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"この頃の私たちの文学‘現実との関連性’萎縮した雰囲気"

原文入力:2012/01/08 19:39(6261字)

 ハンギョレが会った人 小説家 孔枝泳(コン・ジヨン) インタビュー/チェ・ジェボン先任記者 bong@hani.co.kr

←小説家コン・ジヨン氏が去る4日午後、ハンギョレ新聞社でインタビューをしている。 彼女は 「人権を踏みにじり表現の自由を押さえ込もうとする勢力とは全力で戦う」と話した。 キム・ポンギュ記者 bong9@hani.co.kr

人権を踏みにじり表現の自由を抑圧する
いかなる勢力とも全力で戦う

 小説家コン・ジヨン(49)氏にとって去る2011年は一種の‘安息年’だった。 小説集<星たちの野原>が出た2004年以後、小説でもエッセイでも彼女が1年でも本を出さなかった年はなかったが、昨年は初めて新作を出さない年になった。 彼女の最後の本は2010年11月に出したエッセイ<智異山(チリサン)幸福学校>であった。 それでも彼女は昨年がいつにも増して忙しい一年でしたと語った。 6月5日ヨーロッパ行の飛行機に乗ってから、年末まで国際線飛行機だけで10回以上乗らなければならなかった。 彼女とのインタビューは去る4日午後、ハンギョレ新聞社会議室で行ったが、彼女はインタビュー前日が「7ヶ月ぶりに初めての完全休日」だと話した。 彼女を忙しくしたことは特に下半期に集中した。 彼女の小説を原作にして作った映画<ルツボ>の興行と社会的波紋にともなう活動、10・26ソウル市長補欠選挙当時にツィッター等を通した投票督励、およびパク・ウォンスン候補支持活動、‘ナコムス’米国公演参加、そして朝中東総合編成スタート直後の歌手インスンとキム・ヨナ選手の総合編成出演を巡るツィッター論難などが代表的だった。 <ハンギョレ>とインタビューをした後にも、彼女は6日昼ソウル、光化門(クァンファムン)李舜臣将軍銅像前で‘出てきて チョン・ボンジュ’国民運動本部の発隊式に参加したのに続き、7日には再び米国、ニューヨーク行飛行機に乗った。

-昨年権威あるイ・サン文学賞を受賞し、年末にはインターネット書店インターパークが選定した‘2011年最高作家’賞を受けた。

  "インターパークの授賞式は12月21日であったが、その日が私としてはとてもうれしい日だった。 その日の朝、光州(クァンジュ)で<ルツボ>の主人公であるインファ学校出身の障害青少年が‘カフェ ホルダー’を開店した。 その開店式に参加してソウルに戻り、夕方に賞を受けた。 小説<ルツボ>で実を結び、賞も受けたわけだ。 私の人生で最も印象的な本が<ルツボ>になりそうだ。 とても多くのことをやり遂げた本であるためだ。"

-インファ学校の卒業生が主軸となった共同体‘ホルダー’(‘単独で暮らしを立て共に生きていく人々’という意)が自立のためのカフェを開くために募金活動を行っているという消息を聞き、出版社チャンビ(創作と批評)とともに5000万ウォンずつを喜んで寄付した。 容易ではない決定だったと思うが。

 "もともと寄付をたくさんしています。(笑い)当然、どんな方式ででも彼らを助けなければならないと考えた。 先ずは自立することが最も良いので、当分見守っていたが、募金の集まりが遅いという話を聞いた。 カフェの創業に1億ウォン程かかるというのでチャンビに5000万ウォンずつ出そうと提案し、チャンビが快く受け入れた。 現場に行ってみると<ルツボ>のモデルになった子供たちがあまりにも美しく明るくて素晴らしくなっていた。 ありがたくてたくさん泣いた。"

-12月5日には第35回イ・サン文学賞授賞式があった。 その日の受賞所感が印象的だった。 ‘今後も抑圧され弱く踏みにじられ奪われる人々のために、より一層偏向的に私の人生を捧げ彼らを描写する(…)この地で珍しく、言いたいことをすべて言って生きてきたし、酒色も豊富に提供されたし、読者たちの支持を受けて保護されて、そして傷ついた作家として、もう23年目になった小説家として、教育を受けた市民として、そして3人の子供の母として何の恐ろしいこともなく人間の条件の基本前提として民主主義の礎石である表現の自由を享有するものであり、これを抑圧しようとする如何なる相手とも相対して戦うことを約束する’という趣旨だったと記憶する。 保守的なイ・サン文学賞授賞式場に破裂音を出した非常に‘扇動的な’内容であったが、波紋を念頭に置いてわざわざした発言だったか?

 “もちろん意図したことだった。 作家がこの間とても柔順になったようだ。 私たちの文学はもろ刃の伝統があるが、その内の一つの軸である現実との関連性が過度に萎縮しているというのが私の判断だ。 そのような雰囲気を打ち破りたかった。 そして当時インスンとキム・ヨナ関連のツィッター発言で私が保守言論から集中攻撃を受けていたので、その場を借りて私の考えを明らかにしたいとも思った。”

-授賞の所感の最後に<その男ゾルバ>の作家であるニコス・カザンザキスのこのような発言を引用した。 ‘私は何も望まない。 私は何も恐れない。 私は自由だ。’どんな趣旨だったか?

 “この頃、私はそう思っている。 何かを望むところから恐れが出てくるが、私は望むものがないので恐ろしいものもない。 この頃、若者たちが過度に恐れてるようで私が逆に一層このようなポーズを取っているのかもしれない。 恐ろしいことが何があるか? そうしてみても私を監獄に送ったり恥さらしをあたえる程度ではないか? 私は一生を通じてお金も名誉も権力も望まなかったために恐ろしいものもない。 この頃、私は心がとても軽くて幸せだ。 今のままでも後に死んで飛んで空に昇れそうだ。(笑い)”

-評論家たちと仲が良くないことで有名だが、今回の受賞決定を見ながら評論家がとうとう白旗を揚げたんだなという考えもしたか?

 “評論家を意識しなくなって10年経った。 私がもし60年代に登壇して今のように20余年ほど文を書いてきていたとすれば疲れて倒れたかもしれない。 その時は評壇が大変重要だったし権威もあったから。 しかし21世紀は覚醒された大衆エリートの時代だと考える。 職業評論家にどのように見えるかという件も何の問題にもならない。 そして私は幸いにも普通の人として覚醒した大衆エリートの一人だったそのために彼らと共に歩んでくることができた。 私は巨大新聞と権力層から憎しみのほかには何も受けていないが、読者たちに愛されながら時代とともに歩いてくることができたという点で幸せだと考える。”

-文壇活動というか同僚文人との交遊が少ないようだ。 イ・サン文学賞授賞式にも前年度受賞者である小説家パク・ミンギュのほかには文人の姿が見られなかった。 代わりにツイッターの友人らと‘ナコムス’のチョン・ボンジュ前議員ような人が受賞を祝ったが?

 “文壇の人々と会えばとんでもない攻撃を受けない限りは儀礼的な挨拶を交わすだけだ。 ツイッターでは言ってもかまわないし、言わなくとも済む言葉を言わなくてよい。 すぐに本論に入るから時間浪費も少ないことになる。”

-ツイッターはいつから、どんな契機ですることになったのか?

 “<智異山(チリサン)幸福学校>を新聞に連載した2009年5月頃だった。 私が読者たちに会うのが嫌いだから、出版社から代わりにツイッターをしなさいと言われた。 私はインターネット ホームページもなくてブログもしないので、嫌だといったが、スマートフォンを買ってくれると言われて夢中になって、ひとまずアカウントを作った。 ところが実際にやってみると本当におもしろいんだね、これが。”

-ツイッターの魅力と言われたら何を挙げるか?

 “私が人々に直接会うのを嫌う。だからと言って会わないことが好きなわけでもない。 ツイッターは適当な距離を維持するという点で良い。 会いながら会わないで、会わないながらも会えて、表現したことだけを表現し、表現したくないことは表現しないでも良い。 私が望む時間にだけ会ってもかまわなくて。 その上、重要なニュースを正確で早く知らせられるという長所もある。”

-歌手インスンとキム・ヨナ選手が総合編成に出演したことを非難したツィットでしばらく非難された。

 “誰かが彼らの総合編成出演事実を知らせ私の考えを尋ねるので、それを気に入らないと話したが、何か問題があるのか? 意見表明の自由があるのではないか? それを変だと言う私たちの社会の方がよほど変ではないのか? 私の発言のために彼らが圧迫を受けたとすれば、私の発言自体よりは私の発言に対する言論の反応で圧迫を受けたようだ。 彼らが私の発言に対する考えを尋ねる質問にノーコメントとしたが、それがありがたくて申し訳なかった。 芸能人もいわゆる‘概念’を持てばちょっとダメなのか? そうすることを願った二人なので失望も大きかったわけだ。”

総合編成発言 悪リプライにツイッター中断を考え、沈黙が一層危険だという判断につながる

-ツイッターと活発な対外活動が社会的に話題になり、若者たちの意識を変える効果はあるが、作家個人としては損害を甘受しなければならない部分もあるようだ。 時間も奪われ、悪リプライのために心が傷ついたり。

 “私は作家生活23年間、休むまもなく悪リプライに苦しめられてきた。 評論も私にとってはほとんどが悪リプライだった。 今はむしろ私が見ることができ反論もできるので、私にとっては悪リプライが大きな危害にならない。 初めは悪リプライのためにツイッターを止めようかと考えもしたが、彼らが願うことがまさにそれだと考えて続けることにした。 口を閉じて、正しくても正しくなくても騒々しくない文だけ上げること。 これが彼らの願うものであり、それは表現の自由に対する明白な威嚇だ。 私が一番嫌うのが、正しいのか正しくないのかを問い詰めずに騒々しいから止めてと言うことだ。”

-10・26ソウル市長補欠選挙からナコムスメンバーらと共に動くと、去る年末にはナコムス米国公演にも参加した。 ナコムスに対する愛情が相当深いようだ。

 “ナコムスは今私たちの社会でとても重要なことをしている。 私の娘と同じ年頃の友人が政治に関心を持ち参加することになる上で、ナコムスが決定的な役割をしたことを確認した。 ハンストとか路上座り込みとか投身とか三歩一拜とかするような自虐的な運動は申し訳ないがやめて、デモ自体が祭りにならなければならないと考えるが、その点でナコムスと私の考えが合致した。 また、報道機関が今のように卑劣で、今のように無気力な状態は、維新時期に思春期を送ったがその時にも見られなかった。 この絶望的な時代にナコムスが言論の役割を代行していると見たので助けることにしたのだ。”

-李政府をどのように評価するか? 朴正熙・全斗煥政権と差があるならば?

 “朴正熙、全斗煥の時は私たちを暴力で怖気させた。 それでもその時の人間はそれほどみじめではなかった。 ところが、金を持って圧迫すれば人間が本当にみじめになる。 <ルツボ>でカン・インホが結局は生計のために全く身動きできなくなったのと同じだ。 生きることが人間が生まれた目的の全てのように思わせる卑劣な政権、自らを獣のように感じさせる政権だ。”

-先日どこかの新聞インタビューで李政権下では小説を書くことはできないと話したが?

 “元はと言えば<ルツボ>の後には美しい恋愛小説を書くということだった。 ところが李政権下では恋愛小説を書くための感情を掴むことが本当に難しく、ひとまず後回しにした。 代わりに他の小説の脈を捉えて取材をしている。 3月末脱稿が目標だ。戦争当時、興南(フンナム)埠頭撤収、倭館(ウェグァン)ベネディクト修道院、米国、ニュージャージー ニュートン修道院などが舞台だ。 今回米国に行くのも小説取材のためのものだ。 今年は総選挙と大統領選挙がある政治の年だが、直接的な政治的主題よりは、より大きくて根本的な話をする必要があると考えた。 なぜなら小説はMBより長く生き残らなければならないから。”

ナコムス、20代の政治意識化に大きな役割
デモが祭りにならなければならないと考え助けた

-ツィッターによれば愛の物語を募集していたが。 本として出す計画か?

 “3日から3月末までA4 2枚分で愛の物語を集めている。 採択されれば所定の原稿料も払い望めば出処も明らかにするつもりだ。 集まった話を私が脚色して構成して多彩な愛の物語を本として出す計画だ。 沢山の参加をお願いする。(笑い)”

-この時代の若者たちを見て、どんな気がするか? 彼らに言いたい話があるならば?

“率直に言って少しもどかしい気がする。 何がそんなに恐ろしいのか? とても多くの食べ物が用意されているバイキングで、いくつかの決まった食べ物の前だけに群がり並んで、忍耐強く待っているようだ。 他の食べ物はみな冷めて行くという話だ。 あの従順性はどこから出てくるのか? なぜ反抗しないのだろう? 老いたんじゃないの? 若者たちには何よりも自分勝手にしなさい、心の声を聞け、他と違うということを恐れるな、こういう話をしてあげたい。”

国外進出は

‘ポンスン姉さん’等、中国で突風…‘ウヘンシ(私たちの幸せな時間)’10余ヶ国と翻訳契約

 韓国最高の人気作家に挙げられるコン・ジヨンの小説に外国の読者たちも関心を示している。 日本ではかつて1997年に<サイの角のようにひとりで行け>が翻訳されたのに続き<愛のあとにくるもの>が2005年に翻訳出版され、初版5万部が売り切れ文庫版でも出された。 <私たちの幸せな時間>は2007年に翻訳されて6万部程度が売れ、漫画にもなったし、まもなく文庫版が出る予定だ。 2010年に出版された<楽しい私の家>は2万部余りが売れ、<ルツボ>も出版を待っている。 <サイの…>と<愛の後に…>を除く残りの本は全て日本の権威ある出版社である新潮社から出ている。

 2010年11月初め、中国最大のインターネット書店である当当が集計した新刊小説ベスト順位で<ポンスン姉さん>が3位に、<サイの…>が6位に上がるなどコン・ジヨンの小説は中国でも良い反応を得た。

 <私たちの幸せな時間>は英国ショートブックスと契約され来年初めに英語版が出てくる予定だ。 英国以外にも10余国と翻訳契約されている。 映画<ルツボ>が米国でも開封され大きなイシューになったので、原作小説に対する関心が強い。 コン・ジヨン氏とエージェントのイ・グヨン氏は去る6日昼、<ママをお願い>の米国エージェントであるバーバラ チトゥウォと会いコン・ジヨン小説の米国進出戦略を議論した。 イ・グヨンKLマネジメント代表は「コン・ジヨン氏の小説は一冊でなく数冊が一度に動いていて海外での展望は明るい」と話した。 チェ・ジェボン先任記者

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/513826.html 訳J.S