原文入力:2011/09/23 02:19(3842字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
私はたった今 大変興味深い講義を聞いて来ました。イギリスで活動するあるスリランカのお坊さんが、ここ10年間スリランカで行われた「非道徳的な改宗問題」をめぐる社会的討論、そしてその問題の政治化について報告をしました(この報告に関する案内はここです。)。報告の要旨をごく簡単にまとめると、特にアメリカや韓国などのプロテスタント団体と統一教、そして日本の霊友会や創価学会などの「新興仏教」組職が子供の進学や就職の保障、医療サービスや食べ物の提供などを武器にしてヒンズー教や仏教信者たちを「非道徳的に改宗させる」事例が2002~3年に問題になり、外国宗教人たちの「買魂活動」をめぐる全国的な憤りと自己批判的な省察(「スリランカのように仏教などの伝統が深い所で何故こんなことが起こりえたのか」)が行われ、これを機に保守的な仏教団体などが「非道徳的な改宗」を禁止させる法案を国会で通そうとしたものの挫折したというのです。政府の立場では一面で保守的な仏教団体との関係を悪化させたくはなかったのですが、また一面では外国のキリスト教団体たちが「信仰自由抑圧」を問題にし援助を受けられなくなることを恐れているため、結局は推進できなかったとのことです(ただし、外国の宗教法人たちの登録手続きは極めて複雑になりました)。しかし、その法案の内容を見ると、物質的な施しによる「非道徳的な改宗」を禁止させようとしたものであり、説教や説法による「正常な改宗」に対してはなんら問題にしないなどと、仏教の伝統的な寛容の態度を堅持していました。
アメリカと韓国、そして日本の宗教団体の「宗教的な帝国主義」侵略(講師の用いた表現)とそれに抗するスリランカ仏教界の民族主義的な対応……。この話を聞いていた私の目の前には1992年秋のレニングラードが浮かびました。亡国直後の混乱と超過剰インフレによる想像以上の生活苦、栄養失調に苦しみ始めた老人たち、昼でも街頭を歩くのが怖いほども悪化した治安状況……。ソ連体制と共に正義と兄弟愛に基いた社会を建設しようとした民衆の数百年の夢さえも一瞬にして崩れ、世の中すべてがただ病理的な利己主義と無条件の生存、致富の論理に一変し始めました。そして案の定、死んだ象の屍骸に群がるハイエナのように、死んだソ連の屍骸を踏み躙りながら少しでも得をしようとしてあらゆる金持ち国の「宗教団体」がこの死の地で一方ならぬ活動を展開しました。もちろんアメリカのプロテスタント宣教師たちが最も目立ちましたが、意外に韓国の宣教師たちも多かったように思います。現在は旧ソ連で公式的に活動している韓国の宣教師たちは577人に達していますが(登録せずに活動している人々を含めれば約千名になるでしょう)20年前のレニングラードだけでも少なくとも30~40人はいたのを覚えています。彼らの言動の中で今でもよく覚えているのは、何よりもほとんど狂ったかのような「共産主義」への敵対心でした。「あなたたちが70余年間共産主義をしていたから今みたいに貧しくなったんだ。私たちは神様の恵みを受けて商売がうまくいき、こんなに金持ちになったんだ」という対照法などはほとんど公認のレトリックでした。もう一つは、ロシアの宗教人にはほとんど見られない物質的な「施し」への盲信でした。定期的に食べ物などを提供し働き口もたまに紹介したり、後で韓国短期留学の機会などを用意すれば、「聖霊」を受けない若者などいやしないだろうというのも大多数の確信でした。世界資本主義体制という大韓民国の「友邦たち」により徹底的に崩壊した旧敵対国で彼らは威風堂々とした征服者たちでした。最早降伏した昔の敵方の過去を審判し未来を保障しうる、お金という無敵の武器を持った征服軍でした。スリランカでもこんなことをして社会的な怒りを買ったのでしょうか。
この征服軍への対処に当たり、崩壊した国の「原住民」たちは大きく三つのグループに分けられました。スリランカのように民族主義的な信念が強いか、共産主義的な理想を遂に諦めなかった「抵抗派」は、あらゆる誘惑を振り切って征服者たちと関係を結ぶことを拒む傾向がありました。今でいえば、これこそ最も正しいアプローチでしたが、不幸にも完全に崩壊してしまった国では韓国の宗教帝国主義に最後まで立ち向かう人々はあまりにも珍しかったのです。モスクワ東洋学研究所のユーリイ・ワニン教授(http://www.rauk.ru/index.php? option=com_content&view=article&id=1099%3A2011-04-02+19%3A33%3A16&catid=126%3A2011-04-02+19%3A33%3A16&lang=ru&Itemid=143) のように徹底的な共産主義(正確にはスターリン主義的)の世界観の持ち主さえも「3・1文化センター」などといった宣教団体との協力を拒みきれなかったほどでした。ただし、ユーリイ・ワニン教授の場合は朝ロ親善団体で常に活動し対朝交流を続けるなど、北朝鮮との伝統的な親交を連綿と維持したという側面でやはり節を曲げなかったと見なければなりません。甚だしくは亡くなる最期まで自分を共産主義者と思っていた私の恩師ミハイル朴教授さえも一部の宣教師との協力を受け入れざるを得ませんでした。部下たちを食べさせるためには選択の余地などなかったわけです。
さらにありがちな二番目のグループは、私自身のように「面従腹背」で貫く「やる気のない協力者」たちでした。食べるためには仕方がないので、征服軍の案内役を務めているのですが、時間が経てば経つほど「賦役者」としての自分自身に対する嫌悪感が波のように押し寄せてくるのです。私の場合はカナダ出身のある韓国人牧師の通訳を何ヶ月間か務めていましたが、昼は通訳をし夕方は「たくさん献金するのはクリスチャンの最も大切な徳目」などといった話を通訳しなければならなかった自分自身は果してどんな人間だろうかという自己嫌悪的な冥想に耽ったりしたのです。金持ちだったその牧師さんは最初から高級ホテルの食堂を借り切り、そこで先ず説教してから食事を提供したりしましたが(逆にすれば「羊」たちは食事だけ食べて皆逃げてしまうからです)、そのホテルで国内人の中で最も多かったのは体を売ってでも自分と家族たちを養おうとした「インターガール」たちでした。征服軍たちに体を売ることが悪いのか、それとも魂を売ることの方がもっと悪いのかというテーマについて私はその時 絶えず考えていましたが、どうやら後者の方が遥かに汚らしいという結論を出さざるを得ませんでした。そのようにして何ヶ月間か売魂店(?)で働いてから主に観光ガイドなどのバイトに切り替えたものの、売魂店で送ったあの何ヶ月間のことについては今もたまに悪夢を見るほどです。最後に三番目のグループは、征服軍に初めから降参し征服軍が強要しようとした霊的な「辮髪胡服」、すなわち「信仰告白」し、「一生懸命に神様に祈らなければお金も入らないし福も来ない」という征服者たちのイデオロギーを内面化しました。そうでもしなければ、協力しながら糊口をしのぐことは難しかったのでしょう。
帝国主義が通り去った跡は賦役者で構成された名分のない支配層と奇形的な対外志向一辺倒の経済、そして知識人階層の買辧化とその双子としての病理的に誇張された一国の民族主義等々です。そのトラウマを、社会は半世紀が経っても治癒することができませんでした。韓国の2万名余りの海外派遣宣教師たちに象徴される宗教的な帝国主義が去っていけば何が残るのでしょうか。「先進文明」の影を覗かせお金を少し与えれば「原住民」の内面風景も変わるということに対する「原住民」社会の痛ましい覚醒と自分自身の限りない脆弱さに対する自己嫌悪の感情、宗教的な心性が取り引きされる現象に巻き込まれた虚無感、その程度ではないでしょうか。売春が体に病気を齎すように、売魂は堪えきれないほどの心の病気を齎すのです。ただし一つ期待があるとすれば、宗教的な征服軍との「出会い」は消極的な自分自身への嫌悪や反省などで終わらず、お金が人間の内面を変え、魂さえも商品化されるこの呪われた制度、すなわち資本主義に対する積極的な憎悪と拒否につながることもありうるということです。「原住民」の被害者たちが資本家としての外国の「宗教業者」たちの実体を把握できなければ、いかにして彼らに抵抗しうるのか、さらにはその派遣国の被害大衆と共に手を取り合ってこの奇形的な世界的制度にどのように対抗しうるのか理解できないことでしょう。
原文: https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/497650.html 訳J.S