原文入力:2011/10/28 04:39(4566字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
前置き
以下の文は新たに創刊される雑誌『進歩戦略』に寄稿したものだが、このブログをお読みになる方々が必ずしもこの雑誌を読むとも限らないので、一応ここにも載せることにした。この文の問題意識は、ヨーロッパの最も豊かな国で勃興するようになった極右派を眺めながら、私たち左派から根本的な猛省をし自分たちが先ず本質的に変わるように立て直さなければならないということだ。私たちは労働者たちとのつながりをほとんど持てなくなってしまった。私の入っているノルウェーの急進的な左派政党である赤色党には、工場労働者も普通の事務労働者もほとんどいなく、教授、教師、医者などが率いている奇形的な(?)構造だ。私たちが話しかけることのできなかった労働者たちは結局社民主義政党の支持者として居残らない限り、極右派の支持へと回っており、社民主義政党などが新自由主義化していくにつれ多くの場合は極右派の支持へと大量に回っている。それほど私たちはひどい目に会っているわけだし、後に歴史の法廷で自分たちを弁護することはできないだろう。
最近のヨーロッパの政治状況における一つの不可解な話題は、それなりに恐慌を比較的にはうまく避けている国々で極右ポピュリズム政党たちが高い人気を誇っていることである。「危機が極右たちを勃興させる」という常識(?)に完全に逆らっている事実は、国家破産と史上最悪の生活水準の低下に直面しているギリシャでは極右より様々な左派が政局を主導していることである。今のギリシャ国会で「極右」といえる「民衆正教会召集」党は300議席中の15議席しか確保できていない。中道右派(「新民主党」)の他には国会の主導勢力は社民主義者(154議席)、共産主義者(24議席)、新左派(9議席)などである。苦戦を強いられているギリシャは「左傾化」している一方で、財政状況がヨーロッパ連合の中では最も良好な側に属するフィンランドが去る2011年4月の総選挙で全世界を驚かせたことがあった。極右ポピュリズムの典型に近い「真正なフィンランド人」(Perussuomalaiset)政党がいきなり19%の得票率を獲得し国会第3党になってしまったのである。このような「ポピュリズムの爆発」は何故に危機に比較的うまく対処できたヨーロッパの国々で起こったのだろうか。
フィンランドだけなのか。皮肉なことに、極右ポピュリズムが最も威勢を振るっているもう一つのスカンジナビアの国はすなわち1人当り国民所得が最も高い(7万9千ドルくらい)ノルウェーである。ノルウェーでは代表的な極右ポピュリズム政党であるいわゆる「進歩党」(Fremskrittspartiet)は、2009年の総選挙で国会の169議席中41議席をも獲得した。最近(2011年9月)地方自治体選挙における得票率は11.4%まで急落したが、その理由の一つは「進歩党」の元党員であったアンネシュ・ブレイビクが2011年7月22日にノルウェー史上最悪の大量殺戮を敢行し70人余りを殺害したことである。「進歩党」は、当然ながらブレイビクの犯行との如何なる関係も否認しその犯行を強く糾弾したものの、「進歩党」の党員の間に蔓延した反イスラム主義的・人種主義的な雰囲気がブレイビクの狂った民族主義的・排外主義的な世界観の形成に影響を及ぼしたことは万人が知っている事実である。問題は、ブレイビクの犯行がある程度過去の中に埋もれ忘却される数年後は、「進歩党」はいくらでも2011年初頭の支持率、すなわち25~30%の支持率を確保しうるということである。ヨーロッパで最も「豊かな」社会で極右政党の支持率がこれほど高いということは、多くの人々を唖然とさせる事実であるが、しかるべき客観的な理由は確かにある。
フィンランドやノルウェーのような世界最高レベルの福祉社会で極右主義への支持者たちがこんなに多いということは信じられない事実のようであるが、実はこの二つの社会で長い間主導的な役割を果たしてきた穏健左派の新自由主義的な変質の避けられない結果だといえる。フィンランドの場合は社民党のパーヴォ・リッポネン(Paavo Lipponen)は1995~2003年の間 総理の座にいたが、ちょうどその時に新自由主義がフィンランド社会の中に深く滲透し始めた。資本の超国家的な運動にあらゆる障壁がほとんど取り払われるようになり、フィンランドの10大企業の海外被雇用者の割合は2002年にほとんど60%(1982年にはわずか15%だった)に達した上に、非正規雇用が「自律化」になり、特に低賃金・女性労働者中心の非正規労働が社会でより大きな役目を担当し始めた。1999年の時点で全体の勤労者中の非正規労働者の割合が既に21%に達していたが、これはヨーロッパ連合の平均(14%)より遥かに高い数値であった。70%の非正規労働者は正規雇用への転換を求めているにもかかわらず、その転換が不可能になり、非正規雇用のままでいるしかない「非自律的な非正規労働者」に分類された。1980年代末まではフィンランドにはほとんどなかった派遣会社は、1990年代末になると既に約15万人の労働者を雇っており、このような業社での平均雇用期間は50日程度であった。一言でいえば、リッポネン政府は1990年代初頭の不況を低賃金労働者へのより強力な搾取によって「克服」しようとしたのである。ノルウェーの場合は、たとえ非正規労働の割合(約9%)はヨーロッパで比較的低い方に属するとはいえ、1990~1997年の間に穏健左派である労働党が政権を握っていた時に国有大企業の部分的な私有化を進め、「労働の柔軟化」を奨励し、工場を低賃金国に移転しようとする企業らの解雇をまともに阻止しようとしなかった。労働者たちの不安心理が助長される一方で、企業税率引下げ政策などの効果で巨富たちの数は増えるばかりであった。労働党が再び政権を握った2005年から今までに10億ドル以上の資産を保有した大金持ちの数が倍も増え、今では180人に達しているのである。これと対照的に、新自由主義的な「柔軟化」に最も露出された土建業のような部門では、オスロ地域の場合は約25%の労働者のみが正規雇用であり、残りは国内外から派遣された非正規労働者である。一言でいえば、フィンランドやノルウェーの穏健左派は福祉国家の根幹を維持しているものの、社会の漸次的な「新自由主義化」をかなり許し、1~2%の最上層(富裕層)と10~15%の貧困層、準貧困層の劇的な成長を促す中で社会を相対的に不安化させた経緯があったのである。
ギリシャの場合は現在、社民主義者たちが民衆に極めて手痛い予算削減政策を行うなど、多数から次第に乖離しているが、2000年代初頭までは基本的に民衆たちに比較的苦しくない国家資本主義的な基本枠を維持していた。共産主義者たちは今の予算削減政策に対する民衆の闘争を率いている多くの勢力の中の一つである。すなわち、新自由主義に対抗する人々は、ギリシアの場合は大衆的な左派政党の「船」にいくらでも乗ることができるのである。しかし、フィンランドやノルウェーはそうではない。フィンランドやノルウェーの場合は、穏健左派こそが1990年代初頭から新自由主義の前衛になったわけである。労働市場の不安化、所得格差の急拡大などに違和感を感じる人々がノルウェーの労働党やフィンランドの社民党の門をたたく事はないだろう。もちろんノルウェーには労働党よりさらに左側にある社会主義左派党(SV)や赤色党(Roedt)などはあるものの、前者は労働党の「付添い」役を長く務めており、急進的な知識人中心の後者の政党は大衆性が弱く労働階級にうまく近付くことができない。フィンランドでは、左翼同盟党(Vasemmistoliitto)は社民党より左側にあるとはいうものの、1995~2003年に新自由主義政策を実施していた社民党内閣に参加するなど、新自由主義反対勢力としての資格は極めて足りない。結局新自由主義により未来への確信を失い不安と恐怖に陥っている低賃金労働者、零細業者などは果してどこに投票するようになるのか。特に低賃金労働市場で移民者たちとの競争を強いられるようになる状況で移民制限政策を主張する極右ポピュリストたちに味方してしまう確率は極めて高い。もちろん極右ポピュリストたちの提示する排外的な政策などが新自由主義的な労働の危機に対する如何なる真の解決策にもならないことは自明である。移民者たちを排斥したからといって新自由主義的な構造における低賃金労働の不安が改善されることはまったくないだろう。にもかかわらず、極右たちの政治言説は新自由主義に変質した穏健左派の裏をかく部分は確かにある。「真正なフィンランド人」がフィンランドの政党の中で唯一ヨーロッパ連合に強硬反対するのはその例である。新自由主義的政策で民衆の暮らしを先頭に立って破壊しているヨーロッパ連合への原則に忠実な反対を、何故に社民党と左派同盟党はできないのか。「穏健」という名の彼らの変質と無能さが結局は極右たちの勃興を許してしまったのである。
左派が左派らしく実践さえすれば、極右たちが勃興するはずがない。しかし、左派らしく振舞うことは、1990年代以来「主流」になってしまった多くの言説に果敢に反対し、場合によっては「主流」からは外れた不人気集団になることを意味しうる。左派らしく振舞うということは、富裕層に対する課税強化、ヨーロッパ連合に対する反対、民営化に対する絶対反対、資源やエネルギーなどといった核心部門の大企業と銀行の国有化支持、そして労働階級の階級的な利害関係の優先視を意味するのである。このような立場を取れば、富裕層との正面衝突も覚悟しなければならないし、ヨーロッパ連合における中心国家(ドイツなど)の支配層との衝突の可能性も覚悟しなければならない。易しくない道のりであり、右傾化し続けてきたノルウェーやフィンランドの穏健左派が決して簡単に選択できる道のりでもない。しかし、彼らがこの道を歩まない限り、「進歩党」や「真正なフィンランド人」党のような部類がかなり多くの労働者の票を獲得することを覚悟しなければならない。左派が労働階級の利益を優先させなければ、左派を中心に団結してきた労働階級の政治的アイデンティティそのものが次第に動揺し、場合によっては部分的に解消しうるのである。階級の政治的アイデンティティが危険に晒されることこそが、1990年代以降のヨーロッパの富国の穏健左派が選んだ道の最も恐ろしい結果である。新自由主義世界体制そのものが致命的な危機に晒されている今日、果して彼らは左派本来の姿勢に戻ることができるだろうか。
原文: 訳J.S