らわします。特に意図はありません」

- 食べ物の接写を上げる‘釣り針’ですけど、我々の偏見を打ち破ろうとする意図が垣間見えるのですが。

「教授みたいな方は好きですよ。良い方向に解釈してくださりますから(笑)」

- 元々、芸術家の方達はふざけるような、遊んでいるような姿勢で仕事をしてらっしゃるんですよね。ツイッターでも私にジョークを投げ掛けたりしてるじゃないですか。受ける立場では痛快さを感じるんですよね。重い雰囲気を捲し立てる人の脇腹をわざとくすぐるような。そんなに緊張しなくても良いじゃないかって。‘ガリ勉’君タイプはそう言うイタズラ心や頓智が欠けている人が多いんですよね。

「私は、嫌いな人にはイタズラしません。教授はなんだかソンビ(先儒)のような感じで、なんだか無性にイタズラを仕掛けたくなるんですよね。頭の固い方じゃぁ無いから、なんとなく巧く話せそうな気がしますし。私、チン・ジュングォン教授が好きなんですけど。お二方の仲が良いのを見るとホントに面白いなって思います。チン教授はいつも教室の後ろで不良な態度で座っていそうで、チョ教授は教室の真ん中辺りで正座していそうなんですけどね。そんなイメージなのに、お二方の仲は良いと」

- チン·ジュングォンさんは初めから教室に入って来ないような人ですしね(笑)私もそんなに‘ガリ勉’ではありませんが。とにかく‘ガリ勉’だけの世界は地​​獄ですよ。そう言えば、近頃大学院で勉強していらっしゃると聞いたんですが。

7ヶ月は取材、5ヶ月は連載
死ぬまで描きます
私の漫画を見てくれなくなったらスッパリやめます
説教するような漫画に警戒

「最近勉強が面白く感じられるようになって、今更ですが。学校に通っていた頃は本ッ当に勉強が嫌いだったんですよ(笑)最初は、正式に漫画を習おうと思って町にある漫画塾に行ったんです。ところが、私の名前を聞いた途端、院長に嫌な顔をされまして(笑)で、大学院に進学しました。教授になれという提案もいただいているんですが、少なくとも後10年位は現役作家として描くことに集中したいです」

- カン・プルさんの未来はどうなっていると思いますか?

「もう、死ぬまで漫画描きますよ。でも誰も私の漫画を見てくれなくなったらスッパリやめます、その時は。私が一番警戒してるのは、偉そうに説教するような漫画を描くことです。いつかは来るでしょうね、読者が私の漫画に背を向ける時が。その時は、やめます。スッパリと」

- 現在準備している作品は、動画の他に何かありますか?

「以前<タイミング>というマンガを描いたのですが、<タイミング2>を準備中です。<アパート>、<アゲイン>、<タイミング>へとつながる連作の、最後の作品です。来年の4月位には出るんじゃないですかね 」

- 出版されたら、やりましょう、 ‘肉パーティー’(笑)

チョ・グク ソウル大法学専門大学院教授 @patriamea

整理: チェ・ユビン記者 yb@hani.co.kr

韓国語原文入力:2012/11/04 19:43

https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/558947.html 訳 HH.J