原文入力:2011-01-26午後07:08:51(1908字)
←チョン・ウイギル オピニオンネット部門編集長
私の記者生活は盧泰愚政府とともに始まった。保守勢力からは柔弱な政権だと言われ、民主化陣営からは軍事独裁の残滓政権だと言われ、どちら側からも評価されなかった政権だ。首長である盧泰愚前大統領も数千億ウォンのわいろを取り込んだうえに、5・17軍事反乱で断罪されたように、その政権はひとまず公式評価を終えたわけだ。
当時の社会は今を基準として見ればはるかに不足していた。検事たちの人事発令が出た日に検察庁に行ったところ、弁護士たちが発令の出た検事たちに餞別金を渡していた。記者の私が公然と座っている席で、弁護士と検事たちは堂々と餞別金をやりとりし、記者の私も格別の考えなしで見過ごしていた時期だった。ある同僚記者は新任経済部署長官の部屋に入り、机の引出しにぎっしり入れられた封筒を偶然に目撃した事件を伝えた。同僚がどういう封筒なのかと尋ねると、その長官は「新しく就任するからと銀行長たちが封筒一つずつ持ってきたよ」とたいしたことでもないように話したという。分かってみれば新任長官にあたえる銀行長らの封筒協定価は1000万ウォンだったと言う。銀行が統廃合された外国為替危機前であり、その時の都市銀行は20行を越えていた。新任長官は当時、高級アパート価格を越える2億~3億ウォンを一気に受け取ったのだ。
そのような時期の政権だったが、この頃はその政府を再評価するようになった。過ぎて見ると、いや李明博政府の治下にあって見てみたらそうなった。盧泰愚政府は少なくとも時代を遡りはしなかったためだ。6月民主化抗争と与党少数野党多数という政治環境によって押されたにしても、我が国社会の先んじた歴史から導き出された時代的課題を自ら遂行していた。
野党に押され内部権力闘争の性格があったが、第5共和国聴聞会と光州聴聞会をさわやかに受け入れ、全斗煥、チョン・ホヨンなど第5共和国の人物らを清算したことも結果的に民主化過程を巡航させたのだ。特に盧泰愚大統領など当時の執権層も加担した‘光州事態’を民主化運動として公式に再評価したことは自らを否定することであるにも関わらず受け入れた。違憲として判決が出たが、土地超過利得税と宅地所有上限制を導入し経済分野で力の強い者と持てる者を規制しようと試みたことも評価するに値する。
特に南北関係や外交でそうだった。7・4南北共同声明以後、南北和解の最大産物である南北基本合意書採択が物語っている。盧泰愚政府が南北関係の回復に積極的に乗り出したのは当時の4大強国の韓国、北韓クロス承認、韓国の立場としては中国・ソ連との修交のためであった。 とにかく時代の流れを読んだし、能動的に出て中・ソとの修交を足早に成し遂げた。南北基本合意書採択など南北関係回復で米国と日本の北韓承認も目前に置く状況まで行ったりもしたが、米・日の内部政権問題と北韓の核問題などにより不発に終わったことは惜しい点だ。当時、南北関係回復政策は結果的に北韓に対する韓国の優位を固める契機となった。南北対決的視角を持った陣営から見ても、大きな利益を残す商売をしたわけだ。
南北関係回復と北方外交推進に保守陣営の反発は荒かった。ミン・ミョンドン当時陸軍士官学校校長が卒業式で大統領を前にして‘主敵の見分けもつかない’と北方外交を露骨に非難する抗命までした。今思えばどれほど情けない発想なのか即座に知ることが出来る。保守陣営から‘水テウ’と皮肉を言われながら盧泰愚政府がそのような政策を推進したことは避けられない時代的課題だということを当時の当局者らが知っていたためだ。
光州で血の雨を降らせて執権した全斗煥政権も少なくとも過去には帰らず前に出て行くフリくらいはした。盧泰愚政府以来、南北和解、経済正義、環境保護などは逆らうことのできない時代的課題だ。李明博政府になり南北対決、中国との関係悪化、金持ち減税、コンクリート開発などすべて過去に帰ることばかりだ。口蹄疫が荒れ狂い、物価が沸騰しているが、大統領府は三湖ジュエリー号人質救出作戦成功の便りを大統領が発表するように記者たちの一報を阻もうとした。盧泰愚政府を私が再評価することになったことを李明博とその側近らに感謝しなければならないことが堪え難い。Egil@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/460782.html 訳J.S