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‘人間のための芸術’ 求めて地方オーケストラを選択

原文入力:2009-03-11午後05:37:08
光州市響の‘カン・マエ’ ク・ジャボム

チョン・サンヨン記者

←ニューシス提供

音楽で良い世の中を作りたくて美学と存在論を捨てた哲学徒。米国のイラク侵攻に抗議して永らく吸った米国産マルボロタバコを捨て、好きだったコカコーラまで断ってしまったバカ正直な反戦音楽家。巨匠ユン・イサンの人生を尊敬し、彼の生まれ年である‘1917’を携帯電話番号に使う若い指揮者。

ドイツ,ハノーバー国立オペラ団の首席常任指揮者として活躍したク・ジャボム(39)氏が突然帰国し、去る2日光州市立交響楽団の常任指揮者を引き受けた。彼は3年前に韓国音楽家としては初めてドイツ最高等級(1A級)オペラ劇場の首席常任指揮者に任命され、国内音楽界を驚かせた。‘第2のチョン・ミョンフン’として期待を集めた彼がドラマ<ベートーベン ウイルス>の‘カン・マエ’のように世界の舞台を後にして帰ってきた理由は何だろうか? それもソウルではなく‘クラシック辺境’である地方オーケストラで。

去る6日光州文化芸術会館の光州市響指揮者室で彼に会った。彼の口からは“人のための芸術をしたくて”という多少とんでもない返事が出てきた。

“私は芸術を土台に人間の問題を最後まで覆したいと思う人間ですが、ドイツでは私の芸術自体にのみ関心があるようでした。もちろん芸術家を最高に待遇してくれるますが、いつのまにか人間ク・ジャボムは消えて、ただ芸術家ク・ジャボムだけが残ったという気がしました。これ以上できないですよ。”

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彼は「芸術家としてだけク・ジャボムの全ての事を規定する社会で生きるということは大変だった」と打ち明けた。「芸術だけでなく人間的な関心と交感を交わして幸せになることができる人々が懐かしかった」彼に今年初め光州市響から団長および常任指揮者の提案が入ってきた。ソウルの有名楽団からも同じ提案を受けたが、光州市長までが全面的な支援を約束したことに心が惹かれたという。彼は「まだ私たちの世代は光州という名前を聞けば胸の片隅に何かジーンとしたものがある。本当に光州でやりたかった」として明るく笑った。

←国立オペラ団提供

韓国の齢で四十才の彼は「男は四十になれば顔に責任を負うという話のように、私の本当に責任をもてる作品を一つ作ってみる」と確約を打ち明ける。

“ドイツで15年間暮らして、音楽に対しては他の人々の前で責任を負えるくらいに堂々とやれるようになったと思えるようになりましたよ。ドイツの哲学者カントの言葉のように今は‘何をしてもかまわない’という気がし始めたといいましょうか。その前までは‘何をすることができるだろうか?’ ‘何をしなければならない’だったけど….”

彼は二十四歳で延世大大学院哲学科を中退して、95年にふわりとドイツ留学の道に入った。音楽に対する情熱をこれ以上押さえ込めなかった。97年マンハイム音大大学院を卒業して翌年ハーゲン市立オペラ劇場で常任指揮者としてデビューした。2002年からタルムシュタトゥ国立オペラ劇場常任指揮者を経て、2006年ハノーバー国立オペラ劇場の首席常任指揮者に抜擢された。その時、鼻っぱしらの高いドイツ団員たちから呼ばれた呼称が‘マエストロ・ク’だった。

現実に戻って地方オーケストラがどれくらい劣悪なのか知っているかと尋ねると、彼は「状況がどうであれ発展させることができるという自信で来た」と言い切った。それから「もっと小さいところで来いと言っても行っただろう」と付け加えた。

去る2月彼は光州市の指揮要請を受けて、光州市響と二日間ワークショップを行った。時代別,分岐別に光州市響が最近練習した八曲をリハーサルのように演奏し団員たちを見守った。団長に就任した翌日からは毎日午前10時から午後6時まで練習をしながら団員たちに面談した。その時「団員たちがとても用心深いせいなのか、一人一人の実力に比べてアンサンブルが弱いということを感じた」と言う。

「音楽は遊びだと思います。皆一緒に調和して遊ぶことができるオーケストラはどれほど魅力ある楽器でしょうか? ところが韓国オーケストラはうまく遊ぶことができません。人にとても配慮するので自分の個性を表わせないようです。それで団員たちに十分に個性を生かしてソロでするように演奏してくれと言いました。調整は私がするから皆さん同士で合わせようとしないでくれと言いました。」

彼は来月30日、初めてのデビュー演奏会曲目にグスタフ マーラーの<交響曲1度 巨人>を選択した。今年1年ほどは市民になじむメロディを聞かせたいが、初めからよく知られた作品をやれば自身と団員たちがややもすると怠惰になるかもと恐ろしかったためとのことだ。

彼に‘カン・マエ’と似ているという冗談を投げかけた。彼は「ドイツの弟子たちが出てきて似ているといってインターネットで見たところ、練習を徹底してさせることや、‘浅はかに聞こえる’と指摘される語り口が少し似ていたよ」として笑った。「人は魅力的なことに喜びを感じるといいます。私はそのまま本物だけをやりたいです。魅力的なのが本物なのではなく、本物が魅力的なのだということを見せてあげたいです。音楽だけでなく人間的なことまでもね.」

光州/チョン・サンヨン記者chung@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/343494.html 訳J.S