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[寄稿] 私学の透明性 放棄する私学法改正案

原文入力:2011-03-03午後08:02:59(1781字)

キム・ソンス延世大学法学専門大学院教授

最近ハンナラ党の一部議員が私学運営の透明性と公共性を大きく損なうことが予想される私学法改正案を発議して論難を引起こしている。 私学法改正案には私立学校に対する国庫支援を拡大するなど公共性を強化しようとする内容もあるが、2005年に改正された私学法で導入した開放型理事制をはじめ、大学評議員会および親族関係にある理事比率を制限する規定などを廃止しようとするもの。 全般的に、私学の公共性と透明性を保障するための最小限の牽制装置を無力化する内容を含んでいる。

これは韓国社会が今まで、教育の根幹を形成する私学(訳注:韓国では国公立大学の数が少ないため、大学生10人中8人が私立大に通うといわれる)を不正の悪循環から遮断し公器として教育と研究という本来の役割を忠実に果たすことができるようにと努力してきた社会的合意を無視する処置だ。 歴史の針を逆に回す拙劣な発想にほかならない。

開放型理事制は私学の透明性と公共性を保障するために、学校運営委員会や大学評議員会が推薦した中立的人物を理事に任命する制度だ。 また大学評議員会は教授、教職員、学生など大学の構成員が参加して私立大学の運営と関連した重要事項を審議する機構だ。 一部私学でいわゆる縁戚経営など寡頭的に運営される理事会を適切に統制するための、いわば牽制と均衡の原理を実現する重要機関だ。
私学法改正案を通じてこの二つを廃止するのは、柱と大梁を私学という建物から取ってしまうことを意味する。 私学運営の透明性と公共性は崩壊の危機に直面するのだ。

私学法改正案の内容の中でより一層憂慮されることがある。 これまでいわゆる分離主義を採ってきた法人会計と学校会計を統合するという点だ。 恐らくこのような発想は、財源間の壁を崩して財政運用の柔軟性と弾力性を高めるというものとみられる。

私立学校財政の大部分は学生たちの授業料や国庫支援で構成される。 これを法人会計と統合する場合、一部の透明でない私立学校では理事長や学校長の倫理観の欠如を助長して“校費の私金庫化”を招く恐れが濃厚だ。

また、学生たちが出した授業料で法人が不動産や株式に投資したり法人の役職員に給料を支給するなど、学校運営の不確実性による否定的な結果がそっくり学生たちに転嫁されることもあり得る。 さらに私学法改正案がそういったことを監視する開放型理事制と大学評議員会を廃止する場合、それは私学の財政権と運営権が腐敗するのを放置することだ。 我が国私学の公共性と透明性の徹底した放棄につながると言うことができる。

私学法改正案の内容の中でより一層理解し難いのは、学校法人が解散する場合、残余財産の30%までを設立者やその家族に支給するという点だ。 私立学校が何の会社でもないだろうに学校を経営の対象と見て、破産した場合にも学校運営者や設立者およびその親族関係にある理事に、それまでの苦労に対する報いを支給するというのか、あるいは投資した持分を保障しようということなのか、とうてい理解し難い。 私学法改正案に対しこういう批判を提起すればきっと多くの私学が「不正私学は一部に過ぎないのに、大部分の健全な私学を疑って悪者扱いする」と逆に批判するかもしれない。 果たしてそうだろうか?

昨年教科部が発刊した『2009年私立学校監査白書』を見れば、2007年から3年間各種不正で監査を受けた大学が40ヶ所であり、不正に会計処理された金額だけでも406億ウォンに達する。しかし私学法改正案については、与党だけが袋叩きにされるべき筋合いでもない。
現在の野党は私学法改正案に反対していると見られる。 しかし2007年7月初め、いわゆるロースクール法と連係して私学法再改正案に対し当時執権与党として同意した前歴から見れば、野党に私学法に対する真摯さがあるのか疑わしい。 果たして政治圏が私学の透明性と公共性という時代の要求からついに顔をそむけるのかどうか、国民は見守るだろう。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/60/466303.html 訳A.K