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[朴露子ハンギョレブログより] 蜂起の音楽を聞け!

http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Blok

原文入力:2011/08/12 01:04(2690字)

朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

被抑圧者と抑圧者の間の重要な闘争の一つは、まさに言語をめぐる闘争です。特定のシニフィアンがすでに特定のイデオロギーと結ばれている特定の言説を呼び出す力を持っているからです。たとえば、日本の植民主義者たちには三・一運動は「騒擾」だったし、全斗換・盧泰愚(ノ・テウ)らには光州事件は「暴動」でした。このような用語(シニフィアン)などを用いるその瞬間に、私たちは最早名分のない支配者たちのイデオロギーの捕虜になってしまいます。そのため、当然のことながらまともな人間にとっては 三・一運動 は「騒擾」ではなく、光州事件は「暴動」ではないのです。

しかし、驚くべきことに『ハンギョレ新聞』のような自由主義的な左派言論などさえも今イギリスのロンドン等で起こっている貧民たちの反乱/蜂起をかたくなまでに「暴動」と呼び続け、「暴れ」「暴徒」のような用語を使っています。もちろん表面的には正当な名分にそれなりに忠実に従った三・一運動や光州事件とは異なり、今のロンドンでは商店が略奪されたりするなど、私たちには「反社会的な行動」として映りやすいことが起こっているため、このような呼び方は一面においては妥当に見えたりします。しかし、ここで一つ重要なニュアンスを見逃してはなりません。三・一運動や光州事件は、あくまでも不当な政治権力の退陣を要求する政治的な運動であった反面、今回イギリスで起こっている貧民たちの蜂起は「政治」領域と直接的に無縁の、社会経済的な領域における不満の累積によって引き起こされた社会的な運動であり、経済的な葛藤を軸とする運動なのです。このような性格が強い運動である以上、中産階層の私有財産への挑戦(「略奪」)は避けられません。しかし、このような違いはあっても、被支配者たちが社会的な不正に立ち向かったという意味においては、今回のイギリスにおける貧民の反乱は基本的には韓国の「伝説的な」多くの民衆運動と軌を一にしているといえます。私たちはこの点に注意し「暴動」のような、敵の使う用語を避けた方が望ましくないかと思います。


葛藤の核心は何でしょうか。新自由主義の導入とヨーロッパ社会の疎外階層の「第3世界化」が作り出した新たな貧民層の出現です。伝統的な貧民層である低賃金労動者階層とは異なり、これらの「新興貧民層」は初めから公式的な部門への進入さえもできません。低賃金であれ最低賃金であれ、初めから「職場」そのものを持てないということです。反乱の震源地であるトットナム地域の場合なら、どんな業種であれ、求人公告が出されただけで平均約55人くらいは応募するところです。新自由主義がぶち壊した社会では公式的な部門への参入はそれだけ障壁が高いのです。より「ましな」町に引っ越そうとすれば、ロンドンの中産階層の居住地などの殺人的な家賃に耐えなければならないし、高学歴向けの仕事に就こうとすれば、一応年間9千ポンドまで上がるかもしれない大学の授業料を払わなければなりません。全人口における最も豊かな10%が最も貧しい10%より約273倍も多い財産を保有する、その不平等指数においてはすでに第3世界の首都などをすべて上回るロンドンという都市では、低学歴貧民層の若い失業者がありつく仕事など本当にないのです。それにもしその人が白人でないなら街を歩くことさえ難しくなります。警察の職務質問や侮辱的な仕打ちに耐え続けなければならないからです。反乱が起きた地域の場合では、黒人が警察の職務質問を受ける確率は白人より26倍も高いです。不平等と暴力、未来と希望の絶対的な不在に絶えず直面しなければならない失業者、公式的な部門への進出ができず麻薬の取り引きや未登録の低賃金労動(契約のないバイトの類)、暴力団とのけんかで明け暮れなければならない若い「有色人種」は結局蓄積された怒りに耐えられず、角材を手に取り金持ちの財産を「略奪」するのはむしろ当然のことではないでしょうか。反乱の加担者たちが自ら話しているように、彼らは金持ちが今まで略奪してきた財物をただ「共有」したいだけなのです。


今度のロンドンなどにおける貧民の蜂起は、新自由主義の構造的な矛盾を直接的な原因としています。極少数の富裕層の財産増殖を最大にするための体制は、同時にかなりの貧民層の苦痛を最大にしているのです。どうして貧民層がこの構造的な略奪を黙って座視していられるのでしょうか。彼らには構造的な矛盾に抵抗する権利が確かにあります。ただ残念なことは、これらの散発的で局地的な、非組織的抵抗を統一させ組織的な革命運動に導くほどの左派勢力がイギリスにはないという点です。社会主義労動党など「革命」を呼び掛ける政党は一部にあるものの、主に中産階層出身の指導者や活動家たちは今反乱者たちを導くほどの力量を持ち合わせていないのが残念でたまりません。組職的な労動運動がこの反乱と手を取り合い体制全体を震撼させることができたら、今この瞬間に私たちは歴史の流れを変えることができたはずなのです。

抑圧に堪えかねて立ち上がった貧民たちは残酷な時もあれば、無意味な暴力を振るう時もあります。彼らを押えつけてきた体制が極めて残酷なだけに、彼らの行動にそうした要素が現われるのは当然ですね。そのような意味では彼らは加害者というより実際は被害者にすぎず、彼らの行動は総体的に見て正当といえます。抑圧への抵抗は、その形はどうであれ、根源的には常に正当なのです。1918年に、ロシア革命の「残酷さ」を非難する一部の友人たちに応じ、ロシアの偉大な詩人 アレクサンドル・ブローク()は「革命の音楽に耳を傾けよ!」と訴えたのです。銃声であっても人類の解放のために鳴らす銃声なら、そこから音楽を聞き取ることはできるのであり、(革命家でもない自由主義者である)ブロークは偉大な詩人であっただけにそれを感じ取ることができました。直感したのです。私は今まったく同じことを言いたいのです。是非この反乱の燃え上がる音、窓の割れる音から我らの時代の痛みを伝える音楽をお聞きくださるように!

原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/37180 訳J.S