原文入力:2012/05/23 17:36(3104字)
←小舞衣島周遊道から眺めた南東側海岸. 遠くに八尾島(パルミド)が見える
公共交通で出かける舞衣島の離れ島…最近、人道橋と散策路 開設
舞衣島の南東側 本島の1/9大 自動車が1台もない島
せっかく出かけた週末旅行で交通渋滞、長時間運転で苦労した皆様。 車を置いて安心して行ける公共交通旅行を考えてみてはいかが。 首都圏に住むなら当然電車だ。 安くて安全な大衆交通の便、電車が時々刻々東西南北に出発している。 この内、空港鉄道で出かける仁川(インチョン)近海旅行コースは‘公共交通総合ギフトセット’と呼ぶに値する。 窓外の景色も涼しげな電車と、カモメの群れが歓迎する旅客船、電話をすればやって来る素朴な地域内バスにかわるがわる乗って行き、パッと開ける海の展望を観賞してくる日帰り旅行日程を組めるためだ。 ソウル駅から一時間半の距離だ。
仁川国際空港の南側に舞衣島(仁川市(インチョンシ)、中区(チュング))がある。 虎龍谷山(ホリョンコクサン)登山コースとハナゲ海岸、実尾(シルミ)島などのために旅行客が多い島だ。 舞衣島(クンムリ)南東側に、本島の9分の1大(1.22平方km)しかない小舞衣島(テムリ)がある。 昨年までは釣り師だけが船に乗って訪れていた。 昨年、舞衣島、光明(クァンミョン)村(セムクミ)と小舞衣島を結ぶ人道橋が架けられて、去る3日には島を一周する散策道(長さ2.5km)が開設され全容を現した。 手垢のついていない、自動車が一台もない清浄の島だ。
←小舞衣島キップ売場。住民たちが3人ずつ組をつくって勤め、釣り師たちから清掃費用として1000ウォンを集めている。
散歩道は海岸道・山道(木製階段の道)に沿って上がっては下り、情愛あふれる入り江の村の風景とうっそうとした森、すがすがしい海の展望を楽しめるようになっている。 早足で歩けば40分で一周できるが、坂道を曲がる度に、そして振り返るたびに全く違う雰囲気をたたえた景色が繰り広げられる。 立ち止まってそれを眺めなければならない。 豊漁祭を上げたプチェケミ,クヌギの柱150本をたてて伝統固定網を設置したオンドゥクミなど展望の良い所や物語が伝わる所にはそのいきさつを書いた立て札がある。 名士浜は朴正熙前大統領が家族休暇を楽しんだという所だ。
島で最も高いところにあるアン山頂上松林の木陰には亭子(ハト亭)がある。 周辺の海を一望できる場所だ。 晴れた日には北漢山(プッカンサン)まで見えるという。 仁川国際空港と仁川経済自由区域永宗(ヨンジョン)地区、長くのびた仁川大橋(インチョンデギョ)と松島(ソンド)国際都市の高層ビルを望む。 そして絶えず現れては消える飛行機がある。 長く眺めていれば島と島の距離、行ってはまた帰ってくることどもの遠い距離がとても近く感じられる。
亭子で出会ったキム・ミファ(44・仁川(インチョン)、桂陽区(ケヤング)、鵲田瑞雲洞(チャクチョンソウンドン))氏夫妻が左右を見回して感歎詞をもらした。キム氏は「色々な島に行ってみたが、ここほど素朴で色とりどりな雰囲気を持つ島も珍しい」として「人がたくさん来るようになって毀損されるのではないかと心配だ」と話した。
舞衣島の歴史の中心は小舞衣島だ。 大舞衣島が朝鮮末期まで牛を育てる牧場だったのに反して、小舞衣島は300年を越える村の歴史を誇っている。 1700年を前後してパク・ドンギという人が入島して、杞溪 兪氏の青年を入り婿として島を切り開いたという。 住民たちがハラボジの墓と呼ぶ始祖の墓(パク・ドンギ墓)が堂山(タンサン)のそばに残っている。 舞衣島の‘舞衣’は‘ムリ’(水)を漢字で表記したものだ。 住民たちは今でも舞衣島をクンムリ、小舞衣島をテムリと呼ぶ。 朝鮮末以前の記録には‘無依島’と書かれている。
←小舞衣島の西側の村の路地
アン山頂上松林
周辺の海の景色の壮観
よく晴れた日には北漢山(プッカンサン)の展望も
40余世帯、40人余り(住民登録上は87人)が暮らすこの島は60年代までは400~500人が暮らし、海老(冬白蝦)漁・イシモチ漁で名を知らしめた長者たちの島だった。 日帝強制占領期間には金を稼ぎにきた人も多く1000人余りになったという。“テムリ(小舞衣島)が面(行政区域)全体を食べさせた。” 60年代まで面(龍遊面)の税収の80%が小舞衣島から出たという。 西側の村に住むキム・スクヒ(82)氏が話した。“イチモチ漁に出て行く時は堂山(タンサン)で上の儀式を行い海辺では下の儀式をしたが、お金を穀物ザルに山盛りにしてやったもんだよ。 そこでは牛を一頭つぶしたから。”
麻浦(マポ)の船着場と群山(クンサン)・平壌(ピョンヤン)でも認められた‘長者島’は魚類資源が枯渇して次第に衰退し、今はかろうじて暮らす島の村になった。 “管理できなくて恥ずかしい”として雑草の生い茂った始祖の墓の位置を教えてくれたキム・ヒョンジャ(74)氏が話した。 “今は乞食みたいで。 乞食の中でも上乞食。”
“老人だけが残った” ‘上乞食村’に転落したテムリ(小舞衣島)を再び豊かな文化の島に育てるための努力が繰り広げられていて注目を集めている。 300年前‘入り婿 杞溪 兪氏’の10代目である、村の若い統長 ユ・ボソン(49)氏がその中心だ。 ユ氏が夜明けに直接船に乗って出て行き捕ってきたワタリガニでメウンタンを作り昼食を食べながら話した。 “島をこの姿のままに守りながら、清浄文化体験の場に育てたいのです。 展望台(オンドゥクミ)も作って。こぢんまりした‘島の伝説博物館’の建設計画もあります。”
←舞衣島セムクミと小舞衣島を結ぶ人道橋
去る12日に開かれた‘第1回舞衣島芸術祭’を企画したチョン・チュングン(62)ソウルデジタル大学校教授は「小舞衣島は日帝強制占領期間‘独立運動資金’を支援した島」とし「金九(キム・グ)先生など抗日独立闘士が訪れた所」と話した。 チョン氏はまもなく舞衣島・小舞衣島の歴史を扱った本<舞衣島の話>を出す計画だ。
小舞衣島旅行は引き潮のときが良い。水底に隠れた岩が姿を現し海岸風景が一層優れる。 清掃費(1000ウォン)を払えば干潟で巻貝・二枚貝類とパッカジ(磯ガニ)等を捕ることができる。KORAIL空港鉄道は11月末まで毎週土・日曜日ソウル駅~龍遊(ヨンユ)臨時駅を4回往復する‘週末西海(ソヘ)海列車’を運行する。 ソウル駅を午前7時39分~10時39分まで1時間間隔で出発し、 龍遊臨時駅~チャムジン島船着き場まで徒歩15~20分、クンムリ(舞衣島)船着き場までムリョン号で5分、30分間隔、船賃 往復3000ウォン、乗用車2万ウォン. クンムリ船着き場~光明(クァンミョン)村(セムクミ)乗り合い地域内バス20分、1100ウォン. 平日には仁川空港駅でおりて3階の5番乗り場で222番バスに乗ってチャムジン島船着き場到着. ユ・ボソン統長011-9088-4811.舞衣島海運(032)751-3354.
小舞衣島(仁川)=文・写真 イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/534273.html 訳J.S