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[朴露子ハンギョレブログより] 人身支配と新自由主義

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/494608.html

原文入力:2011/09/02 01:06(3243字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学


資本主義とは窮極においては暴力そのものです。大多数の被雇用者たちが本人の意図とは関係なく無条件に雇用を求め、解雇を恐れ、雇用関係に拘らなければならない理由は結局何でしょうか。韓国の場合は、故チェ・コウンの事例からもわかるように、最悪の場合は失業者、解雇者などが餓死に追い込まれかねないため、そうならざるを得ないのですが、餓死の心配などないヨーロッパのような場合は、耐久財の購入や休暇旅行などのできない二等市民である失業者にならないために、すなわち体制から経済的な打撃を受けないためです。失業者たちが餓死しかねない韓国や日本で見られる命の剥奪であろうが、ヨーロッパ福祉国家式の「豊かな生活」の剥奪であろうが、我々が「賃金奴隷」(wage slave)としての生活を強いられるのは、ある種の「剥奪」への恐怖です。恐怖に基づく体制は暴力でなくして果たして何でしょうか。

ところが、その暴力の類型においては半封建的植民地資本主義から準ファッショ政権下で圧縮的に準核心部資本主義の野獣へと成長した大韓民国と、核心部の国々とでは大きな相違があります。核心部資本主義の暴力性は ―少なくともその社会の中では― 大概の場合は非可視化しており、深く内面化しているうえに、「合理的な手続き」と「平等な市民」の間の親切で見事に覆い隠されています。たとえば、アメリカの「最もタフな事業家」として悪名の高いアップル社のスティーブ・ジョブズを思い浮かべてください。彼に関するエピソードによれば、職員(役員まで含めて)らを「即時解雇」した話や自分の前で堂々と黒板に説明の文を書こうとした部下に怒りをぶちまけたというエピソードなどが有名です。概して我執が強く自分の権力を容赦なく誇示することが大好きなタイプに違いないのです。しかし、たとえばそのスティーブ・ジョブズが会社のビルの前で一人示威をする解雇者に「殴られ代暴行」を敢行することなど、想像できますか。そうです。想像できないことです。ジョブズとチェ・チョルウォンとの間の違いといえば、ジョブズが制度的な装置(経営者の無条件的な解雇権など)を利用(ないし悪用)し暴力的に権力行使ができる程度にすぎない一方、チェ・チョルウォンはいかなる制度的な「媒体」もなく「目下」の人々の身体に無条件に暴行を働いてもよいもの、つまり自分が少なくともある期間は所有できるものとして捉えているということです。すなわち、ジョブズの暴力性はある程度制度化されている一方、チェ・チョルウォンの暴力性は直接的で物理的です。部下(もしくはかつての部下や自分より貧しい人)の身体をお金を払って所有物のように暴力的に利用してもよいという彼の考えを、彼に執行猶予を命じた裁判所、すなわち大韓民国の公権力も支えているので、何を憚ることがあるでしょうか。ジョブズの要求事項(効率性の最大化、指示の熟知等々)を内面化すれば彼の振るう制度的な暴力の武器、すなわち解雇を兔れることができますが、チェ・チョルウォンたちの振るう物理的な暴力と暴言の武器はいくら身を低くし いくらぺこぺこしても避けることは極めて難しいかもしれません。国内で大学院や大企業に通ったことのある人ならよく知っている事実です。


目下の人々の身体と心を目上の人々がいつも酒飲みの友として利用したり、びんたや暴言で踏みにじることができること、そして部下の時間と労働を上司が勝手に利用できることを意味する韓国型の人身支配は、ある面においては誠に逆説的です。一面においてはそれは陰で行われる非公式的な行為の領域に違いありません。そのため、当該部門の従事者でなければよくわからないかもしれないし、あまり知られていないだけに、社会の公式的な(西欧的自由主義を標準の準拠とする)倫理規定との衝突を避けることもできるのです。たとえば、絶対多数の男性たちは軍隊に行かなければならないため、「元山爆撃(腕立て伏せの姿勢で頭を地面につけさせる体罰)」くらいなら大韓民国の善男善女の一般常識に属しますが、故チャン・ジャヨンが最後に「31人の悪魔」リストを残さなかったとしたら、芸能界とは無縁の大多数の韓国人たちは芸能界の初心者がくぐらなければならない「イニシエーション」、すなわち所属社代表の暴力とその社会の親分たちのための酒席の世話や性接待などについて果してまともに知り得たでしょうか。もちろん陰で成される人身支配の実態がいきなり露出したとしても、それは支配者になんら痛くも痒くもないことでしょう。あるいはアナウンサーになろうとする女学生たちに向かって「すべてを捧げよ」と熱弁を吐いても、結局は議員職を喪失しなかったカン・ヨンソク議員の場合をよく見てください。いや、チャン・ジャヨンを苦しめ結局は間接殺人を犯した31人の悪魔たちの中で誰一人として処罰された人がいますか。この地を人身支配している者たちが治めているため、何がいかに暴露されようが彼らは無事でしょう。一面においては彼らの人身支配の慣行は非公式の領域に属するものの、また一面においてはこの国の「慣習法」、すなわち成文法よりも場合によっては遥かに厳格に守られている不文律のレベルです。そのため、たとえば韓国の大学の大学院に入ろうとする外国の学生に指導教授の勧めるお酒はすべて飲めるように酒量を増やしなさいという助言は、韓国語を学びなさいという助言より遥かに切実なものかもしれません。言語によるコミュニケーションは下手でもかまいませんが、目上の人が目下の人の胃袋までも支配する美風良俗(?)を害すれば大変な問題になります。


古の君主たちが「堯舜三代の治」や「民の教化」を唱えたように、近頃の奏上が「先進化」を叫びまわっていますが、彼らのいかなる掛け声とも関わりなく新自由主義が席巻する時代に韓国型の人身支配が欧米型の「制度化された非露骨な暴力」に転身することはないでしょう。その理由はとても簡単です。新自由主義により働き口などが不安定になればなるほど、被支配者たちの安定を求める心理は強くなるため、支配者たちがその心理を利(悪)用し人身支配をさらに強めることにより私的かつ公的な搾取の強化を求めることができるからです。たとえば、大学で正規職としての就職がまだ可能だった、しかも運動圏もまだ力が健在であった1990年代初頭までも国内の大学では指導教授のセクハラから代筆の強要までが横行していました。運動圏がほとんど力を失い正規雇用も針の穴のようになった今日は?渡米留学派の支配構造の中で国内の学位そのものはその意味をかなり失ったものの、雇用を求める人々が大学の実力者に媚びる必要性は遥かに大きくなりました。不安定な世界においては、ゴマすりや人身支配への服属による個人的な追従関係の形成などは少なくとも未来へのある種の「約束」のように感じられます。新自由主義によって滅びつつある社会は我々にこれ以上何も公的に約束できないからです。


人身支配の慣行を退治する方法は? 私たちはもう少し果敢になる必要があります。たとえば、「半額」授業料に止まらず、民主化した、前近代的残滓のない無償大学教育をも力強く要求する学生運動がまず復活しなければならず、代筆の要求などを告発できる力強い助教、講師たちの労組が必要です。革命的な闘争がなければ「殴られ代」や「アナウンサーになるためにはすべてを捧げよ」などはなくならないでしょう。過去の幽霊たちを我々が葬り、我々の手で埋めなければなりません。


原文: 訳J.S