原文入力:2011/07/04 18:40(1868字)
憲法は市民と国家の関係を明らかにするために作られる最高規範だ。‘(規定された)状態’という意から来たドイツ語‘ペオパスン’(Verfassung)や、本来‘成し遂げること’という意を持つフランス語‘コンスティトゥィシオン’(constitution)は憲法のこういう最高規範性を垣間見せる。大韓民国憲法は大韓民国を支える礎であり、大韓民国を取り巻くモデルだ。
大韓民国の市民ならば大韓民国憲法を一度でも読んでみるべきだ。それは自身の憲法的権利と義務を知らせるだけでなく、大韓民国共同体の一員としての政治的省察を培う。憲法条文の一部は抽象性が高い。例えば「大韓民国は民主共和国だ」(1条1項)という条文からしてそうだ。この条文の意を冷静に悟るためには民主主義と共和主義に対する理解が前提になければならない。その一方、難渋な法律用語が翻っている下位規範に比べ、憲法条文の大部分はむしろ日常語により近い。憲法を正式に勉強しようとするのでなければ、あえて憲法学の専門書を読む必要はない。前文と本文130条、付則6条からなされた大韓民国憲法を読むことで充分だ。
憲法はその前文で私たち大韓国民が「3・1運動で建設された大韓民国臨時政府の法統と不正に抵抗した4・19民主理念を継承」すると宣言している。したがって日帝時期の韓国人らの親日行為糾明を妨害したり、「8月15日は建国節」云々したり、4月革命が産んだ民主主義を圧殺した5・16軍事反乱を持ち上げることは違憲的妄動だ。我が国社会の右翼勢力はこういう憲法破壊行為を平気で行ってきた。換言すれば、彼らが口さえ開けば騒ぎ立てる‘国家アイデンティティ’を傷つけてきたのだ。
「すべての国民は勤労の権利を持つ」(32条1項)という具体的な条文だけでなく「すべての国民は人間としての尊厳と価値を持ち、幸福を追求する権利を持つ」(10条)という多少抽象的な条文でも、私たちは1979年のYH貿易事件のキム・ギョンスクや、今 韓進重工業事態の逞しく凛々しい闘士キム・ジンスクのような‘美しい女たち’を思い起こし、‘幸福’とは何かについて十分に噛み締めてみることになる。また「国教は認められず宗教と政治は分離する」(20条2項)という条文はソウル市長時期から続いてきた李明博大統領の不適切な親改新教言動だけでなく、一部大型教会牧師らのファシスト的言動が明白な違憲行為であることを確認させる。
「すべての国民は私生活の秘密と自由を侵害されない」(17条)とか 「すべての国民は通信の秘密を侵害されない」(18条)という条文は総理室の民間人査察や巨大企業の従業員監視(例えば三星SDIの労働者携帯電話位置追跡事件)を不快に顧みさせ、 「勤労者は勤労条件の向上のために自主的な団結権・団体交渉権および団体行動権を持つ」(33条)という条文もやはり三星財閥のいわゆる‘無労組経営’が違憲的であることを新たに悟らせる。「国家は社会保障・社会福祉の増進に努力する義務を負う」(34条2項)という条文は、‘無償’とか‘福祉国家’という言葉に俄に癇癪を起こしながらも、数十兆ウォンを投じていわゆる4大河川事業にまい進するイ政権の様子を是非する根拠となり、 「国会議員は清廉の義務がある」(46条1項)という条文はあまりに当然のことをなぜ憲法にまで規定してあるかをじっくり考えさせる。すぐに思い浮かべる国会議員らの顔もある。
「すべての国民は法の前に平等だ」(11条1項)とか「裁判官は憲法と法律により、その良心に従って独立し審判する」(103条)という条文は‘スポンサー検事’とか‘前官待遇’とかいう言葉と共に幾人かの財閥家‘オーナー’らの顔が重なる。これまでの大統領らのようにイ大統領も就任に際し「祖国の平和的統一と国民の自由と福利の増進に努力する」(69条)と宣誓した。その宣誓が実践につながったと考える人は多くないだろう。
大韓民国憲法を守ることは大統領だけでなく大韓民国市民全員の義務だ。現実がその憲法を破壊している時、街頭で学校で労働現場で投票所で その現実を正そうと努めることもやはり国民の義務だ。そのためにはまず憲法を読もう。一時間あれば足りる。
コ・ジョンソク言論人
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/485572.html 訳J.S