原文入力:2011-01-17午前10:36:26(1828字)
ホン・セファ記者
←ホン・セファ ルモンド ディプロマティク編集者
‘合理的保守’を自称するオ・セフン ソウル市長が無償給食を住民投票で決めようと言い出した。合理的保守どころか‘非合理的意地悪’がその実体を露にしたと言ったら言い過ぎだろうか。金持ちの子供には無料の昼食をあげないという彼の‘悲壮な’覚悟と、そのようなお金があるのなら より難しい境遇にある市民たちに福祉恩恵を与えなければならないという主張に一抹の真正性があるとすれば、無償給食論難が起きる以前からとうに貧しい家の子供たちの涙の欠食がなくなるよう措置しているべきだった。また、合理的保守ならば福祉拡充のために金持ちと企業に税金をもっと出さなければなければならないと主張するべきだった。
私だけではないだろう。無償給食が提起され‘朝中東’とハンナラ党をはじめとする主流支配勢力らの低所得層や疎外階層福祉に対する関心が突然高まった興味深い現象を見ることができる。いつから彼らが福祉に関心が高かったのか私にはわからないが、それがどうあれ肯定的な変化といえるので、我々としては今後もオ・セフン市長が‘無料シリーズ’と呼ぶ無償給食、無償医療、無償保育をより一層強調する必要がある。もちろんその変化というのは、私たちが公共性に基づく‘分配’を強調する時、彼らが恩恵授与的‘分け前’として盾の役割から来たものであることを正確に認識しながらだ。同じ言葉である‘分配’と‘分け前’でさえ このように分けて使われる韓国社会であれば構成員たちがポピュリズムと言う話も十分にかんで聞くことを期待しながら。
貧しい家の子供は両親が貧しいだけであるように、金持ちの子供は彼の両親が金持ちであるだけのことだ。私有財産権が神聖視される韓国でも相続税、贈与税が存在する所以だ。そして、貧しい家の子供や金持ちの子供でも同じ社会の構成員だ。社会がなければ金持ちもなく貧しい人もないのはソウル特別市がなければオ・セフン市長がいないのと同じだ。
したがって金持ちが社会に借金した者ならば、貧しい人は社会が借金した者だと言えるが、私たちの社会の悲劇は支配勢力やエリート層にこういう社会概念をまったく見出すことができないという点にある。それは何より富、名誉、権力が社会に借りたものであるにも拘らず、まるでひたすら自分が優秀で自分の金を投資し富、名誉、権力を占めたと信じさせる社会化過程のためだ。たとえばヨーロッパでは不親切な医師に会うことが難しいが、韓国では親切な医師に会うことが難しい、この差は社会との関係認識の差から始まる。私が医者になるまでに社会から無償保育、無償教育、無償医療の恩恵を受けたとすれば、社会連帯意識、社会還元意識を持つことができ患者に親切で税金もよく払うが、韓国のように熾烈な競争構造で資格証を得るまでのほとんどすべての費用を家族(両親)が充当するならば、主に特権意識、補償意識を持つようになり患者に不親切で税金を出すことも嫌う側に属する。韓国社会に家族利己主義が蔓延した背景もまた別のところにあるわけではない。合理的保守は共に生きる社会を言葉だけで語りはしない。
普遍福祉が北欧に比べて遅れているフランスの地で、無償教育、無償医療に家族手当、住居手当てまでその恩恵を受けた私は移住労働者だった。毎年、学年の初めには学用品購入に充てろとの新学期手当ても受け取った。それらの国が普遍福祉制度のために滅びたという話はまだ聞かないので、オ・セフン市長は市政にとても忙しく勉強をしなかったせいであろうか、でなければ彼自身がOECDの国々の中で最低の福祉比率、最低の国民負担率、換言すれば社会に借りておきがら最も低い税金と社会保障寄与金を払う金持ちと財閥企業の管理人であるためだろうか。
とにかく、彼もソウル市長にしてくれた韓国社会に対して連帯意識、還元意識を持っていないことは明らかに見える。それもまた、社会公共性の別名である‘無料シリーズ’の恩恵を受けることができなかったから。
ホン・セファ<ルモンド ディプロマティク>編集者 hongsh@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/459040.html 訳J.S