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12編の日本ミステリー その後に米国の欲望が

原文入力:2012/05/11 21:00(2707字)

<日本の黒い霧>松本清張




推理の巨匠、松本のノンフィクション
日本国鉄総裁疑問死など
綿密周到なパズル合わせで
米占領軍・右翼の影を暴く

←<日本の黒い霧>松本清張著作・キム・ギョンナム訳/出版社モービーディック・上下各巻1万3000ウォン

 1949年7月6日、日本国鉄初代総裁 下山定則が行方不明になった翌日に線路上で凄惨なバラバラ死体となって発見された。しかし、日本警視庁はその衝撃的な事件が自殺か他殺か明確な結論も下さずに調査を急いで終えてしまった。

 6ヶ月後、細心な演出の跡を残して警視庁がマスコミに流した非公式内部文書‘下山事件捜査最終報告書’はこの事件を自殺事件として結論付けた。 その一方で、それが左派の仕業であることを強く匂わせた。 戦後日本に社会派推理小説ブームを起こした芥川賞受賞作家 松本清張(写真)はその10余年後に書いたミステリーノンフィクション集<日本の黒い霧>でこれを正面から覆す。 この本に収録された12編の話の中の最初である‘出勤途中に消えた総裁--下山国鉄総裁謀殺論’はその逆転のために周到に企画した調査報道の産物だ。 作家もやはり明確な結論は下さないものの、読者は警視庁の主張がなぜ偽りなのか本を読めば自ずと首を縦に振ることになる。

 松本のノンフィクションは忘れられつつあった下山事件を‘懸案’として生き返らせ、‘黒い霧’という言葉を日本社会で政治謀略事件を指し示す一般名詞として登板させた。 この話を含めて1960年1年間<文芸春秋>に12件のミステリー未解決事件ノンフィクションを連載した後、松本は日本の国民作家 司馬遼太郎を抜いて作家部門所得順位1位を占め、以後も最上位所得者として君臨した。

 下山事件には当時実質的な日本統治機構であった占領軍総司令部(GHQ)傘下防諜隊(CIC)等に布陣された現役米軍人と日系米国人組織員、‘公職追放’から生き残るために総力をふりしぼっていた戦犯、占領軍の下手人になった官僚らが加担した。 同じ年、無人電車の暴走で6人が亡くなった‘三鷹事件’、列車脱線事故で多数の死傷者を出した‘松川事件’も相次いだ。 その事件は今も真相は五里霧中だ。 だが、その一連の事件で利益を得た者が誰なのかは明確だ。 事件加担者で最大の受恵者は占領軍総司令部であり米国だった。 彼らにとっては次第に力が強まり占領政策実行に負担を抱かせていた左派勢力を反社会的危険分子に追い立て去勢する口実が必要だった。 12万の労組員解雇を巡り一触即発の緊張が造成された国鉄労組闘争は下山事件の後、水泡のように消えた。

 1952年1月21日夜、雪に覆われた北海道、札幌市内を二台の自転車が走っていた。 突然銃声が聞こえると一台が倒れ、別の一台は闇の中に消えた。 倒れた自転車に乗った犠牲者は白鳥という警察官。別の一台に誰が乗っていたのかはミステリーとして残った。 ‘白鳥事件’後、日本共産党北海道地域組織の中で最強であり全国的中心だった札幌地区党地下組織は崩壊した。 この事件の背後には現地右翼勢力、彼らと結託した腐敗地方役人、彼らからホステス接待などを受けた総司令部傘下の組織員が隠れていた。 彼らは言ってみれば右翼腐敗事件を左翼政治犯罪にねつ造し、左翼除去の口実とした。 まさにこの‘レッドパージ’(アカ狩猟)こそが総司令部の最終標的だった。 作家の執拗な追跡もそこに焦点を合わせる。

 米占領軍は当初、日本を親米2級従属国家に仕立てるために戦犯など旧軍国日本支配勢力を除去する‘公職追放’を推進した。 その作業を主導したのが国務部系列の総司令部幕僚部民政局(GS)だった。 しかし1947年‘トルーマン ドクトリン’以後、ソ連との対決姿勢を固めて行った米国は、1949年中国共産化、1950年韓国戦争勃発と共に全面的冷戦体制に突入する。 すでに1948年から韓半島での大規模戦争の可能性を公言していた米国は、その頃から右翼戦犯の‘公職追放’を左翼‘アカ’清算に変えるいわゆる‘逆コース’(逆流)へ政策を旋回した。 日本を強力な反共基地とするために逆コース旋回を主導した組織が諜報・保安・検閲を総括していた総司令部参謀部第2部(G2)であった。 松本の12編の話はまさにその時期のGSと権力闘争を行ったG2側が大勢を掌握しつつあった時に起きた話だ。

 G2と傘下防諜隊などは事件を初めから企画したり、彼らとは全く関係のない事件を占領政策に有利な環境を作るために利用した。 それを立証するために松本は公表された資料を渉猟し補完取材をした。 それでも埋められなかった空白は鋭い仮説と明敏な推理で満たした。 松本は絶対権力が介入した微妙で危険な米軍占領期のミステリー事件を総合的で一目瞭然な一つの歴史として初めて再構成し、彼の興味深いストーリーは爆発的な人気を呼んだ。

 その話が現在の私たちにも有意なことは、私たちの人生を規定している私たちの現在がどのようにして作られたかを生き生きと見せるためだ。 米国の‘逆コース’旋回で大多数の日本戦犯は免罪符をもらい、右翼は華麗に復活した。 米軍占領下の韓半島で親日派が左翼清算を前面に掲げ生き残り、新生大韓民国の中枢として復活したのはそのコピー版であった。 アジアを侵略した日本陸海軍指導部は韓国戦争勃発と共に事実上復活し、マッカーサー総司令部の参謀の役割を果たしながら仁川上陸作戦を立て韓国人の名前で大挙実戦にも参加したと松本は書いた。 マッカーサーが中国大陸への戦争拡大を主張したのも韓半島と満州の再奪還を狙った日本右翼参謀のアイディアだったと見ている。 彼の12編の話はまさに韓国戦争という頂点に上り詰めていく一つの連作長編のようになっている。

 1952年当時駐韓米軍司令官ヴァンフリートは 「韓国は一つの祝福だった。 この土地、あるいは世界のどこかに韓国が必須だった」と語った。 これは松本が<日本の黒い霧>を通じて再構成しようとした米国主導の冷戦体制と戦後東アジア秩序再編劇の大詰めがまさに韓国戦争であったことを強く暗示する。

ハン・スンドン記者 sdhan@hani.co.kr,写真モービーディック提供

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/532489.html 訳J.S