原文入力:2011/02/24午後10:42(3630字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
ただ今大変興味深い特講を聞いて来ました。イギリスで主に古代中東の歴史を研究・教授しているオーストリア系のライク教授()がモスクワのレーニン廟から錦繍山記念宮殿にいたるまでの各国における「死んだ統治者への崇拜」を宗教学的観点から比較考察した内容です。ライク教授が特に関心を寄せていたのは、「死んだ統治者の墓」の構造の持つ象徴性や、「死んだ統治者」の真影の象徴性でしたが、このことに関しては北朝鮮の事例がさまざまな面において特殊と見なければならないようです。たとえば、相対的に小さなレーニン廟はもとより、毛主席紀念堂や中山記念堂(孫文の廟)などと比べても錦繍山記念宮殿は確かに最も大きいということです。ソ連/ロシアや中国という「威圧的な友邦」と国力を競う立場にない北朝鮮は、少なくても「先王」に対する記念事業においては「世界最高」を記録したわけです。もう一つは「先王」の標準真影です。真摯な革命家レーニンのいかなる(広く流布した)写真や肖像画を見ても破顔大笑したり微笑んだりする姿はあまり見られません。「革命」というコードは、何よりも「真剣さ」や「自己犠牲」を要求するものであり、敢えて文化的な系統を辿ってみれば、このことは福音書に一度も笑ったという記録が見当たらないイエス・キリストの真剣さと一脈相通じています。大衆性の強い農村出身の毛沢東の一部の写真には笑う姿を見ることはできますが、大抵の「標準的」なイメージは真剣そうに見えるのです。人々の大きな自己犠牲が要求される革命事業は崇高ではあっても、「笑える」ものではけっしてありません。ところが、金日成の標準イメージはまさにぱっと笑うイメージです。まさにそのイメージが錦繍山記念宮殿に掲げられているのです。これは「真摯な革命家」というよりはむしろ「穏やかなお父さん」、または民を「慰撫する」儒教的な「聖君」のイメージにより近いと言えます。事実、この「儒教コード」を抜きにして北朝鮮を理解することはできないと言えるでしょう。
北朝鮮の社会経済的な形態は超強力な中央集権性を特徴とする国家資本主義的(スターリン主義的)な 開発国家ですが、その政治文化的な形態はまさに性理学的な遺産が深く影を落としている強硬な民族主義的(「主体的」)世襲統治、すなわち一種の「王国」なのです。南韓が開発国家であった時代、特に1970年代の維新時代に、南韓の統治集団も強硬な民族主義的終身集権側に方向転換したことがあり、その際、親日派と親米派によって建てられた、もとより儒教的な遺産とはかなり隔たりのあった南韓は、一種の「二次的な儒教化」の過程を経験した経緯がありました。たとえば、1972年以降の南韓の紙幣をご覧ください。維新時代に入った大韓民国で最高額の銀行券には世宗大王が現われたかと思えば、より少額の銀行券には退渓李滉(1501~1570)と栗谷李珥(1536~1584)が現われました。
「聖君を助ける賢者たち」。それは終身執権を企てた独裁者が「再発見」した「伝統」だったのであり、その「伝統」は南韓の未来への一種の「青写真」を提供するものでなければなりませんでした。1950年代や1960年代の初めとは異なり、1970年代に成長期を過ごした人々は顯忠祠を巡礼し「聖雄」李舜臣の姿を心に刻み付けなければならなかったし、テレビでは『世宗大王』のような、世宗を一種の「前近代の開発国家のリーダー」に作り上げたドラマを見なければならなかったのです。あるいは、「国策科目」として浮上し1972年以降「強化」された国史では「金庾信将軍の献身的な努力による三国統一」などといったレベルの話を学ばなければなりませんでした。「将軍」「聖君」「聖雄」たちの世界で 人生の最も輝かしい時代を―不遇にも―不本意ながら過ごさざるを得なかった人々の一部が、1986年以降は運動圏の一画で流行った「主体思想」に関心を持つようになったのは果して偶然だったのでしょうか。北朝鮮政権の儒教風に見えた外皮を密かにベンチマーキングして熱心に真似た朴正煕の退行的な独裁は、「慈しみ深きお殿様」に対する志向性を身に付けた人々を育て上げたのです。もちろん皆がそうなったわけではありませんが、朴正煕主義から金日成主義に改宗(?)することはわりと容易かったという点だけは覚えておかなければなりません。まあ、逆の場合もあったでしょう。故 黄長燁さん(ファン・ジャンヨプ、1923~2010)や『朝鮮日報』で筆鋒を振るっている姜哲煥さん(カン・チョルファン、1968~)さんを思い浮かべれば、どのような意味かすぐに分かるはずです。一言で言えば、昔ヴィルヘルム・ライフ先生(1897~1957)が話された「権威主義的な人格」というのは実際に存在すると思わなければなりません。まあ、自然の流れに沿って子供たちに15~16歳からセックスをするように放っておき、親の言うことにいくらでも逆い、いくらでも食い掛かれるようにしてやれば「リトル朴正煕」や「リトル金日成」などがこれ以上はあまり出てこないはずですが、私たちはライフの言葉をうっかり忘れて「リトル朴正煕」たちを絶えず大量生産しているわけです。
ところが、朴正煕は経済力の増強では金日成を上回っていたものの、「強硬な民族主義に基づいた終身統治の樹立」という次元においては―幸いにも―北朝鮮のレベルには達し得なかったのです。あまりにも外向性の強すぎる経済は1979年に過剰・重複投資と外部的なショックで深刻に揺らぎ始め、政権の内紛が起こり、結局崩壊してしまったのです。その後、無数の屈曲を経験してきた南韓は、既に開発国家というよりは(1997~1999年から)むしろ新自由主義的な企業国家のモデルにより近いです。国家とはいえ、公共性は非常に脆弱で、実際は単なる財閥の「使い走り」にすぎません。呉世徹教授のような方を捕まえ裁判をするからと言って何年も苦しめたあげく、「執行猶予つき有罪判決」を下すほどに明示的な反対者たちをしつこく弾圧する「公安型国家」ですが、信頼して暮らせる国民老齢年金もまともに実現できない そんな国家です。公教育制度があるにも関わらず、幼稚園から40~50代になるまでのほとんどの国民が私教育、すなわち学習塾の世話にならざるをえないということは、この国家の水準を端的に物語るものです。私的な仲間、各種の「社会貴族」が中心の社会であるため「死んだ統治者」への崇拜もあくまでも私的な仲間を中心に成されています。第3次世界大戦が起こり、南韓が完全に消滅してもどうせ自由世界の堡塁であるアメリカが生き残るはずだから特に問題にならないと壮語した「偉大な愛国者」「建国の父」李承晩を称える小集団があるかと思えば、有権者の少なくとも15~20%が今も―北側の人々が金日成を心の中で称えているように―朴正煕を称えるようでもあります。そのような現象がなければ「姫様への票」はどこから出てくるのでしょうか。財閥ごとに創業主「会長様」中心の小規模な崇拜があるかと思えば、学脈ごとに某「博士様」、某「教授さま」などは熱烈な崇拜を絶えず受けているのです。北朝鮮の王族が「忠誠」を中心に動いているとすれば、韓国の貴族たちは「孝行」が中心と言えるでしょう。自分たちの「偉大な先祖様」に対して。
一言で言えば、私たちは北側の「王室の祖先崇拜」を非難することもありません。南側の近代的な合理性の水準はそれとあまり変わらないからです。ただし、超強硬な中央集権の北側と異なり、新自由主義的な企業国家であるだけに権力がある程度分散しているだけで、いかなる公共性も合理性も見出せないのが現状です。部下に「会長様の語録」をまる暗記させ、バットで殴りまくる韓国社会の貴族たちが堂々と歩き回ること自体が既に時代錯誤的です。そのような類型の「豪族」や「権門勢家」たちは実は歴史博物館で剥製化され展示されなければなりません。北朝鮮の権威主義がスターリン時代のソ連を上回っているというなら、韓国の企業国家はもしかしたらアメリカのレベル以上ともいえるでしょう。南側でも北側でも民衆本位の近代は未だに創出されていません。そして南側と北側が平和共存し、対決の姿勢を崩さなければ両側の民衆は歪曲されてしまった近代性を正す作業を本格的に進めることはできないでしょう。