原文入力:2012/06/04 20:03(2048字)
←‘チャ刑事’の俳優 ソン・ユリ
‘チャ刑事’の俳優ソン・ユリ‘悪い女たち’演技デビュー後 10年
‘大根役者’レッテルにスランプ体験も
"まだまだ不十分だが最善を尽くします"
"以前は‘私がこれをしたらまた非難されるのでは’という思いが強かったとすれば、今は‘非難されてもいい、私はまだ未熟なので’と思います。 時間の経過で余裕もでき、新しい役に挑戦したい気持ちも強い。"
2002年ドラマ<悪い女たち>で演技の世界に初めて足を踏み入れて10年、ソウル、三清洞(サムチョンドン)のカフェで会ったソン・ユリ(31・写真)はもう撮影会場が楽しくなったと告白した。 先月20日に終わったドラマ<神々の晩餐>で初めて安らかさを感じたと言う。「以前まではインタビューで‘演技が本当に良くて楽になった’と話をしても事実、私の気持ちは完全にそうではありませんでした。」
彼女は1998年グループ ピンクルでデビューするや大人気を得た後、演技者に変身した。「メンバーが各自活動を始める時でした。 姉さんはラジオDJ、放送M.C.、シチュエーションコメディなどすべき仕事が決まりましたよ。ドラマ出演の提案が来ましたが、周りでやってみろと薦めてくれたので私は確信も無しに演技を始めることになりました。」「自分の意志が半分、他人の意志が半分」で始めた演技は容易ではなかった。 「初めは監督が私に期待が全く無かったためか、(笑い)何をしても‘上手い、上手い’と持ち上げて下さいました。 そうするうちに2本目のドラマ<千年之愛>で主人公を務めて虐待されましたよ。 カメラ監督が‘あの子はいったい何でここに来ているのか’とまで言われましたし(笑い)。」演技生活の序盤、‘演技できない’というあてこすりは彼女にレッテルのように付いて回った。 撮影会場に行けばいつも臆したりもした。 「基本技を一つも持たずに演技を始めたから、とても未熟でしたよ。 未熟なのは分かりますが足りない部分が何かは正確に分からなくて苦しみました。」
ついに2004年から2年間の空白期とスランプを体験した。 「何もできなかったし、どんな意志も持てなかったし、家の外にも出て行かないほど辛かった」時間を過ごした後、辞めてもいいからもう一度演技をしてみようと決心したという。 それで始めたドラマ<ある素敵な日>で演技に面白みを感じ、以後1~2年に一編ずつ着実にドラマに出演した。
ソン・ユリは先週封切りした二本目の映画<チャ刑事>で映画俳優としての可能性も評価されることになる。 彼女は気難しくて荒っぽいファッションデザイナー コ・ヨンジェ役を担った。 高校生の時、芸能界にデビューしてから以前とは違って不平を打ち明けるよりは我慢して耐える性格に変わったという彼女は「今の私とは反対の言いたいことは全て言う性格のヨンジェ」が一層魅力的だったと語る。 明朗快活なキャンディのような役を主にこなしてきたことからくる演技渇望も今回の映画で若干は解消した。「ドラマではどうしてもヒロインの性格が限定的なようだ」として、映画に欲を出す彼女は今後は切々として成熟したメロ演技をしてみたいと語る。
彼女は「私が思うほどに世の中の人々は私に注目したりしない」と考えて、時折襲って来るスランプに勝ち抜く。」コメディアン キム・ヒョジン姉さんのインタビューを偶然に見て悟りを得ました。 ‘パッ’とデビューしてとても愛された以後、どんな作品をしても以前ほどに話題にならないので失敗者という気がしたが、周辺から‘事実、世の中は君だけを見ているわけではなく、世の中の中心はあなたではない’という話を聞いて気が楽になったということです。 本当に共感できました。 キャラクターが少し変だったり視聴率が低かったりすれば最初は世の中が真っ暗に思えましたが、それでも人々が一日中私だけを嫌って無視したりはしないということを知るようになったのでしょう。 この頃の少女時代のように私に関心が急に集まるわけでもないし(笑い)、人々の関心に神経をあまり使わないから気が楽になりましたよ。」
10余年前、常に皆に注目されたい欲望と‘どうにかして誰にも見つからないところで一日だけ過ごしたい’という希望を同時に抱いた少女歌手は、酷評と自責を踏んで‘今最善を尽くすことができなければ一生後悔する’という信条が頭に刻まれた堂々とした演技者になった。 彼女は 「<神々の晩餐>の時、体力が追いつかず一週間に一回ずつリンゲルを打った」という話を別に特別なことではないように話した。
パク・ポミ記者 bomi@hani.co.kr 写真キングコングエンターテインメント提供
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/536060.html 訳J.S