原文入力:2010/12/24 03:11(3127字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
アッシジのフランチェスコ(1181~1226)という偉大なる聖人に関する面白いエピソードがあります。意味深い―シャーマニズムでいう「託宣」に当たる―夢をよく見た彼は、ある時、彼の生地であるアッシジが逆さまになっている夢を見ました。建物や城壁の塔はそのままでしたが、それが逆さになっただけで普段は重く圧倒されそうな石造建築物が軽々と飛んでいるように見えたそうです。もちろん、フランチェスコは偉大な宗教家だったので、これを俗世間の窮極の無意味と理解しました。真の意味での生命は「来世」であるため、いかにも圧倒的に映る「現世」での生は、結局は一つの非常に軽い序曲にすぎないということでしょうか。宗教的な観点で解釈すればそれで良いかもしれませんが、社会哲学のレベルでは八百年も前の、このすぐれた夢を少し別の視点から解釈することもできるように思われます。
私たちはたいてい自分たちの属する共同体を「道徳的な共同体」と前提し世界を認識します。私たちの共同体がヤクザの巣窟であるという事実を背負って生きることの困難さもさることながら、本人の属する共同体を一応は肯定することが、どうやら幼時期から植え付けられた習慣なのかもしれません。幼児はたいてい母を無条件に受け入れ、母を大宇宙、自分を小宇宙と捉えるためみ、独りでは母に対するいかなる道徳的な判断を下すこともできず、またしようともしないのです。母は幼児にとっての絶対善です。ここまではそんなに悪い話ではありませんが、成長後にも「母」のような意味軸に属する「母国」などを同じように受け止めることには、大きな問題があります。「我が」共同体、「我が」文化、「我が」国であれば一応は善であると前提してしまいます。その意味で、「自分」の属するあらゆる共同体を一度「逆さまに」して眺めることは、幼稚な「所属集団への無条件肯定心理」から脱却させてくれる妙薬といえましょう。私には、「馴染みのものを一度新しく見つめ直すこと」こそがフランチェスコ聖人の、あの偉大な夢の意味するところであるような気がします。
そういう観点から見ると、今回のウィキリークスをめぐる事態は私たちに貴重な成熟の機会を与えてくれたと思われます。アサンジがどんな人間であろうが、その意図がどこにあろうが、結果的にはそうだということです。私たちは彼のおかげで地球村を一度逆さに眺めたことになります。感想はいかがでしょうか。私たちが自分たちのあらゆる「母国」や「母体」に対して抱いていた思いはあまりにも無垢な発想であったことが判明してしまいました。たとえば、絶対多数のノルウェー人は、ノルウェーを世界で最も道徳的な国だと認識しています。いや、国民総生産の1%をも第三世界への「人道的な支援及び開発」に回している国ですから、その道徳性をいったい誰が疑い得るでしょうか。ところが、1960年代初めの中国は国民総生産の5~6%を対外支援に使っていましたが、このことは中国の歴史を勉強しているノルウェー人たちもあまり知りません。知っていても「全体主義者 毛沢東」がどうせ道徳的であるはずはないとほとんど決め付けるでしょう。私たちと本質的に異なる「全体主義者」が善良であるわけがないからです。善良な私たちとは本質的に違うからです。「国民総生産の1%の支援予算」の約3分の1が、実はノルウェーの会社に受注として回ってくること、つまりノルウェーがただその資本を肥やし、NGOに仕事を作ってやる場合が多いということを知っている人もここでは少ないのです。たとえ知っていたとしても、自国の道徳性を疑うなどということはまずないでしょう。私たちは世界一道徳的な民なのですから、受注くらいはどうということもないでしょう。
では、ウィキリークスの伝えるノルウェーの「逆さまから眺めた」姿、すなわち本当の姿はどんなものでしょうか。2006年、米国の駐ノルウェー大使に会ったノルウェー労働党(社民主義的な政党)出身の外務長官ヨナス・ガル・スターレはあの違法なグァンタナモ収容所の閉鎖を要求もしておらず、それはノルウェーの望むところではないとまで強調していたことが新たに分かった真実です()。労働党とともに連立内閣を組んでいた社会主義左派党と国際赦免委員会がグァンタナモという大型拷問室の閉鎖を要求していたにもかかわらず、ノルウェー社会の世論がこの問題で沸騰したにもかかわらず、右派社民主義者である外務長官は知らぬ振りをし、アメリカ側との「親善」を強固にすることに傾注していたわけです。なお、この部分はノルウェーの大企業であるアケル・クバーナーがグァンタナモ収容所の工事を受注したことと果たして無関係だったでしょうか(http://oecdwatch.org/news-en/oecd-complaint-against-norwegian-aker-kverner-asa-for-building-the-guantanamo-bay-prisons)。またアケル・クバーナーの大株主や主要役員たちと右派社民主義の指導者たちには互いにまったく政治的、人間的な関係はなかったでしょうか。以上のように、ウィキリークスの助けを借りて少し論理的に思考を展開していけば、私たちはノルウェーという社民主義的国家の実体をもう少し正確に把握することができます。問題は、ノルウェーの善良な国民の中で、真実への かくも危ない旅をしようとする人々が果たしてどのくらいいるのかということです。とにかく目がある人なら見えるはずなので、今回の開眼が今後、右派社民主義の限界について、より大きな自覚につながることを期待しなければなりません。
果してどれだけの人々がまともに眺める「冒険」をしているのかという質問は、韓半島に関するウィキリークスの暴露に対しても投げ掛けることができます。たとえば、「中国の若い指導者たちはそんなに反対しないだろうし、利権を分けてやれば賛成してくれるはずだから、北韓政権が崩壊すれば吸収統一をしなければならない」と主張している大韓民国の官僚たちの姿をどうか直視してください。北韓に対するこの人たちの態度を、「帝国主義」と「侵略主義」以外に果してどんな言葉で形容することができるでしょうか。果してこれらの人々の希望どおりに北韓の住民たちの意思とは無関係に北韓の領土と人口が南韓に吸収されたなら、南韓社会での北韓住民たちの境遇はどうなるでしょうか。「大きなお兄さん」であるアメリカが、いつも面倒をみてくれると信じている成金の傲慢という言葉以外に南韓の官僚たちのこのような態度を形容する表現が見つかりません。にもかかわらず、私たちは今もなお自分たちではなく北韓側を「挑発者」と決め付けています。ぜひ一度、ウィキリークスの資料を参考にしながら逆さまに眺めてみてくださることを切に願います。
ともあれ、私たちはウィキリークスのおかげで、この世界に関する「危ない真実」の片鱗をいくつか覗いたことになります。ウィキリークスという鏡を通じて一度 私たちの地球村を逆さまに眺めた今は、その悟りを行動に移すことが私たちにできるか、まさに今後の最も重要な問題となってくるでしょう。